マンガは強力なメディア」

2008年09月02日 | Weblog
業田良家さんから、サインと作者自筆でマンガの中のキャラクター(森田幸江さんと葉山イサオ)を描いてもらった本をいただきました。
阿部寛が出演して映画化された「自虐の詩」です。
以前にも、作品をいただいたのにもかかわらず、お礼の返事を書いていませんでした。今回もまだ、書いていません。誠に申し訳なく思っています。
全部、読んでから感想を書いてお礼状を出したいと思っていたのと、住所を知らないので、そのままになっていました。
何回かお会いしていますが、最初は出身の博多光薫寺の小林御導師といっしょでした。
その後も、何回かお会いしています。近くにこんな有名人がおられるとはね。

「自虐の詩」は、先月頂いて、上下二巻でボリュームも結構ありましたが、すべて読みました。
これを読んで、業田良家さんはマンガ家というより、思想家でマンガによってご自分の考えを述べておられるのかなと思いました。
最初は、悪いやつほど女にもてるという皮肉な話を綴っているだけなのかなぁと思って読んでいました。また、その題名からしてマゾ的な女性とサドの男性の話で、先の展開がわからないから、あまり私には縁のないテーマかもと思っていました。
4コマの一つ一つの話が笑えたり、あるいは哀れだったり、どこから読んでも良いし、飛ばしてもいいし、最後だけ残しておけば下巻を読んでから上巻を読んでもいいし、それでいてつながっている。今の話と、昔の森田幸江さんの生い立ちの頃の話がフラッシュバックして交錯しながら、現在の幸江さんの心情を訴えてくる。過去があって現在があり、現在が糸を引きながら未来に、もつれ込んでくる。そういう人間の歴史の構造をうまく、微妙に語り、読者を知らない間に引き込んでくるような所があります。
私たちは、簡単に「業」という言葉を使っていますが、ホントはそんなに納得できる言葉ではないはずです。その難しい問題を、4コマを使いながら何となく、得心させ、業という言葉と、その言葉の重みを感じ取らせてしまう感じです。
詳しいことは、読んだ人にしか通じないし、読んでなければ、ここに書いていることがわからないと思います。まぁ、それを承知で申しますが、マンガを読み進んで、最後にはあらゆる人々の生きている意味、かけがえのない人生をたたえて明るい詩を歌う声が聞こえてくるようになってしまいます。
仏様は「一切衆生、悉有仏性」・・・「いっさいの人々には必ず仏心があり、仏様が住んでいて、みな、尊い仏様と同等の尊い存在である」と言われています。
でも、そういうことをお説教、うちでは御法門といいますが、理論じゃなく、こういう具体的なお話、絵でみせてもらうと頭の表層ではなく、芯の方で深い感動とともに納得してしまいます。
マンガは文化以外の何ものでもない、海外でどんどん普及しているのはもっともですね。
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1 コメント

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感激 (さかなしゃん)
2008-09-03 05:55:29
自虐の詩の作者さんと御導師にそんな繋がりがあったとは! 素敵っす! あのマンガや映画には、何と言ったらいいのでしょうか、絶望的な中に救いを感じます。 骨の髄迄俗にまみれた男と女の馴れ合いサドマゾ娯楽的でかつ、絶望的な状況って何て気持ちいいんだろ~だけでは済まない、一種のスピリチュアル文学の様に感じました。 愛すべき煩悩です。 それにしても娑婆世界どっぷり浸かって右往左往しておられる方にも御導師のご慈悲は行き渡っていらしゃると言う事を痛感しました。 今週は特に教化祈願週間なので、腹の底からご弘通に対する意欲が沸いて来るブログに感謝です。
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