謗法6

2009年12月04日 | Weblog
謗法6 8月31日の続き

次に、室町時代に出現されたわが門祖日隆聖人が、それまでの日蓮聖人門下と決別した理由は、本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経をひろめる・・弘(ぐづう)されるためでした。
当時の日蓮聖人門下は、天台宗とあまりに親密になり過ぎて、日蓮聖人立教開宗の意義を損なう結果となりました。
どういうことかと申しますと、天台宗は、本迹一致(ほんじゃくいっち)といい、法華経の迹門(しゃくもん)と本門(ほんもん)、両者は確かに相違しているけれど、結局は不思議一で一致しているというのです。

日蓮聖人は「本迹は水火の異なり」といわれ、本尊抄に「かくの如きの本尊は在世五十余年にこれなし。八年(法華経を説かれた期間)の間にも、但だ(本門)八品に限る」といわれています。
法華経は全部で28章あり、前半14章を迹門といい、後半14章を本門といいます。そして、この前半の迹門と後半の本門とでは、教えの傾向が正反対と言っていいほど違うのです。
なぜかというと、迹門では仏さま(釈尊…お釈迦様)はまだ、ご自分の本当の姿を現しておられず、その教えもまだ真実をすっかり顕わしておりません。
それに対して、後半の本門では、ご自分が実は、永遠の過去(久遠…くおん)からのいのちを持ち続けていて、その久遠の過去にすでに大いなる悟りを開かれていたこと、そして将来も永遠のいのちを燃やし続けて大勢の人々を救い続けるということを明らかにされます。ですから、説く教えの内容もガラッと変わるのです。
迹門での修行は、難しい修行、精神集中(止観…しかん、観念観法…かんねんかんぼう)という修行をして、自らの悟りを開く、悟り志向の仏教で、これは法華経以外の経典にもよく説かれていることです。
それに対して、本門では、そのような難しい行をするのではなく、信心修行をせよというのです。
というのは、末法、いいかえれば近・現代においては、精神を集中する止観や観念観法という修行のまねをすることはできても、実際、その修行によって悟りを開くことは不可能だからです。
悟りを開くというのは、そんなに簡単なことではありません。一般のなんら、特異な能力がないふつうの現代人が、止観や禅定という修行をしても、意味がほとんどないのです。
法華経の中には、もし、静かな場所でそのような修行をして、「未だ(悟りを)得ざるを得たりとおもう」人がいるかもしれない。しかし、それは大いなる慢心であり、錯誤であるということが書いてあります。
だこらこそ、日蓮聖人は、そのような難行を捨てて、信心修行により「本仏がまだ菩薩の時代になさったあらゆる修行と、本仏として得られた最高のお悟りの功徳」を与えていただく以外、方法はないと言われています。
今日、人々の耳に心地よく響くのは、「どの宗教でも結局は同じで『法論はどちらが勝っても釈迦の恥』だから、教義論争だとか優劣を付けるというのはおかしい。みな、仲良く仏教の諸宗派が互いに歩み寄り、平和を説き、心のよりどころとなってほしい」というような意見です。
なるほど、仏教徒同士、僧侶同士がみにくく争ってたら、何のための宗教かということになります。
しかし、自ら信奉するところの教義と、自ら仰ぎ見るところの御本尊のありかたに付いて、開祖の釈尊は同じですから、どちらでも良いというならおかしな事です。
現代末法の時代は、何でもあり、何でも許すなどというのではなく、何がもっとも尊いのか、今は何を選んで信じ、何を実践すべき時なのかとうことを問題とすべきなのです。
天台宗は末法に入る前の像法時代(仏滅後2000年まで)の宗旨で、何が正法で、何が謗法かという問題設定は元々ないのです。すべての神仏を尊び、崇め、並列的に信じるのが建て前です。
ところが、日蓮聖人は違います。何が正法で、何が謗法か。また、何をすべきで、何を為してはならないか。正邪を判断して、いまのあり方を決めるやり方です。
その日蓮聖人門下にあって、天台宗的なやり方を取り入れて、迹門も本門もともに尊く、迹門に比べ本門は一往は勝れているが、再往は一致であるなどと主張するのは明らかに矛盾で、お祖師様に敵対する謗法です。
そのようなわけで、日隆聖人は日蓮聖人門下の改革運動として、本迹勝劣の論争を巻き起こして、お祖師様の教えを清く元の流れに戻されたのです。

門祖日隆聖人の法脈は、かつて本門法華宗の五大本山と呼ばれた寺院を中心に受け継がれ、本門法華宗あるいは日蓮宗八品派という名称で他の日蓮聖人門下と区別されていました。そして、その法脈は室町時代、安土桃山、江戸時代と流れていきましたが、江戸の太平の世に惰眠をむさぼるようになっていました。
続く・・・
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