おかんはありがたい

2009年11月24日 | Weblog
先日、田口行弘画伯のおかんが来寺、話をしました。
田口氏はすでに、名声を得つつあり、昨年は広島の美術館が勝手に彼の作品を展示する企画を打ち出して実施しました。
また、このたびは東京都、東京文化発信プロジェクト室と多摩美術大学の主催で同大学の芸術学科・展覧会設計ゼミ企画で、「5+1」という展覧会が実施され、帰国しました。
私が留守の時、参詣されたようで残念ながら今回は、彼に会うことができず、また、時間がなくて世田谷神宮前の「VACANT」という会場にも行けませんでした。
11月19日から23日までの短い期間で、無理だったのですが、そのかわり、彼の偉大なおかんがお寺に来られ、お話をしました。
私の感想は、お母さんという人は、田口氏のお母さんを始めとして、本当に息子さんを深い愛情を以て見守っているのだ、ありがたいものだということです。
今日は、御講がお寺であり、そこで本阿弥光悦のお話をしました。
本阿弥光悦の作品を先日、京都での「日蓮と法華の名宝展」で見たせいです。
光悦は日本のレオナルドダビンチといわれているそうです。その多彩な作品、そして活躍ぶりは中世にあってもひときわ、光芒を放っています。
その無欲恬淡たる生き方と、俵屋宗達など後進の芸術家を育てた面倒見の良さ、そして、芸術の道を求道者のようにひたすら歩み、法華信仰を自分自身の人生の軸としていたことなど、誠に興味深いものがあります。
その光悦に深い影響を与えたのが、彼の母、妙秀尼だといいます。
その母は、信仰心があつく、無欲で、常に自らに贈られたものを貧しい人々に分け与え、九十歳を過ぎて亡くなるときは浴衣と着物一枚、粗末な布団しかなかったといわれているとのこと。
その母を、光悦は終生、慕い、商いの道だけではなく、人生を教えてくれたと感謝していたといいます。
あぁ。実におかんは偉大であり、ありがたいものか。
母から生まれなかった人は一人もいないし、死ぬときに、おっさんまで「おかあさん」と言って死ぬといいます。
お母さんになれなかったのが、私はチョット悔しい。
コメント (1)
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