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花鳥風月・・・気ままな写真日記

ようこそ、どんこの小部屋へ。ゆっくりくつろいでください。
日常を出来得れば自然と融合したいと思っています。
 

岩本橋のこいのぼり 

2012-05-01 | 郷土 荒尾
 平成24年5月1日(火)

 薫風の季節がやってきました。市で一番大きな石橋・岩本橋には例年地区の保存会の方々がこいのぼりをあげます。



 このブログでも何回も紹介しているので説明は省きます。きれい眼鏡橋です。



 こんなこいのぼりを好きな人がいるかも知れませんね。



 でもやっぱりこんな勢いある姿がいいですね。





 垂れ下がっていた雑草も刈られています。



 ちょっと高い所(個人のお宅の入口付近)を拝借して撮りました。



【5月のポストカード】こいのぼりにしました。

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関島秀樹デビュー33年目の春 決意の旅立ちコンサート

2012-04-28 | 郷土 荒尾
 平成24年4月28日(土)

 関島秀樹は郷土荒尾が生んだシンガーソングライーターです。このブログでも幾度か紹介しています。メジャーではありませんがそのうちきっと飛躍してくれることを期待しています。どんこの中学・高校の後輩でもあります。



 会場入口には懐かしいポスターも貼られていました。



 島津亜矢が歌う「帰らんちゃよか」の作詞作曲しています。思い入れのある歌の熱唱です。



 パーカッション・MAKOTO、ピアノ・吉田敬。

  

 稲むらの火~津波から村を守った男の話~は8年前の作品です。胸を打つ歌です。



 「あの日を忘れない」~阪神淡路大震災復興10周年に寄せて~も体験に裏付けされたいい歌です。彼はいち早く3.11東日本大震災復興支援に立ち上がり度々被災地を訪問しています。「がんばる君のために」の歌を携えて・・・。



 次は35周年のコンサートになるでしょう。ますますの活躍を期待しています。

 

☆過去の記事☆

□平成23年8月11日 「かんばってるね関島秀樹さん」
□平成22年12月8日 「正楽寺落慶法要(終章)」
□平成21年7月22日 「関島秀樹デビュー30周年コンサートin荒尾」
□平成20年3月29日 「関島秀樹ライブ秋の夜長の音楽会in荒尾」
□平成19年6月5日 「高瀬裏川花しょうぶまつり」
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荒尾市制施行70周年記念式典に行ってきました。

2012-04-13 | 郷土 荒尾
 平成24年4月13日(金)

 去る8日、荒尾総合文化センターで式典が行われました。ステージ前の楽団はこの日がデビューで、その名も「荒尾市民楽団864!」。「864」の数字は本市の郵便番号でもあり「やろうよ」と言う意気込みを表しています。ブログ友の381さん や他にも知り合いの方が参加しています。
 素晴らしい演奏を披露してもらいました。



 オープニングを飾った「風流」「節頭」です。「70年のあゆみ」がスライドで紹介されました。 



 市民栄誉賞を受賞されたのは松尾浩也氏です。「荒尾八景」も紹介されました。「荒尾八景」の絵はがきは別途戴きましたが、この写真はスクリーンにプロジェクターで投影されたものを撮影しました。 



 市の鳥・シロチドリの発表です。写真は依頼されて私が提供したものです。これもスクリーンを写しました。



 大ホール前のホワイエでは「シロチドリ写真展」も同時に開催されました。私の鳥の師匠・安尾さんは市政功労者の一人として受賞されました。「胸章はいやだ」と照れておられましたが、私が強引に付けてあげました。
 写真展会場では多くの方々に声をかけていただき、思いがけない再会も出来、とても嬉しかったです。



 公募された「70字の愛言葉」、代表して弘さんが朗読され、ご夫妻にインタビューがありました。微笑ましい夫婦愛に皆さん、大拍手でした。エンディングは全員合唱。感動のフィナーレでした。

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JR南荒尾駅トイレ竣工

2012-03-14 | 郷土 荒尾
 平成24年3月14日(水)

  「無人駅からトイレは撤去」というJRの方針によって撤去され、駅利用者から要望の声が高かったトイレがこのほど荒尾市によって設置され、先日竣工式が行われたとのことです。JRの敷地を借用して荒尾市が建設した形になっています。小ぎれいなトイレが出来上がっていました。



 昨年末、市当局から「トイレの壁面に野鳥の写真を飾りたいので、提供してもらえないか。」と打診があり、「私ので良かったらどうぞ。」と返答しておきました。南面と正面に2枚貼ってありました。半ば恒久的なパネルです。



 こちらが正面です。



 市が作成した説明文に間違いがあり、安尾さんから原稿の段階で訂正を指摘されていたのですが、手違いでそのままになっていました。
 間違いの箇所は「・・春になると暖かいオーストラリアへ渡る・・・」です。正しくは「・・春になると繁殖地のシベリア方面へ渡る・・・」です。後日貼り替えると聞いています。



 正面です。



 以前の南荒尾駅の様子です。海水浴場があった頃は積み残す客も出るほど賑わっていました。海水浴場閉鎖後は通学の学生が大半を占め、無人駅になってしまいました。



 通学生の自転車は整然と並んでいました。ここは無料駐輪場になっています。線路の向こう側、すぐ西に有明海が広がっています。

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荒尾二造の歴史をさぐる

2012-02-16 | 郷土 荒尾
 平成24年2月16日(木)

 「荒尾二造市民の会」設立の記事は先に紹介しました。「荒尾二造」(東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所)は1939(昭和14年)に旧荒尾町、有明村、八幡村の100万坪の敷地に建設されました。石炭から抽出される石炭酸を原料として黄色火薬を生産する陸軍直営の火薬製造工場でした会の設立の趣旨は失われゆくこうした施設の保存と活用を市民レベルで行動し、“平和の砦”として語り継ぐことにあります。
 去る12日、快晴の日曜日、多数の参加者があり『荒尾二造の歴史をさぐる』-荒尾二造フィールドショップの集い-がありました。
 
 最初に向かったのは「廃水処理場」(縦50m、横40m、深さ2.8m)です。造兵廠から流す廃水を2本の水路を通し、ここに貯めて生石灰で中和し、有明海に流していました。ガイドは副会長の高谷さんです。【この稿の記述に当たっては、いただいたパンフ、「設立趣意書」等を参照させていただきました。】



 現JRの線路下をくぐって来ている貯めマスです。ここから「廃水処理場」へと流れていきます。日本の廃水路のことを私たちは子どもの頃「悪水川」と呼んでいました。黄色くて臭い流れでした。



 次に向かったのは技術将校官舎跡です。初代所長のS大佐の息子さんはどんこの中学校の2級先輩でした。 
 簡易裁判所に駐車させてもらいましたが、ここは将校の集会所だったそうです。官舎は既に一般に払い下げられましたが、まだ当時の面影を残している擁壁や門もあります。



 裁判所の西側、市屋のお宮参道沿いには「陸軍用地」という標識の石の杭が数本残っています。分かりやすいように事前に取った拓本で字が鮮明に分かります。



 県立荒尾高校の敷地には木造2階建ての本部棟がありました。現存しているこの建物は検査掛棟(通称“分析室”)で、現在は部室・トレーニングルームとして利用されています。内部は頑丈な造りになっています。



 このブログでも度々紹介している変電所跡です。競売を留保してもらっている施設です。荒尾市が買い取って保存してくれればと会のみんなは願ってはいますが・・・。今回は普段は立ち入れない上部の雑木林の上にある5基の排気塔を見ることが出来ました。その大きさ、丈夫さにみなさん、感嘆の声を上げていました。



 最後に回ったのは火薬庫跡です。競売されて個人の所有になっているものもあります。火薬作りには旧制中学、高女の生徒たちが勤労奉仕として泊まり込みで働かされ、この会の矢野会長さんも「良く殴られ、蹴られたりしていい思い出は一つも残っていない」と述懐されていました。



 個人の所有物ですが好意で見学出来ました。表面は塗装されかつての面影は残っていません。この内部です。火薬庫にふさわしい堅牢な造りになっています。



 昼食後中央公民館で学習会(ワークショップ)があり、4班に分かれ、①本日の見学ですごいと思ったこと。②今後の課題。③万田坑との見学ルート等の設定について、グループ討議をして代表が発表、事務局でまとめがありました。貴重な“近代遺産”が沢山残っている現実をどう市民に周知啓発していくか、“平和の砦”としての活動の視点を大事にしながら、地道な歩みを活動を推進していきたいとの思いが共有されたような半日でした。



【お知らせ】荒尾干潟写真展“干潟に翼を休める渡り鳥たち”の開催について荒尾市のホームページに紹介されています。
ここ
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小代焼・中平(なかでら)窯訪問記

2012-01-18 | 郷土 荒尾
 平成24年1月18日(水)

 同級生の叙勲祝いに陶器を差し上げたいという知り合いからの依頼で、久しぶりに馴染みの「中平窯」を訪ねました。以前にも紹介したことがある小代焼・中平(なかでら)窯です。小代焼とはわが荒尾市が誇る伝統陶芸です。



 知り合いのご婦人たちは窯元の説明を聞きながら品物を選定して、いいものが手に入ったと喜んでいました。お世話した甲斐がありました。叙勲を受けたのはご婦人方の小学校の同級生のKさんで、地元の私立高の校長さんです。私の小中学校の後輩に当たる好人物です。



 窯元の息子の智成君は高校3年生です。昨秋の「工芸甲子園2011」で見事京都市長賞を獲得しました。すでに佐賀大学(文化教育学部・美術工芸課程)への推薦入学が決まっています。「いい跡継ぎが出来ましたね」と私がお祝いを言ったら、窯元は眼を細めておられました。





 智成君の作品の一部です。



 作業場で「叩き」という手法で壺を作っている智成君です。



 過去の中平窯の記事一覧です。
 ○平成18年3月8日ここ
 ○平成18年11月28日ここ
○平成21年8月17日ここ
 ○平成21年8月23日ここ
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荒尾の観光推進を目指して

2012-01-09 | 郷土 荒尾
 平成24年1月9日(月)

 わが荒尾市では観光の推進を目指して昨年、観光振興計画策定委員会が設置され、4回に亘る熱心な討議を経て観光計画の骨子がまとまりました。市内外の各界から20名の委員が選ばれ、委員長は九州大学大学院の藤原教授です。私も市民委員のひとりとして参加させていただきました。
 最終回の会議は市の物産館で行われました。枠内が藤原委員長です。見識とリーダーシップに加え温厚な人柄で会のまとめ役にぴったりのお方でした。





 12月の3日に一般の市民を対象に開かれたワークショップの討議の足跡を藤原研究室の学生さん方が即席で記録したものです。



 物産館には常時、市の物産が展示即売されています。





 なお、「荒尾市観光振興計画(案)」については市のHPで公開をされパブリックコメントの意見を1月10日まで募集中です。

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さらば 荒尾競馬

2011-12-25 | 郷土 荒尾
 平成23年12月25日(日)

 地方競馬としては最も古い歴史を誇る九州最南端の荒尾競馬が12月23日、83年の歴史の幕を閉じました。「海の見える競馬場」として知られていました。先日の武豊騎手耒来場に優る観客数でした。



 この日はいつもの10倍の約9千のファンが別れを惜しみにやってきました。



 パドックには紅一点の岩永騎手の姿も見え、記念のグッズや無料で振る舞われた肥後牛の焼肉を求めるファンの列が出来ていました。



 一般の人は立ち入ることが出来ない場所へ特別に入らせてもらいました。パドック入場前の光景です。テレビ局の取材も入っていました。



 レースが終わって、騎手たちが引き上げてきます。関係者を除けば許可を得たマスコミのみが立入を許される場所です。



 岩永騎手がレース後の指導を受けていました。彼女は佐賀競馬への移籍が決まりました。今後の活躍を願っています。



 レースは大勢のファンの声援で盛り上がりました。







 突然の拍手で振り返ると辞めていく厩務員への花束の贈呈が行われいました。騎手を初め関係者の再就職もまだ4割強という厳しい課題が残っています。



 最終レース終了後お別れのセレモニーがありました。ファンの要望に応えて着衣を観客席に投げ入れる騎手たちおいました。



 この後、馬場が一般のファンに開放され、ファンは足を踏み入れ、別れを惜しんでいました。

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「荒尾市の鳥」が制定されます  市制70周年を記念して

2011-12-17 | 郷土 荒尾
 平成23年12月17日(土)

 わが荒尾市は来年4月1日に市制70周年を迎えます。“豊かな自然を大切にする心を育みながら、郷土への愛着を深めることのできる象徴(シンボル)として、「市の鳥」を制定することになりました。”(『広報あらお』より)
 先日第1回の「市の鳥選定委員会」が行われ、まず市内で観察されている64種類のうちから、15種類を選びました。挨拶する前畑市長です。



 15種類から広く市民投票が行われます。投票結果を参考にして2月15日の第2回選定委員会で最終候補を選定し、市長へ推薦した後、3月上旬には決定するはこびとなっています。私も選定委員のひとりとして協力しています。



 市のホームページには15候補の鳥たちがカラーで紹介されています。
ここ
 
 ちなみに「市の木」は小岱松、「市の花」は梨の花です。市制70周年を間近に控え、市の鳥の制定を機に市民の郷土・荒尾への愛着の機運が益々高まればいいなあと願っています。
 なお、委員からの要望で時代を背負う児童・生徒たちも投票に参加出来るよう各学校へも投票箱の設置が決まり、趣旨説明も行われました。 
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武豊騎手が荒尾競馬にやってきた

2011-12-05 | 郷土 荒尾
 平成23年12月5日(月)

 83年の歴史がある荒尾競馬が時代の波に押されてこの23日で幕を閉じます。幼少の頃、祖父に連れられていった思い出もあります。



 荒尾競馬閉鎖の話を聞いた武騎手が荒尾競馬に別れの騎乗を申し出て、やってきました。彼自身3度目の来荒です。競馬場にはいつもの数倍の2千人を超すファンが詰めかけました。パドックから出てくる武騎手です。



 返し馬の雄姿に歓声が上がりました。



 「昔はいつも、こぎゃん(こんなに)お客さんが来とったばってん・・」と年配のファンがつぶやいていました。



 スタート直後。8番の武騎手は意欲的なスタートダッシュでした。



 正面スタンド前もトップです。



 「海の見える競馬場」が荒尾競馬のキャッチフレーズでした。依然武騎手騎乗のゴールドユソネットはトップです。



 第4コーナーを回って集団に飲み込まれましたが、ラストスパートがきいて2着でゴールしました。



 この日は女性騎手たちのレースが続いてあり、華やかな女の戦いで盛り上がりました。



 

 レース終了後のトークショーで「荒尾競馬場は海が近くて乗りやすいところでした。なくなってゆくのは寂しい。まだ九州には小倉も佐賀もあるので、これからも競馬を応援してください。」と笑顔で語りかけました。「武騎手、ありがとう!」と観衆から叫び声が上がっていました。今月23日は「さよなら・感謝・荒尾競馬」となり、83年の歴史にピリオドが打たれます。

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あらお環境フェスタ2011

2011-11-15 | 郷土 荒尾
 平成23年11月15日(火)

 去る11月12日(土)に行われました。今まで文化センターやシティーモールなどで開かれていましたが、今回は初めて万田炭鉱館周辺での開催となりました。主催は「エコパートナーあらお市民会議・荒尾市」です。前日の準備。たくさんの方が集まってきました。





 こんな多彩な催しがあります。



 今年も要請を受けて【自然保護部会】の「野鳥パネル展」に新作を含め20点ばかりを出品しました。





 「巣箱作り」は安尾さんたちの担当です。親子連れが目立ちました。作った巣箱は無料で持ち帰ることが出来ます。安尾さんはNHKのインタビューを受けていました。



 「落ち葉の絵手紙作り」も人気を集めていました。



 【エコ生活部会】の「エコキャップブローチ作り」です。



 【次世代育成部会】は「風と水の不思議体験教室」です。



 親子三代の参加も見られました。



 万田坑ステーション周辺の駐車場ではフリーマーケットがオープンしていました。





 午後からは環境講演会も開かれ、大勢の方々が熱心に聞き入っていました。年々、関係者の地道な努力によって市民の環境問題に寄せる関心も深まっていくようです。
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賑やかだった野原さん  (野原八幡宮秋の大祭)

2011-10-22 | 郷土 荒尾
 平成23年10月22日(土)

 祭特集3回目は県の無形無形民俗文化財に指定されている「風流」(頭に獅子頭を模した笠を被り、笛と謡いに合わせ、大太鼓と腰に付けた小太鼓を叩いて舞います。)を先ず紹介します。『玉名郡誌』によると風流の起源は定かではありませんが、「当八幡宮は神仏混淆の当時寺院に霊験ありて(中略)八幡宮社殿に夭事続出したりしかば是夭魔の所為なりしと悪魔祓ひの一種の舞楽を演じて祈祷することとなせり」【荒尾市誌】と記述されています。
 鳥居前にやってきた川登地区の風流です。節頭に参加しない「野原」「川登」「菰屋」の三地区から出すことになっています。



 大太鼓を打つ稚児です。



 手前は小太鼓稚児です。



 こうしてOBの中学生が小太鼓稚児、大太鼓稚児を手取り足取り指導します。稚児は中学生になるとまた後輩を育てていきます。



 さて、参道と境内に目を向けましょう。このように参道の両脇には露天が立ち並び、ごったがえしています。



 「買ってもらったよ」



 七五三のお祓いを受ける長蛇の列です。



 節頭馬に乗せるサービスもあります。



 境内の賑わいはずっと続いていました。



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節頭参上  野原祭(のばらさん)

2011-10-19 | 郷土 荒尾
 平成23年10月19日(水)

 15日の野原さん(野原八幡宮秋の大祭)はあいにくの曇り日でしたが、JA八幡支所で関係者の出迎えを受け、いよいよ神社へ向かうことになります。



 行進中は「♪へーろい、はーろい」のかけ声が響き渡ります。鳥居前に着きました。



 手前は馬上の節頭の若いご両親。N家のご長男夫妻です。



 ♪祝い舞(奉納の歌)が行われます。。



 祝い歌が終わるとこの鳥居の階段を一気に駆け上がり参道から山門へ向かいます。



 参道の両脇には出店が立ち並び、一足早い七五三参りの客でごった返しています。この中をまた♪へーろい はーろいと
一行は進みます。


 山門をくぐり、一礼して両親が初穂を神主に捧げます。



 ここでも意気高らかに奉納祝い舞(奉納の歌)が行われます。クライマックスです。
  ♪ドーコデナー     ヨイトーコ ヨイ
   今わが都の節頭に   ヨイトーコ ヨイ
   心を鎮め身を清め   ヨイトーコ ヨイ
   稲の初穂をそなえたて ヨイトーコ ヨイ
   老いも童も若い衆も  ヨイトーコ ヨイ
   (以下省略)



 見守る奉行、両親はさすがに緊張気味です。



 終わって本殿を右回りに一周して奉納の行事が終わります。なお、祭には熊本県重要無形民俗文化財に指定されている「風流」も同時に奉納されますがこれらは次回にアップいたします。【コメント欄は連載記事につき閉じています。】

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ヘ~ロイ ハ~ロイ  野原祭の季節がやってきた

2011-10-16 | 郷土 荒尾
 平成23年10月16日(日)

 昨年もこの地元のお祭りを2回に分けてお届けしました。1回目の記事です。豊作祈願を祈る伝統的な行事です。2回目の記事です。例年順番に三地区ずつの持ち回りで節頭馬を奉納することになっていますが、諸般の事情でいずれの地区も辞退したので保存会からの奉納となりました。知り合いのN家からの奉納となり節頭は小学5年のお孫さんが務めています。祭の前々日は縁のある各所を表敬訪問します。

 商工会議所から市役所通りを歩いてきます。羽織袴姿は奉行と呼ばれています。



 市役所へ到着。市長への表敬です。



 仲間(ちゅうげん)たちも普段なら地区の人たちの役割ですが、今回は市職員などボランティアです。



 市長も歓迎の挨拶。



 市民も喜んで迎えています。



 奉納の舞の披露。 



 市長もご満悦。



 凛々しい節頭。在学している緑ヶ丘小へも表敬訪問をして、節頭馬が出ない校区なので珍しさも加わり児童たちは大喜びでした。次回は祭当日の模様をアップする予定です。

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宮崎兄弟と孫文の足跡を辿るツアーに参加

2011-10-01 | 郷土 荒尾
 平成23年10月1日(土)

 辛亥革命100周年記念事業の一環のツアーに友人のKさんと参加しました。弁当付き500円の格安ツアーです。貸切のマイクロバス2台、荒尾駅とシティーモールからそれぞれ出発です。私たちはシティーモール出発班でした。こちらの説明役は文化財保護委員のTさんです。見学順に紹介します。詳細はリンク先でお確かめください。
 なお関連する記事「宮崎兄弟顕彰DVD作成ロケ」を7月30日、8月2,5,8日と4回に分けてアップしています。

 1 孫文と滔天レリーフ前・中山亭





 2 宮崎家墓地。市役所通りの南にあります。以前は2階建ての立派な孫文館がありましたが、老朽化が進み2001年に取り壊されました。



 3 宮崎兄弟生家・資料館


 安田館長の説明をみなさん熱心に聞いています。右側の梅の木は孫文が荒尾に来た時に記念写真に収められています。



 ☆ 昼食場所は万田炭坑館。当局の好意で荒尾梨や地元の店のお菓子などが振る舞われました。



 4 万田坑。九州一連の施設と共に世界遺産登録が期待されています。





 5 旧三井港倶楽部。お隣の福岡県大牟田市にあります。



 参加者の記念撮影



 6 最後の三池港(大牟田市)。有名な閘門(こうもん)があります。どんこは幾度か行った所ばかりですが、何回行っても新しいときめきがあります。



 10月のポストカードです。隣町のにある造船所沖を写しました。【コメント欄はお休みしています。】

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