昔々の話 昭和30年代

2010年05月29日 | Weblog
むかし、むかし、お寺の前に前田さんと渡辺さんというご信者の家族が住んでいました。
昭和30年代、前田さんのお宅は三人家族で、養子夫婦とその母、前田綾子さんという方がおられました。お寺の文字通り前におられたので毎日、参詣されて年齢より遙かに若々しい娘さんのような声で話をしたりされていました。
その前田さんと血縁関係があり、いっしょにお寺や御講にいつもお参りされていたのが渡辺英子さんという人で、10人も子どもがいました。
その中で男兄弟5人はいっしょに家業のメタル制作の仕事で、毎日、お寺の前が仕事場でしたから来ていました。
その5人に私は引っ張り出されて、毎日、野球練習。ピッチングだ、ノックだの言って、お寺の前の道路を野球場にしてしまいました。5人兄弟より私の方が年下でまるで、その末っ子のように一緒に遊んだというか、結構真剣に野球道に励んでいたつもりでした。
そのうち、去年に次男の豊さん、この5月26日に長男の清さんが亡くなり寂しくなりました。
あの頃の日本は、貧しくてないものばかり。車も冷蔵庫もクーラーも手が届かない。
でも、何か将来は素晴らしくなる、きっと今より良くなるとみんなが思っていて、明るかった感じがします。今のほうがずっと、豊かでクールでスマートでシステマティックだけれど何か空気が重いんですよね。
でも、フィリピンに行った時、子どもも大人もきらきらした目をしていて、驚きました。
あの頃の日本人が持っていた目。
それは今もフィリピンにありました。小さな手にお数珠を持ってフィリピンで初めてマニラのホテルに集まった子どもたち。素晴らしい笑顔でした。
今から日本は大家族に戻れないかもしれません。生活のスタイルがすっかり変わってしまい、元に戻せないし、10人以上子どもがいればテレビ局がやってくるくらいです。
でも、あの頃の渡辺家の人々が持っていたものは、私たちが忘れかけている大事なものではないでしょうか。
子どもが少なくなり、豊かになればなるほど家族のきずなが薄れていくのはどうしてなのでしょうか。
あの頃を懐かしんでノスタルジアに浸るだけではなく、失われてしまいつつある「家族のきずな、暖かみ」を取り戻したいと思いませんか。
ただ、今日、ちょっとホッとしたのは、渡辺さんの息子さんたちが子どもの頃、お寺にお参りをした時のこと、おばあさんの英子さんに海中御本尊を大事にしなさいと持たされたこと、手で表紙を取って御題目をお唱えしたことなど、生まれは昭和40年代だけれど良く覚えていて、先祖からのDNAをしっかり受け継ぎ、お寺のことをしっかりと頭に入れていたことです。
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