どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

赤塚不二夫への切ない想い…

2008年02月26日 19時38分25秒 | 
"赤塚不二夫のことを書いたのだ!!"を読みました。読後感としては「つわものが夢の跡」ってところでしょうか…。

マンガ家と編集者の関係って、ものすごく大きいことだと見聞きはしてきましたけど、武居氏との関係はまさに夫婦とも言えるほどの強く深い結びつきなんですね。その上、この本を読んで、赤塚氏の作品が有能なスタッフの力によって成り立っていたというのが、驚きと共によく理解もできました。

私は小中学生のころは少年サンデーを愛読し、「おそ松くん」から「天才バカボン」「もーれつア太郎」を経て「レッツラゴン」に至る、氏の最盛期をリアルタイムで見ていた世代です。ギャグの質も、ユーモアからナンセンス、そしてシュールへと言う作品の変化も肌で感じていました。個人的には「レッツラゴン」は「変な方向に行ってるし、やり過ぎだなぁ」と感じてましたが、全編読んでいた記憶があります。武居氏のイメージも同作品で根強く印象つけられましたし。武居氏もこの作品にはかなりの思い入れがあるようです。

赤塚氏の思い出はもう一つあります。高校のころ年末年始に郵便局の配達のアルバイトをしていたのですが、たまたま担当の地区にフジオ・プロがあったんです。ビルの前でネコの菊千代が日向ぼっこをしていたのをよく見かけました。ある時、菊千代の頭を撫でていると、奧から中年の男性が現れて、話しかけられた記憶があるのですが、それが赤塚氏だったかどうか憶えていないんですよね(^_^; まぁたぶん違う人だったと思うんですが…。

同書は、武居氏が小学館に入社し、少年サンデー編集部に配属され、赤塚氏の担当になるところから始まり、病でたおれるところまで、作品の裏話と時代背景を織り交ぜつつ、切々と語られています。とても愛情がこもっている良い作品でした。

赤塚氏は今、病床の人となり、もはや言葉も交わすことができない状態にあると言うことです。数年前、テレビのドキュメンタリー番組で、病を押して障害者の子供達のためにと、絵本を出版し、その本を見つめ、「いいでしょうコレ」と語っていた氏の姿が脳裏に焼き付いています。

氏の新たな作品を目にすることは、…もうないでしょう。せめてもう少しでいいから、自分の身体をいたわって欲しかったとも思います。片手にグラスを持っての記者会見を何度か見た記憶がありますが、痛々しかった。なぜこの人は、こんなに自分を壊し続けるのだろうと…。

謎も多い人ですが、それもある意味、天才ならではの事なんでしょう。凡人な私には遙かに理解しがたく手の届かないところまで行ってしまった仙人の様にも見えます。巻末で武居氏の言葉が印象的です。

「そして最後は、『不死鳥』と結ぼう。不死鳥だったら、立ち上がって、四文字言葉を叫んでみろよ!!」

広辞苑の神話

2008年02月26日 14時24分44秒 | 
以前、広辞苑は第三版からと書きましたが、改めて見たら第二版補訂版からでした。



昭和53(1978)年…、私が16歳の時ですね(^_^; 当時「オレもとうとう手に入れたぞ!」と喜び勇んだ記憶があります。机上版じゃなくて良かったんですけどね(^_^; そう言えば広辞苑 第六版 (机上版) は上下巻に分かれているんですよね。あのボリュームと大きさでは重たくって仕方ないですし(笑)

広辞苑って、なんでそんなに権威があるかのように取りあげられるんだろうって、ずっと疑問に思っていたんですが、先日読んだ"お言葉ですが…〈4〉広辞苑の神話"と言う本に経緯みたいな話しが出ていました。戦前に"辭苑"と言う辞書がルーツみたいですね。戦後、岩波書店が引き継いで、広辞苑として出版。筆者によれば、当時インテリ層に絶大な信頼感があった岩波が出したと言うので、当時の学生はみんな飛びついた。そして彼らは、ある者は学者となり、ある者は新聞社などのマスコミ業界に進み、事ある毎に「広辞苑にはこう書いてある」と持ち出して、世の中に権威が浸透していったということです。なるほどねぇ…。

その上、流行語や新語をたくみに採り入れて、同社のPRの巧みさ、プロデュースのうまさが相まって今日に至ると。

そんでもって…私も騙され続け、買い続けてきたワケだ(笑) まっ、面白いから良いんですけどね。