
【女房殿のいとこの作品】
広州市の中山大学を後にして、来た道を戻り、中山市の三郷(sanxiang、サンシャン)鎮に向かう。鎮とは町のようなものらしいが、詳しくはリンクをご覧いただきたい。

「郷」は簡体字では「乡」と書く。簡体字はだいぶ勉強してきたはずだが、これは知らなかった。
高速道路を出て、三郷鎮の町に入る。三郷鎮はちょっとした町である。ネットにも写真がアップされているが、実際はもう少し埃っぽかったようだ。
町の中心部を通って、少し行き過ぎたところに駐車して、裏通りに入っていく。裏通りには昔ながらの中国が残っている。

表通りから数分歩いたところに目指す家があった。

築300年だそうだが、そこまで古いかどうかはわからない。少なくとも100年ぐらいは経っていることは確かである。4年前までは親族が住んでいたが、今は空き家である。

新築時にはかなり立派なお屋敷だったことだろう。



上は Con 爺さんが持っていた写真である。1919-20年と書き込みがあるが、年代は信じていいだろう。Con 爺さんは後列中央右のようである。正面のドアは替えられているが、右側の窓は昔と変わらない。
上の写真と同じところで、約100年後にここ、父方のルーツである場所で女房殿が写真を撮ることになろうとは。感無量である。コスタリカからこの場所を訪れた Con 爺さんの子孫は今のところ、女房殿ただ一人である(中華料理屋の親父さんであった Tío Charlie を除く)。

玄関前にはタイルで覆われたスペースがあり、その向こうには庭と離れがある。人が住んでいたころは、庭の手入れも十分されていたことだろう。
離れの右の入り口のところがトイレになっている。ドアは初めからなかったのか、取り外されたのかはわからない。
トイレは、もちろん昔の中国式のトイレである。昔は闇夜でもこのトイレに行ったのだろう。現在は母屋の一角に西洋式のトイレが備え付けられていて、電気も通っている。

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