佛立宗とお役

2009年12月02日 | Weblog
佛立宗には「お役」というものがあります。
毎年、十一月か十二月になりますと、その交代をめぐってひと騒ぎ、ふた騒ぎになります。新年になる頃には、新しいお役も決まって落ち着きを取り戻しますが、いっそ交代などない方がいいのではないかと思います。
佛立開導日扇聖人は、近代の宗教家として組織づくりの大切さに着目された方です。また、本門佛立講が発展するにつれて、政府や周囲の神社仏閣からの反発が強まり、いろいろ圧迫を受けるようになります。
そこで、理不尽な圧迫や布教の妨害を避けるために、規則や制度を定めて知らない間に法律を犯すことがないよう、細心の注意を払われました。
同時に、ご信者がご利益を頂き幸せになるよう、お互いに助け合いが出来るよう、お助行と御講が毎月、きちんと奉修できるよう信者何軒かで構成する「組」の制度を作られました。その組には、組長、副組長、会計係をもうけて、その組が活発に機能して、弘通力が生まれ教化が出来るようにされました。
これが、本門佛立宗のお役の始まりです。
その後、本門佛立宗は経力による現証ご利益によって、教化ができ、ご信者が増えました。なんと言っても開導聖人当時、また、開導聖人ご遷化後の明治、大正時代の教務とご信者のご信心は文字通り、強信・・ごうしんの方が多く、「祈り祈りてならずばやまじ」という心意気でご奉公されたのです。
東京でも、最初は清雄寺、そして、光隆寺、乗泉寺というようにご弘通の火が関西から関東に燃え移り、広がりました。
しかし、そのご弘通を裏で支えていたものが、開導聖人創始のお役による組の組織と、さまざまな規則、制度です。
ですから、お役のご奉公というのは実は、大きな弘通の原動力です。しかし、最近の風潮として、このお役を頂くということを軽視する向きがあり、多忙と仕事と煩わしさを理由に、平気でお役を断る方が出現している気がします。
いまは、とにかく、「長」と名の付くものは嫌われるようですが、長として、先頭に立って菩薩行のご奉公をさせていただいてこそ、お計らいを頂戴できるのです。
全国の佛立信者は、もう一度、ご信心の原点に立って無償のご奉公の尊さを体験していただきたいと願っています。
御教歌に、
組長の 組を大事と 思ふなら 勝手つとめに 役をもたすな


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