国民から税金・保険料などの名目で集めた金は、官僚が補助金の名目で好き放題にばら撒いている。それが官僚の権力を維持し、それにつながる政治屋の寄付金のもとでもあり、官僚の天下り先との接点になっている・・・・・以下、阿修羅さんのブログより刺殺された石井紘基氏の「日本が自滅する日」の第1章第4節を転載します。
第四節 五〇兆円をバラ撒く補助金制度
国民の金で国民を囲いこむ制度
わが国予算の中の「補助金」は約五〇兆円超である。五〇兆円といえば一年分の国税収入を超える金額だ。わが国の予算制度の基本は、政府が税金と郵便貯金や年金の積立金等を用いて行う「補助金」 の配分である。他の先進諸国のように、国民のために、主に福祉や教育、医療、治安、防衛に必要な事務経費だけを使うのではない。同様に、地方自治体がそれぞれ独自の徴税をし、税収の範囲内で必要に応じて使うのでもない。政府が民の生活を“補い、助ける”のだ。
後に見るように「公共事業」予算も三〇兆円であり、その大部が団体への補助として配分されることを考えれば、わが国では予算は大方、補助金として使われているといえる。「補助金」とは、法律(補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律) によれば、「補助金」「負担金」、及び(利子) 「補給金」とその他「給付金」である。「地方交付税交付金」「援助金」「国際分担金等」も一種の「補助金」 である。「給付金」とは、七九本の「政令」にそれぞれ定められている「交付金」「給付金」「委託費」「助成金」などである。
さらに、これらの他に、行政企業に出される「出資金」や「資本金」も明らかな「補助金」というべきである。それぞれの違いについてはあまり論ずる意味はない。「補助金」は、公益法人や特殊法人、業界団体、一般企業に直接支払われるものと、公共事業補助金のように建設費、整備費等の一定割合として地方公共団体や公益法人、特殊法人等を経由して出されるものに大別される。
国・地方から「補助金」を受ける団体・企業などは数万(社)にのぼる。業界などを通じて間接的に補助金の“恩恵”にあずかる企業・団体はざっと二〇〇~三〇〇万(社)に達している。「財政調査会」が出している『補助金総覧』はA四判八四〇頁にも及ぶ大部なものであり、「補助金」の種目が非常に細かく分類されている。よく見ると同じ団体にたくさんの項目から支出されている。交付先の事業の一部始終をつかみ、金額の増減も自在にコントロールされるわけである。同時にあうんの呼吸で二重取りや不正使用が起こり易く、事実そうした事例も数多くある。
平成一二年度一般会計の「補助金」総額は、「国際分担金」の二四〇〇億円を除いて二〇兆七〇〇〇億円。ODAの援助金を含めると二〇兆九四〇〇億円となっている。同じく「特別会計」の方は七兆余円。「地方交付税交付金」を含めると「特別会計」全体で二九兆九〇〇〇億円である。したがって平成一二年度予算の「補助金」の総合計は約五一兆円となる。これに特殊法人、認可法人が独自に支出する「補助金」を加えると、全般的な補助金はさらに一〇兆円程度は増えるだろう。一般会計の旧通産省分を例にとってみよう。『総覧』の該当欄には八五種類ほどの「補助金」が列記されている。さらに同数程度の細目があげられている。交付対象は特殊法人、財団法人(以下、(財)と略す)、認可法人、地方公共団体などのほか、多数の業界団体、商工団体、民間企業などである。団体等の職員の給与補助だけで二二〇〇人分を計上するなど、団体ぐるみ業界ぐるみで“面倒”をみている。
支援している業界団体である(財)日中経済協会、(財)交流協会、(社) ロシア東欧貿易協会、(社)日タイ経済協力協会などの国際貿易関係団体の下には、それぞれ数百社の企業が参加している。同じく補助金を出しているのは、認可法人の産業基盤整備基金と情報処理振興事業協会や、特殊法人の新エネルギー・産業技術総合開発機構、日本貿易振興会、金属鉱業事業団、中小企業総合事業団などだが、それらの大部分はそれぞれ数百の子会社、関係会社を持っている。
また「補助金」項目のなかにある「地域新産業創出総合支援事業補助金」「新規産業創造情報技術開発費補助金」「情報処理振興対策費補助金」等々は、大企業から中小企業までの個別の各企業に対して補助金を出し、政官権力が直接手を差しのべる、いわば“嗅ぎ薬”の役割を果たす。 少なくとも旧通産省だけで合わせて数十万社という企業に対して直接間接の支援を行っているのだから、お金をもらった企業側としても役所に頭があがる訳はない。首輪で繋がれている状態といってよい。
こうして企業はいつも政治家を通して要望し、役所の様子を見ている。家畜や池の鯉のように常にお役人の一挙手一投足を見守り、新しい「事業予算」や「補助金」情報があれば政治家を介して瞬時に跳びつくのである。それが多くの企業のビヘイビアである。
同じ「補助金」でも、一般会計の「補助金」と、特別会計のそれとのあいだには建て前上、若干の区別がある。つまり、一般会計の補助金が事務・管理関係の補助や経済支援に支出されるのに対して、特別会計の補助金は事業費等に支出されている。特別会計ごとの補助金額は、道路整備特別会計二兆円弱、治水特別会計九五〇〇億円、石炭・石油特別会計四〇〇〇億円、食糧管理特別会計、国有林特別会計各二八〇〇億円前後、厚生保険特別会計八〇〇億円、港湾整備特別会計六〇〇億円等々であり、支出先は一般会計の場合とほぼ同じである。
通常多くの特殊法人、公益法人、地方公共団体等は一般会計、特別会計の両方から補助金を受け、二つの予算書を持っている。行政機関の財務に投資的ビジネスを合体させることは憲法や財政法にそぐわないからだ。正確には彼らの団体は少なくとも三つの予算書を持っている。「一般会計」と「特別会計」、もう一つは、二つを合体させた実際の運営のための公にできない予算書なのである。
こうして政治と官庁は「補助金」を通して各種業界団体と個別企業を縛りつけ、天下り行政企業を増殖させる。そして、発注される「補助金」付きの“事業”を通して同じように“民間”を支配する。また“民間”企業の多くは官公需を通して生き延びるのである。
集金、集票の道具
このように「補助金」が広くビジネス領域に行きわたるということは一見政府が企業の経済活動を助けているように見えるが、じつは政治との主従関係を決定づけることになるとともに、政治が経済の本来の機能を換骨奪胎することになる。 俄然、政治家の“顔”が大きな役割を果たす世界が出現し、ビジネス界が集金と集票、天下りの道具となり、経済そのものが機能マヒに陥るのである。
今日の日本経済、日本社会では「補助金」が「主食」となりつつあるといっても過言ではない。「補助金」の行く先を、大都市圏と地方に分けると、最近は相当に大都市圏にも広がってきたが、まだ地方の方が厚い。そもそも「補助金」の名分が、経済力の強い大都市圏から経済力の弱い地方にカネを回す予算編成上の役割とされてきたからだ。
しかし、カネの最終的な落ち着き先という意味からいえば、大型“公共事業〟の「補助金」などは地方を経由して結局は大都市(大企業) へ戻ってくるものが多い。「補助金」支出も、また省庁による行政権限の行使として行われるため、各業界団体は日本中から中央省庁へ陳情に参上する。国会議員がそれぞれの陳情団長の役割を担う。政府の予算編成作業には二つのピークがある。八月末の各省庁概算要求締め切りと、一二月の財務省による予算編成である。これらの時期に全国から殺到する霞が問詣での人波は、さながら聖地巡礼のごとき風景である。天の恵み、お上の恩恵をさずかりに来るのである。
国の予算を補助金で編成するということは、国民を縛ることにつながる。与党議員にとっては、政治献金を召し上げ、票をも確保する道具となる。 この国で支配的な民意は、お上の恵みへの「待望」である。地方の人たちにとってみれば、政治家の顔はカネの力を連想させる。政治家は、乾ききった地方経済の大地に、補助金という恵みの雨をもたらすことのできる魔術師なのだ。
日本の地方は、農業も漁業も商業も自立的活力を失っている。あらゆる営みを中央省庁に管理され続けたからである。補助金の注入がなければ生きていけないように仕組まれているのが地方経済である。地方で補助金と無縁に生活できる職場は郵便局、電話局、市役所の三つに、あとは学校と商店の店員しかない。 市役所職員や学校教員の給与は、税金から支出される。郵便局は官営企業であり、電話局もかつては公共企業体だった。商店の場合、店員は補助金を意識しないですむが、経営者はそうはいかない。
こうしてみると、地方ではもはや「官」に頼らなければ生きていけない構図が完成しているといえる。国から流れてくる補助金が主食となってしまったのである。 補助金はうわべでは「オアシス」のようにみえるが、本当は「エサのついた釣り針」である。この事実を人々は気付こうとしない。釣り針はエサに隠れているから気付かないという理屈はあるかもしれないが……。
しかし、エサに喰いつくと、必ず上納金を納めなければならない。その上納金にはお札(ふだ)もついていく。選挙のときの「票」である。票を上納金とともに差し出すというのは、自分の身体を献上するのと同じことである。こうして、権力構造は社会の隅々に生活意識として貰徹し、維持されている、ということになる。
地方経済が官従属になりきってしまっていることはすでに指摘した。一九九〇年代にはその官従属体質が、中央にも浸透してきたことを指摘しなければならない。つまり日本経済全体が、官従属となっているのである。
平成一一年度以降の予算編成では、環境、情報通信、福祉、中小企業対策などにあてる特別枠が設けられた。このため、これまで目立って土木建設業界で行われていた受注のための工作に、他の業界も拍車をかけるようになった。土建業界の官従属体質が、他の産業にも広がる傾向を助長することになったのである。
予算を補助金として支出するという手法のネライは、政・官のエゲツない税金“かすめ取り”にあるが、その結果は民間経済の活力を損なうという、さらにとんでもない効果をもたらした。最近、政府はイメージが悪くなった公共事業から、予算配分を他の投資に移そうとしている。
しかし、それも、補助金などの財政のシステムが変わらなければ意味はない。IT産業の振興、ベンチャーの育成、福祉産業へのシフト、雇用対策予算など、耳ざわりはよさそうだが、カネの流れる仕組みは同じだ。しょせん、経済に役立つはずがない。問題は予算をどこに付けるか、ではないのである。
農水省の事務次官と技官、宿命の対決
補助金と政治の関係をめぐって、以下主に農業行政の問題をとりあげるのは、農林水産省が中央省庁の中でもっとも政治に強い存在だからである。政治に「最強」なのは旧大蔵省、現在の財務省に決まっていると考える方が多いかもしれない。 確かに予算配分権限をタテに、国会議員にさえアタマを下げさせるのが財務省高級官僚である。しかし、それとは別種の、都道府県、市町村などを通じて末端の有権者をどの程度つかんでいるか、という尺度で見た場合、農水省こそ政治に強いのだ。
そうした力は、かつては参議院選挙全国区の得票で測ることができた。各省庁がOBを候補者に立てて得票を競った結果が、そのまま省庁の「強さ」を示したものだった。 最後の全国区選挙となった昭和五五年の参院選で、得票数上位一〇位以内に入った候補者のうち、事実上のタレント候補でないのは、八位の岡部三郎氏と一〇位の大河原太一郎氏の二人だけである。この二人はともに農水省のキャリア官僚OBである。
その後、全国区は比例区に変更されたが、農水省は毎回、必ずといっていいほど、二人の当選を確保している。農水行政が末端の有権者まで締め付ける強い力量を持っていることを示す、何よりの証拠といっていい。 農水省OB候補たちの略歴を見てみると、興味深い事実に気づく。比例区に出馬するコンビが、一人は事務官出身、もう一人は農業土木技官出身なのである。
大河原太一郎氏(東大法学部卒、事務次官で退官)と岡部三郎氏(東大農学部卒、構造改善局次長で退官) の五五年当選のコンビ、石川弘氏(東大法学部卒、事務次官で退官)と須藤良太郎氏(東大農学部卒、構造改善局次長で退官) の平成元年当選のコンビといった具合だ。
このような組み合わせになるのは農水省の官僚構成と深くからんでいる。農水省の技官は、人事上の差別構造に押し込められている。官僚トップの事務次官はもちろん、局長にもなれないのだ。技官たちは官僚人生の大半を構造改善局(平成一三年度から農村振興局に改名)ですごし、最高ボストは構造改善局次長。それに次ぐのが同局建設部長だ。ともに官僚の世界で「中二階」と呼ばれる、局長と課長の間のポストにすぎない。
建設省の場合、事務次官は、事務官と技官が交代で就く。しかも技官のトップのために事務次官と同格の技監というポストも用意されている。これと比較すると、農水省の技官の待遇はあまりにみじめともいえる。 その代わりに農水省の技官たちは、構造改善局を「独立王国」とすることに成功した。構造改善局も局長や農政・計画両部長、総務課長は事務官である。しかし構造改善局の仕事の中核である農業公共事業について、彼らは口を出せない。
公共事業=土木工事に関することは、予算要求から工事の実施まで、すべて技官が取り仕切る。予算だけではない。技官の世界は人事においても独立王国である。農水省の人事担当課は大臣官房秘書課だが、技官の人事は技官グループが取り仕切り、勝手に決める。
事務官と技官の差別の構造が温存されているという歪んだ構図が、参院選での農水省の強さを保証することになる。すなわち、通常の省庁なら一人しか出せない比例区候補を農水省だけは二人出せる。事務官・技官双方の代表である。
技官OBの候補を支えるのは、土地改良政治連盟(土政連)である。ちなみに事務官OBには農協政治連盟(農政連)、その他の系列団体がつく。一般に農協(政治面では農政連)は日本最大・最強の集票マシーンだといわれるが、土政連は農政連をはるかに上回る力を持っている。
土政連も農政連も、会員は農家であり、末端ではほとんどの農家が重複加盟している。そこで個々の農家の奪い合いが激しい。特定の農家が、土政連の推す候補の後援会員となり、そのルートで自民党員になるか、それとも農政連の推す候補の後援会員となるか。参院選の前年には必ず「身内の争い」が展開され、この争奪戦があるからこそ農水省の集票マシーンは強いのだといわれる。
農水省官僚にとって、日本農業の将来像などどうでもいい。農水省の「縄張り」を維持すればそれでいいのである。縄張りの中で最も重要なものが財務省から獲得する予算であり、参院比例区での農水省OBの議席も、その一つといえる。日本の省庁はどこでも“政策なき縄張り行政〟であるが、農水省が最も著しい。私が日本の農政を「ノー政」と呼ぶ理由はそこにある。
ノー政の補助金に群がる“名士”たち
土政連を理解するには、「土地改良区」を知らなければならない。土地改良区は、「農用地の改良、開発、保全及び集団化に関する事業を適正かつ円滑に実施する」ため、昭和二四年に制定された土地改良法に基づいて設立されたものである。当時は敗戦後の食糧難の時代であったから、「農用地の改良、開発」などが必要だったが、コメをはじめとして国産農産物が過剰となった現在でも、こんな法律が残っていること自体がおかしいのだ。だが、現在もますます盛んなのである。
土地改良区は、この法律によって農家が一五人以上集まれば結成できると定められており、公益法人と位置づけられている。土地改良区はほとんどすべての市町村にあるだけでなく、秋田県田沢疏水土地改良区や福島県安積疏水土地改良区といった、特定の事業に関わる土地改良区もある。その数は全国で七七〇〇にものぼる。
これらは都道府県レベルでは「○○県土地連(略称・県土連)」を構成している。県土連の役割については後に述べる。全土連はその上に立つ全国組織であり、政治家、官僚と土建業界、それに農民の関係を調整することが役割である。表向きの業務は、全国の土地改良施設の維持・管理、資金管理、技術指導などとなっている。国と都道府県から毎年補助金が出ている。
全土連と表裏一体の土政連が、参院選のたびに、構造改善局次長を擁して選挙戦を戦う。自民党の課すノルマに沿って後援会員や自民党員を集めるのである。その作業が、政官業の癒着の構図を三年に一度、確認・点検することになる。 全土連=土政連に群がる人々こそ、農業予算という大をな餌に群がるハイエナたちである。再び強調するが、日本に「農政」はない。莫大な補助金をばらまくだけの「ノー政」があるだけだ。ノーは無策のNOでもあり、ノーテンキのノーでもある。
以下で、「ノー政」の構図とそれに群がる政治家の行動様式を解明するつもりだが、それには農水省予算とその大半を占める補助金について知らねばならない。 農水省の年間予算は約二兆五五〇〇億円で、そのうち二兆円は補助金として配られている。これ以外に、いわゆるウルグアイラウンド対策予算が八年間で六兆円あった時期もある。
農水省の補助金は、団体への援助金と、土木工事に化けて消化される「公共事業」予算に二分される。その公共事業と補助金配分の権限を主に握っているのが構造改善局である。 農水省の補助金には、潅漑排水事業補助金(年間約一〇〇〇件)、圃場(ほじょう)整備事業補助金(年間一千数百件)、土地改良事業補助金(年間約一〇〇〇件)、農道整備事業補助金(年間約一〇〇〇件)、集落排水事業補助金(年間数千件)などがある。
これら数千項目にわたる補助金の一つ一つを農水省と財務省が査定し配分額を決める。公共事業の場合、地方公共団体が主体となるものであっても、国の補助が付かなければ実施されない。このシステムの下で、地方のごく細かな畔道(あぜみち)の改修や排水施設の整備にまで、農水省が権限を握ることとなっている。
補助金は原則として、都道府県・市長村を通じて各団体に渡るのだが、農水省から直接行くものも少なくない。たとえば、いわゆる農協五連向けである。農協五連とは、「全農(全国農業協同組合連合会)」「全中(全国農業協同組合中央会)」「全共連(全国共済農業協同組合)」「全厚生(全国厚生農業協同組合連合会)」「農林中金(農林漁業中央金庫)」のことで、県段階でも同じ組織をもっている。
全農には二億円、全中には一〇億円の補助金が出ている。前に述べた全土連への補助金は四八億円(平成一三年度)だ(全土連に対しては都道府県からもほぼ同額の補助金が出ている)。その他の業界や個別団体では(財)全国土地改良資金協会(二〇〇億円)、(社)配合飼料供給安定機構(一〇〇億円)など九二の団体に出されている。九二の団体の中には、(社)国際食糧農業協会、(社)国際農林業協力協会など海外に関する団体が一五もあり、大半が外務省など他省庁からも補助金を受けている。
農水省が全農に出している農業構造改善の補助金の中に、「農業基盤確立事業」と称するものがある。乾燥貯蔵施設や精米貯蔵施設(ライスセンター)などの機械に対して二分の一を補助するものだ。施設は全農が事業主から委託されて建設するのだが、事業主(単位農協や生産組合)にも補助金が出る(両方に補助金が出る二重払いである)。そのさい全農は補助金のうちから、きわめて高い手数料も受け取る。たとえば新潟県広神村の施設は七%に設定されていた。
会計検査院はこうした実態を調査し、平成二年八月、四億五〇〇〇万円の払い過ぎを指摘した。また、平成二年末には、農水省職員一八人が「業者との癒着」を理由に処分された。業者らと海外旅行や会食を重ねたためで、うち五人は、減給処分だった。
構造改善局農業経営課の課長補佐は平成七年以降、三二回も業者と会食し、うち一七回は代金をまったく払っていなかった。この補佐はさらに「費用は負担した」というものの、業者と一緒に韓国に旅行していた。また、別の同局農政課課長補佐は、同省の外郭団体「ふるさと情報センター」に計九回で総額約四〇万円(推定)をつけ回ししていた。 処分を受けた中にはキャリア官僚三人が含まれており、高木勇樹事務次官も「職員に相当の裁量をゆだねていた点で(構造的な)問題があった」と認めざるをえなかった。
“公共事業”予算の箇所付けと国会議員の手柄
補助金の「箇所付け」というものをご存じだろうか。補助事業の一つひとつがどこで実施されるのかを決める作業である。何万ヵ所というその「箇所付け」が省庁によって決まった瞬間、国会議員たちは省庁から示された「表」を基に競って自分の選挙区に電話をし、FAXを入れる。これこそが国会議員の「業績」なのである。
国の補助事業を獲得したい市町村にしてみると、当該の事業を、まず都道府県の予算要求の重点項目にすべり込ませ、次に八月の概算要求の段階で各省庁の要求の中に入れ、そして各省庁と財務省の折衝で箇所付けが決まる。
この各段階で市町村は国会議員の「お世話になる」。箇所付けが決まった瞬間に電話することによって国会議員は、自分の貢献がいかに大きかったかを実証できる。なかには役所への口利きもしていないのに自分の手柄にしてしまうちゃっかり者の議員もいる。このことは役所の方もよく心得ていて、選挙区ごとに仕分けして一覧表を議員に手渡す。
支援した議員たちは、市町村に対し自らの系列の業者に発注するよう圧力をかける。業者は国会議員に時期を違え「上納金」を差し出す。その金額は、請負額の三%とも五%ともいわれている。 上納金だけでなく建設業者たちは、選挙のたびに集票でも議員に貢献する。大は全国レベルのゼネコンから小は個人経営の零細な土建業者まで、「われわれの営業は政治」と口をそろえる。どのレベルの土建業者も、厳しい価格競争がある民需だけではやっていけない。価格査定が甘く、しかも競争のない談合の世界である官需こそが儲けを支える。これこそ利権政治の構図である。
地方で金持ちになり、よい暮らしをするにはどうすればよいか。農業団体でのし上がるか、与党の政治家とつき合って献金することだ。土木なら公共事業農畜産業なら補助金がある。こうして“名士”となった人は数知れないし、権勢を誇った政治家も枚挙に暇がない。こうした白アリたちを繁殖させた政治が、日本を潰してしまったのである。
国民の立場からすれば、数万にのぼる中央省庁の補助金査定などまったく不要である。徴税も予算編成も、はじめから地方のものとすればよく、地方の細かな事業は市町村や民間法人に自由にやらせればいい。そうすれば、多くの不要な事業は行われなくなる。政治家の省庁への「顔」も不要になるから、莫大な利権と無駄遣いが消える。政治と行政はすっきりする。「官公需政治」という長らく続いている日本の政治システムを崩すには、「地方分権」という革命が必要になる。分権のかけ声だけは大きくなっているが、実効のある分権は、けっして行われない。その背景には土建屋政治と補助金でできあがった既得権益があるのだ。
土地改良予算は政治家に流れる
土地改良区には必ず政治団体が付いている。改良区の構成員たちが「○○県土地連政治連盟」と名乗る政治団体、「土政連」を組織するのである。これが都道府県段階では「県土連」を、全国レベルでは「全土連」を組織していることはすでに述べた。
この土政連が、年間一兆数千億円の土地改良予算の一部を政党や政治家が吸い取るパイプ役となる。他の公共事業とともにそれを受けた業者から、政治家たちが吸血鬼のようにピンバネする。農業予算は農家に行くのではなく、実際は土建業者、天下り官僚、政治家の三者が山分けしているのである。
全国各地の土政連はまた、自民党への入党活動や党費肩代わり、政治団体への会費納入を行っている。このことは平成七年から私が国会で明らかにしてきたことだ。 土政連は、国の予算で運営されている土地改良のおカネを迂回して政治に回す団体であるが、迂回さえもさせずに、直接、全国の土地改良区が特定の政党の党費を支払っていたり、政治団体におカネを回していたことも判明した。
二〇〇一年四月、私たちの追及に対して農水省はこの実態を調査し、「土地改良法違反」であることを正式に認めた。私は同僚三名の衆議院議員とともに「業務上横領罪」で東京地検などに告発したのである。
私の別の調査では、農業土木族の国会議員がこうした公金を公然と受けとっていた。埼玉県土連の会長を務めている三ツ林弥太郎前衆院議員は、平成八年度だけで県土連から四五一万円、葛西用水路改良区(理事長を務めている)から三一四万円、庄内古川悪水路改良区(理事長を務めている)から八四万円の計八四九万余円を受けている。国会議員の収支報告などで表に出ている分だけでこの有様なのだ。
浦田勝参院議員(熊本県)や鹿熊安正参院議員(富山県)、石橋一弥衆院議員(千葉県)、青木幹雄参院議員(島根県、小渕恵三改造内閣の官房長官)、農水省OBの須藤良太郎参院議員などもこの面で繋がりの強い議員たちである。 こうした報酬とは別に、土政連は多数の政治家に政治献金を行っている。たとえば須藤良太郎氏の場合は二〇〇〇万円(平成六年)を受けている。
土地改良予算は平成五年度から一四年度までの九力年計画で四一兆円規模となっている。これら土地改良事業を推進するのが、農水省の技官である。技官は研究職まで含めると六〇〇〇人以上おり、土地改良、潅漑排水、開墾、干拓、圃場整備、農業用ダムなどの設計・審査・技術指導・監督などの権限を持つ。受注先の企業にとって絶対に逆らえない存在で、「神様」と呼ばれている。
大手ゼネコンから中小コンサルタント会社まで、関連業界への天下りは二〇〇〇人以上(ノンキャリを含む)といわれる。平成五年のゼネコン汚職事件のとき、事務官の農水省首脳は「建設業界への天下りは自粛する」と語ったが、天下りの実態の説明を報道関係から求められると、「五階(構造改善局)に聞いてくれ」と述べたという。結局、天下り自粛など実行されていない。要するに、構造改善局(現・農村振興局) には事務官は関与できないのだ。
巨額の予算を握る技官たちは、補助金行政と政敵家対応のプロである。予算の箇所づけのさい、「はがし」という細かい芸当をもちいる。 事実上決まっている政府案のうち、あらかじめ一部の事業を書き込まずに削っておいて、政治家が地元代表を引き連れて財務省に陳情すれば「復活」するというものだ。政治家に花を持たせる場面を用意しておくのである。こうして官僚たちは族議員を手なずける。
構造改善局の予算はほとんどが、OBの天下り先となっているコンサルタント会社や建設会社に流れる。私が関東農政局について調査したところ、天下り企業への発注率は九割以上だった。天下りの受け入れを減らした企業には、パタッと仕事が来なくなる。それは 「見事なものだ」と多くのゼネコン関係者が証言するほど徹底されている。
毎年一兆二〇〇〇億円にのぼる構造改善局予算を自由に動かすのは、全土連を中心にした政・官・業連合の集団である。そのボスが元参院議員で全土連会長を務める“土地改良のドン”梶木又三氏だ。 梶木氏こそ、農水省技官OB参院議員の草分けである。京都帝大農学部農林工学科を出て農林省に入り、農地局建設部長で退官。昭和四六年の参院選で当選し、参院議員を三期つとめた。環境庁長官などを経て自民党参院幹事長となり、平成元年の参院選を機に引退した。
その辣腕(らつわん)ぶりを示すものが、全国土地改良資金協会の存在である。梶木氏引退の翌平成二年に設立され、梶木氏が理事長に就任した。基本財産は一億円で、農水省と全土連が五〇〇〇万円ずつ拠出した。農水省からは別に平成六年度までに一〇〇〇億円が支出され、三年度までにさらに一〇〇〇億円出された。
この団体の主たる目的は、「土地改良区を支援すること」である。いってみれば、公共事業のお先棒を担いでくれている単位土地改良区に対して、利子補給などの形でお駄賃をやるのである。土地改良などの農業公共事業は、表向き「受益者負担」の形をとっているが、その受益者負担分についてはこの利子補給などで面倒を見ているのだ。完全な二重払いである。 そうでもしなければ、公共事業は維持できない。「受益者」とされる農家は、その負担分の借金にあえいでおり、新しい負担など引き受けようとしないからだ。農家を無理やり受益者に仕立て上げて公共事業を維持するのが、この資金協会の役割である。まるで「やらせ」だ。農業公共事業は、しょせん政治と役所の都合で行われる“狡凶(こうきょう)”事業であることを証明している。
資金協会の常勤役員である専務理事は農水省の天下りである。
生産性向上に役立たない農業構造改善事業
全土連と単位土地改良区をつなぐ(県)土連の会長には、農水系国会議員や県議、知事などが据わっている例も多い。(県)土連は単位改良区から事業実績に応じた賦課金を徴収する。
土連の仕事は、改良区への技術指導との建て前であるが、実際には建設および維持・補修のコンサルタント業務が主である。市町村の改良区から事業の設計委託が回ってくる。土連は、適当な建設コンサルタントを選び、設計・工事を丸投げ発注する。丸投げする対象となる建設コンサルタントは、なれ合いの構図で決まっていくことはいうまでもない。
土連と密接な関係にあるのが、(社)土地改良建設業協会である。名前の通り、土地改良事業と関係の深い土建業者の団体で、両者が組んですべてを仕切るため、協会に入っている業者以外にはまず仕事は与えられない。
工事が分配され予算が業者に渡った段階で、土政連の出番となる。各業者の公共工事契約実績に合わせて寄付を集めるのだ。業者の差し出す寄付金は当然受注の見返りである。公共事業の見積もりは甘いから、寄付金を「上納」しても十分儲かる。また「上納」しなければ来年度の予算は保証されないのである。この寄付金は、経理上使途不明金として処理される。 土政連、土連に寄付を出す業者は、都道府県、市町村レベルの農業土木関係職員の天下り先でもある。こうして都道府県・市町村段階の自治体もまた、「中央」と同様の官尊民卑体質にはまっていく。
農業振興、農地保全の名目で税金がこのように使われ、世界一コストの高い農地事業を生んでいる。他方、農家には受益者負担が背負わされる。改良事業・整備事業の農家負担は三〇〇坪(一反歩=一〇〇〇平方メートル)あたり七万円から二五万円だといわれる。そこで最近では 「農地事業を正規にやると高くつく」と、農家が個人で事業を発注するケースが増えているという。
国道や県道で十分な地域に、立派な農道が延々と走っている。公共下水道のすぐ隣に、並行して農業用の排水施設が作られる。これらは重複した投資であって、典型的な無駄である。さらには利用価値のない農道空港が各所に建設されている。結局、農業構造改善事業は、政治家・官僚・土建業者以外、誰のためにもなっていないのである。
農産物の輸入自由化の波を受けて、日本の農業は大きな変革を迫られている。どの分野でも、競争力が強く、経営基盤が安定した、自立した農家を育てなければならないはずだ。それなのに農水省は、農業生産のコストを上げ、農家を生かさず殺さずの状態にしておいて、補助金の鎖で縛りつける政策をとっている。なぜか。それこそが、官僚機構と政治家の生き延びる道だからである。
その典型がコメの減反政策である。都市近郊農家もコメどころも、丹精して美味いコメを作ろうと努力している農家も、会社勤務の片手間に「休日農業」でコメを作っている農家も、すべて一律に減反を課し、その見返りに補助金を支給する。こんなことが、日本のコメ農業の未来につながらないことは、子どもでもわかる。
新橋の天下御免の政官業伏魔殿
東京都港区新橋五ノ三四ノ四に、農業土木会館という五階建てのビルがある。表札が出ている部屋は一部で、表札のない部屋も多い。 表札が出ているのは、土地改良建設協会(社団法人)、全国土地改良政治連盟(政治団体)、土地改良人自由国民会議(政治団体)、土地改良測量設計技術協会(社団法人)、農業土木事業協会(社団法人)、農業土木機械化協会(社団法人)、日本農業土木コンサルタンツ(株式会社)、農業農村整備情報総合センター(社団法人)、海外農業開発コンサルタンツ(社団法人)などだ。ほとんど農業利権にからんだ団体で、この薄汚いビルは天下御免の「政官業伏魔殿」といえる。
私はこれらの団体間の金の流れを調べてみた。以下に書くのは旧自治省に届けられた分だけだから、実際に裏で還流している使途不明金は計り知れない。
全国土地改良政治連盟の平成七年度の収支報告書によれば、収入は一億一六八二万円(うち七年度に受け入れた収入は五五八四万円)。その内訳は、全国五四の土地改良政治連盟から各三〇万円ずつなどで一六五〇万円。個人会員からの会費が二六〇八万円などとなっている。支出の部では、全国一五三の土地改良政治連盟に、それぞれ一〇万円から五〇万円ずつ配られている。
次に、土地改良人自由国民会議の政治資金収支報告書を調べてみる。平成七年度収入は六四二四万円(前年度繰り越しを含め七〇〇〇万円)。妙なことに、この収入の大部分に当たる六四二〇万八〇〇〇円が、自由民主党の政治資金団体である自由国民会議から入っている。そのうち約二二〇〇万円が、全国土地改良政治連盟(一二一四万円)、宮崎県農業農村建設政治連盟(三八〇万円)、自由民主党福岡県土地改良支部(一七四万円)、自由民主党岩手県土地改良支部(一三九万二〇〇〇円)などに配られている。
カネの流れは、きわめて複雑だ。土地改良人自由国民会議という団体は事務経費ゼロ。どうやら自民党の政治資金団体から金を受け取って、地方の自民党「土地連」一家に配っているトンネル団体のようだ。 さらに妙なことが出てきた。全国土地改良政治連盟の前述以外の支出である四五一三万六〇〇〇円は、自由国民会議への立替金とされている。ところが、自由国民会議の収支報告書にはこれについて影も形も出てこない。
自由国民会議からの収入として記載されている六四二〇万八〇〇〇円のうち、四五一三万六〇〇〇円が未収であるということが考えられる。かりに、その未収分を立て替えという形で計上したとしても、自由国民会議の収支報告には、実際に支払った金額と立て替えてもらった金額が計上されなければならないはずだ。しかし、その計上もなされていない。今日に至るも修正もされてい
ない。四五一三万六〇〇〇円がどこかに消えてしまっているのである。旧自治省も、私の国会での追及に違法の疑いを認めた。
冒頭に述べたように、農水省は参院選の比例区で事務官と技官の二人を当選させてきた。ところが、平成一〇年の参院選で「異変」が起きた。恒例となっていた事務官のトップ、次官経験者の立候補が実現しなかったのである。原因は、その六年前の平成四年選挙のさいの名簿順位が、岡部氏五位、大河原氏一〇位と、それまでとは逆転したことにあるといわれている。
このことが事務官のプライドを傷つけた。大河原氏は平成六年に成立した村山富市内閣の農相に起用されたほどの大物だ。その大河原氏が、構造改善局次長にすぎなかった岡部氏の後塵を拝することに、事務官たちは我慢ができなかったに違いない。このため後継者選びは難航した。
大河原氏が引退を表明し、何人かの候補者が浮上したが、いつの間にか消えた。迷走を続けた揚げ句、元農水省農蚕園芸局長の日出英輔氏に落ち着いたが、次官を出す伝統は絶たれてしまった。こうした事務官の自民党に対する抵抗をよそ目に、技官の方は早々と後継者を決めていた。技官トップの構造改善局次長だった佐藤昭郎氏である。自民党候補者名簿の順位は、佐藤氏八位で、
日出氏は九位。この選挙でも技官は事務官に勝った。この技官の勝利こそ、農業土木をめぐる政官業癒着が健在であることを示している。
農地拡大のご褒美としてもらった夢の橋
補助金を受けるために求められるのは、基本的には官僚への忠誠心である。ここで、官僚への忠義だてによって生まれた想像もできないようなケースを一つ紹介しょう。とは言っても無数にある類似のケースの中のひとつで、これだけを採りあげるのははばかられるのだが……。それは鹿児島県最北端の東町にかかった伊唐大橋である。
東町は、八代海(不知火海)に浮かぶ一八の島々で構成される島の町で、町役場は長島にある。伊唐島は、長島の北東に浮かぶ面積約三七〇ヘクタール、周囲一八キロの小島で、約一二〇戸、三〇〇人が住んでいる。じゃがいもの産地として知られ、東京や大阪にも出荷している。 伊唐大橋は全長六七五メートルで、平成八年八月に開通した。着工以来、六年かけ、総工費は一二三億円にのぼった。つまり、伊唐島の住民一世帯につき一億円以上のカネが注ぎ込まれた計算になる。東町も鹿児島県も財政が豊かなわけではない。それなのにどうして、この橋が架かったのだろうか。
建造費の内訳は、国が五〇%、県が約四九%、町は約一%となっている。県はその拠出額の九五%について地方債を発行した。つまり、大半を借金で賄ったのである。その借金の元利返済額の八割は、地方交付税があてられる。地方交付税は本来、一定の配分方式で地方自治体に配分する金だから、すべての都道府県・市町村が少額ずつ損をしていることになる。その分、鹿児島県は得をしたことになる。
橋の紹介看板には「農林漁業用揮発油税財源振替農道整備事業」とある。揮発油税(ガソリン税)は本来、旧建設省所管の特定財源として道路特会に入れられる。しかし、農水省はその一部は農機具用ガソリンからの税収だとして、農家に還元すると主張。その分の使途は農水省が決めることになったという経緯がある。
地方交付税、特会など、財政のからくりをフルに利用して、この「夢の橋」ができた。通行量は、計画段階では一日五〇〇~一五〇〇台とされていたが、開通後の実測では、平均三〇〇台程度しかない。一時間に一二台強、五分に一台が通るだけということになる。
東町が伊唐大橋をかけたいと陳情し始めたのは一九七〇年代だった。一九八〇年代に入ると、橋を架けるには「農道橋」しかないと、陳情の対象を農水省に絞った。すると、農水省の側から、島の農地を増やせば「農産物を運ぶ橋」として説得材料になるという示唆があった。 東町は伊唐島の農家に、橋を架けるための農地拡大を呼びかけた。当初は三割が反対だった。「橋はありがたいが、労力と金銭の負担が増える」「農地を増やされても、年寄りばかりで担い手がいない」という理由だった。
最終的には町職員が説得に回り、全世帯に協力させた。島の農地面積は、九〇ヘクタールから一七一ヘクタールへと、倍近くに拡大した。伊唐島の住民は、農業を見捨てず、逆に農地を拡大した。農水省という「お上」に忠実だったのである。そのご褒美として、農道橋というプレゼントをもらったのだ。
旧国土庁は平成一〇年、全国の離島架橋の投資効果を分厚いリポートにまとめたが、その中に伊唐大橋の利点も強調されている。「島の農地面積は、造成前の九〇ヘクタールと合わせて一七一ヘクタールとなりほぼ一〇〇%作付けされている」という記述だ。橋をかけさせるための戦術が、逆に橋によるメリットとされているのである。
平成七年には、東町の女子高生が、橋の建造が進んでいることに感謝する作文を書き、国税庁の「税を知る週間」作文コンクールに応募した。そして、「一本の橋が欲しい。国民の方々が納めてくださった税金のおかげで、伊唐島の人の生活は必ず変わります」という文章で国税庁長官賞を射止めた。
こうして「夢の橋」伊唐大橋を肯定する神話がどんどん作られていくのである。
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