ロメルとジェンマ 

2009年11月03日 | Weblog
4日ぶりに河野彰勲師がフィリピンから帰国しました。
十月半ばにフィリピンに帰った黒柳さんががんばって、また、沢山の教化ができましたという報告をお土産にして無事、ご奉公成就して戻ってきました。
フィリピンにはおよそ7000もの島があり、中心のルソン島、ミンダナオ島は名前を知っていました。でも、この頃、ご信者が誕生したネグロ島とかイロイロ島などぜんぜん、知りませんでした。
フィリピンは16世紀からスペイン統治の時代があり、名前はスペイン系の名前が多いようです。1898年にスペインと戦い、独立を勝ち得たのもつかの間、1年後の1889年から1934年までアメリカの統治下に入りました。ですから、近代はほとんど、独立状態ではなく、他国の支配下にありました。
かなり昔、仏教が伝わった形跡もあるようで仏像も発掘されたことがあります。しかし、マレーシア経由で最初はイスラム教が入り込み、広がりました。
その後、スペイン領となってからは、キリスト教(カトリック)に半ば強制的に国民は開宗させられていて、今や熱心に日曜日ごとに教会に通う人が非常に多いとのこと。
ですから、そういう宗教も文化風土も言葉も違う国に、佛立信心を伝えるのは困難を極めることです。
でも、どんどん教化ができています。
十月のなかばに、黒柳さんはフィリピンに戻りましたが、教化子からまた、教化子が生まれ、もう40数人のご信者が育ちつつあります。
ロメルさんは、黒柳さんの運転手をしていましたが、病気になり20メートルも歩けなくなり、田舎のイロイロ島に帰りました。帰るときに、黒柳さんから言われました。夕方、御助行をさせていただくから、貴方も御題目を唱えなさいと。
そして、イロイロ島にいると朝は体調が悪いのに、夕方は良くなることが続き、これは御助行をいただいているせいだと直感。本人も御題目を唱えるようになりました。だいぶ回復したので、マニラに戻り、黒柳宅の口唱会に参加。
ついに開宗を決心して、自宅に御本尊を奉安。よく御題目を唱えるようになりました。そうするとさらに回復、マニラで働くようになったのです。
とても教化親とこの御題目のご信心に感謝して、私はじめ遠妙寺のご信者にも感謝の言葉を涙を浮かべて述べていました。
それが、今度は、アメリカ系大企業の正社員になることができるというお計らいをいただきました。
これは、夢のような話で、フィリピンではそのような大企業の正社員という社会的ステータスは日本では考えられないほど高いものだそうです。
今度、ジェンマさんと御会式にこられる予定ですが、楽しみです。
それもこれも、黒柳夫妻の思い、ご信心に対する情熱から始まったのがフィリピンのご弘通です。
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