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スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
コスタリカ、メキシコ、ペルーのエピソード
パプア・ニューギニア、シンガポールのエピソード等

日本メキシコ学院の通学風景

2015-01-07 12:40:09 | メキシコ
  日本メキシコ学院はメキシコ・シティの南部にある。私立学校なので、ある程度以上の家庭でないと、とても子供をやれない。子供だけで徒歩や自転車で通学することはあり得ない。親がついていれば安心かというとそうでもない。富裕層の子供を狙った誘拐ビジネスもあるくらいである。路線バスでもやっぱり危ない。バスの中はいいとしても、バスを降りて歩いている間に狙われるのである。
 スクールバスもあったような気もするが、通学は親が自家用車で送り迎えするのが普通だった。学校の正門の前で降ろすのもだめで、敷地内に降車場所があるので、そこで降ろす。車が次々に来るので、さっさと場所を空けなければならないのだが、メキシコでは「行っていらっしゃい」程度のちょっとした別れの挨拶でも、キスをするのが習慣である。中には念入りにキスする親子もいて、ますます混雑に拍車がかかるのである。

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日本メキシコ学院

2015-01-06 10:31:29 | メキシコ
 日本メキシコ学院は日本からも教員が派遣されているので日本国文部科学省からは日本人学校扱いされている。しかしながら、メキシコ人の子弟にはメキシコ文部省のカリキュラムに従ったメキシコ・コースもあるのである。1991年当時、メキシコ・コースの高校(だったと思う)には当時の大統領カルロス・サリーナスの子弟が通っていた。
 当時の組織は次のとおりであったかと思う。
幼稚園(メキシコ・コース)
小学校(日本コース)、小学校(メキシコ・コース)
中学校(日本コース)、中学校(メキシコ・コース)
高校(メキシコ・コース)
語学部(メキシコ・コースの日本語教育担当部門)
国際交流部門(学院全体の交流担当)
 筆者は日本コースの国際交流担当で、学院全体の交流部門とは立場が違っていた。
 現在の状況は以下のHPを参照されたい。
 http://www.liceomexicanojapones.edu.mx/ 

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メキシコへ

2015-01-05 10:46:22 | メキシコ
  ペルーに1年滞在した後、1年のブランクを置いて、1991年にメキシコに赴任することになった。メキシコ・シティにある日本メキシコ学院(Liceo Mexicano Japonés)の国際交流ディレクターに任命されたのである。
 日本メキシコ学院は日墨学院とも略称されていたが、「墨」の字がいかんということで、「日本メキシコ学院」と呼ぶよう、学院のお偉方からお達しがあった。
 妙に漢字の知識があるメキシコ人が、自分たちは墨のように黒くはないというのがその言い分で、下手をすると人種差別にもなりかねないということで、「墨」の字を使ってはいけないことになったようである。
 そもそも、メキシコの中国語表記は「墨西哥」で、日本語でもそれを借用したに過ぎない。「墨」の字がいけないというなら、中国人に文句を言えと言いたいところだが、まさか中国大使館に掛け合うわけにもいかないのだろう。結局、日本メキシコ学院のお偉いさんのところに文句が行ったわけであるが、確かに、中国では「倭」はもちろんのこと、「匈奴」や「鮮卑」などのように、周辺の異民族に対して悪い意味の漢字を当てはめることがある。「墨西哥」は悪い漢字ではなくても、いいイメージでもないと思う。 

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メキシコのガソリン PEMEX 社

2014-06-14 09:44:51 | メキシコ
 車を動かすには燃料が必要である。
 1990年ごろのメキシコのガソリンは、NOVA(ラテン語 novus「新しい」の女性形。スペイン語では nueva に相当)という鉛を除去していない安いのと、MAGNA SIN(sin は英語の without に相当する前置詞)という鉛を除去した高いものの2種類があった。今は NOVA はもうないという話を聞いたが。
 NOVA については、次のようなジョークがある。
 NOVA は安いだけあって、走りがよくない。それに名前も悪い。NOVA は no va に通じる。つまり「行かない」という意味になる。NOVA を入れると、車が走らないというわけである。
 メキシコの石油会社は国営の PEMEX 社のみで、社名は Petróleo Mexicano(英訳は Mexican Petroleum)の縮約形である。実は、この会社の看板はあの「ターミネーター2」にも出てくるのである。ジョン・コナーと母親のサラ・コナーが国境を越えて、メキシコに入ったところで給油する場面があった。
 
 【PEMEX 社のホームペジより】 
 ついでにいうと、ターミネーターのキメ台詞 “Hasta la vista, baby”(スペイン語で「また逢う日まで」)も、この映画で爆発的に有名になったのである。アメリカではスペイン語を知らない子供でも、これだけは知っているようである。

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メキシコ・シティーの小型タクシー

2014-06-11 12:39:19 | メキシコ
  ここで、ちょっとコスタリカから離れて、メキシコの交通事情を紹介しよう。
 メキシコ・シティは大都会である。メキシコには国際交流ディレクターとして文部省より派遣された。待遇は日本人学校の校長クラスで、マイカーを持てた。確かに便利ではあったが、バスや地下鉄に結局乗る機会はなかった。贅沢なことだが、ちょっと残念だった。
 ラテンアメリカでは公共交通機関にはスリがいるものと思っておいた方がよい。家内も一度地下鉄で被害にあっている。というわけで、お出かけはタクシーかマイカーが安全である。
 マイカーで出かけるといっても、当時(1992年ごろ)、カーナビーなどあるわけもなく、まずは地図を見て大体のところを覚える。しかし、実際に走ってみないと覚えられない。いきなり、マイカーを繰り出すと迷子になる確率大である。ということで、マイカーがありながら、最初は通勤に使うだけだった。用事があるときは、まずタクシーに乗って道を覚える。それから、マイカーで出かけるのである。メキシコ・シティーは大都会だけあって、流しのタクシーも多いので、タクシーを呼んだ記憶はない。
 メーターはちゃんとついていて、メーターに細工をしたようなタクシーには幸か不幸か、当たらなかった。車の大きさも日本同様のものもあるが、フォルクスワーゲンのビートル(一見、軽自動車風だが、パワーは十分)を改良したタクシーは他の国では見られない。ドアは運転手側を除くと、一つしかない。本来なら、後部座席に座るには助手席を倒して入らなければならない。客が一人なら問題はないが、二人の時は、どうしても入るのが面倒だ。それで、助手席を取り除いて、後ろに二人入りやすいようにしてある。小型車だから、三人乗ると窮屈である。料金はどうだったか、はっきり覚えていないが、普通サイズのタクシーよりいくらか安かったような気もする。
 この後部座席のみのワーゲン・タクシーに、日本人学校の同僚が奥さんと(二人ともいいガタイをしている)子供3人(未就学児童)で乗ったことがあるそうな。

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スイーツ(dulce)

2014-03-04 12:24:35 | メキシコ
 甘いものが好きなのは何も女性だけではない。ラテンアメリカでは男女を問わず、甘いものが好きなようだ。メキシコのお菓子は気持ち悪いぐらい甘いものが多かったような気がする。
 季節の甘いものもある。
 今では日本でも有名になったが、イタリアにはパネトーネと呼ばれている大きな菓子パンのようなものがある。ペルーでもクリスマスケーキのようなもので、panetón と呼ばれていた。お手伝いの少女はこれを食べて、チョコレートを飲むのが、最高のクリスマスの過ごし方だと言っていた。チョコレートを飲むと言っても、どろっとしたココアを飲むようなものだ。パネトーネもチョコレートもやはり砂糖がたっぷり入っているのだろう。ちょっと気持ち悪くなってくる。
 ところで、メキシコのグアナフアトは独立戦争に関連した、有名な町である。
   
【「トリップ・アドバイザー」より】
 なぜか、この町は宍戸錠主演の日活映画「メキシコ無宿」(1962年)の舞台にもなっている。
     
   グアナファト やって来たぜよ エースのジョー
 映画そのものはいい加減な設定で、映画評論家の評価は低いが、当時の雰囲気が伝わってくるので、筆者は好きである。そのグアナフアト郊外の山にミイラ博物館がある。ここで、お土産として売られていたのが、ミイラ飴である。味は飴そのものだが、色と形をミイラ形にしたものだ。形はエジプトのミイラのように普通に寝ているような形である。ミイラ博物館で見たミイラは、ミイラになってから100年経っていないような、意外と新しい、いってみれば「イキのいい」ミイラで、座っているのが多かったようだ。
 これに比べるとペルーのミイラは年季が入っていたが、ミイラ飴は土産物になっていなかった。
 メキシコでは11月1日に死者の日(Día de Muertos)を祝う。日本のテレビでも紹介されているが、生者も死者も区別なく交流できる感じの日である。小学校でも死者の日には骸骨模様の服を着たり、ドクロの形の砂糖菓子や、様々なデコレーションで楽しんでいる。もちろん死者をしのぶのであるが、日本のように湿っぽくなく、あくまで明るい。
 ドクロの砂糖菓子に相手の名前を書いて、プレゼントするのも普通の習慣である。決して「早く死ね」という意味ではない。
            

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レストランの営業時間など

2014-02-27 11:09:33 | メキシコ
 レストランの昼食の営業時間だが、コスタリカやペルーでは日本と同じようなもので、何の不便も感じなかったが、メキシコでは開店時間が早くても午後1時。2時開店も普通で、最初のころは知らずに12時ごろ出かけて行ったものの、1時間も待たされて大変だったこともいい思い出である。
 お目当ての日本食レストランの従業員に Marco という男性がいたが、女性従業員が「まるこちゃーん」と呼んでいた。「ちびまるこちゃん」はまだテレビ放映されていなかったが、漫画ですでに有名になっていたのか、それとも、日本人が親しみを込めて、「ちゃん」をつけて呼ぶのを聞いて覚えたのだろうか。

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チップ

2014-02-26 12:02:54 | メキシコ
  メキシコはさすがにアメリカの隣で、チップ社会である。床屋でも、散髪してもらった後は、店に料金を払うのだが、それとは別に理髪師にもチップを渡していた。
 スーパーで買い物した後はレジ袋に詰めるのだが、メキシコでは子供が袋詰めをしてくれる。チップは日本円にして1円かそこらでしかないのだが、1日仕事をすると結構な額になるのだろう。袋詰めなどは自分でできるのだが、雇用創出ということで気持ちよくやってもらった。これらの子供たちが泥棒になるよりはずっとましである。
 メキシコ・シティで信号待ちをしているときに、さっと勝手に窓ガラスをふいてくれたりするが、やはり嫌な顔をしないでチップを渡すのが常識のようである。ぼろい車に乗っている人はこの限りではないが。窓を拭く少年の代わりに、交差点で火吹き男もよく目にした。ガソリンを口に含んで吐き出し、火をつけるのである。危ない仕事だが、このようにしてチップを稼がざるを得ない人もいる。
 女房殿はゴミ収集人にもチップを要求されたと言って憤慨していたが、コスタリカではありえないことだそうだ。
 メキシコでは何らかの形でチップを稼いでいる人たちがいるので、物乞いはあまり目にしなかった。ペルーではあまり物乞いは見なかったが、当時、爆弾騒ぎが日常茶飯事だったので、安心して物乞いできなかったかもしれない。
 コスタリカは日本同様、チップを気にしなくても済むのがいい。また、ペルーやメキシコほど貧富の差が大きくなく、これら両国より貧乏人のレベルが高いと思うのだが、逆に物乞いはいた。子供には小銭をやったことはないが、年寄りには喜捨したことはある。「神様の祝福がありますように」(Diós le bendiga) というような礼を言われたことが記憶に残っている。

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Tzin Tzun Tzan

2013-09-29 10:25:33 | メキシコ

Tzin Tzun Tzan, Tzin Tzun Tzan, Have you ever been in Tzin Tzun Tzan?
 パーシー・フェイス楽団による“Tzin Tzun Tzan”「ツィン・ツン・ツァン」という曲の出だしである。1950-51年のコロンビア・レコード時代にシングル盤(もちろんSP)として発表されたものである。パーシー・フェイスというと、「夏の日の恋」(Summer Place)が代表作で、甘美なストリングスが魅力である。ところが、“Tzin Tzun Tzan”はストリングスではなく、管楽器も入ったオーケストラで、さらに歌も入っている。この曲は最近ではまず耳にすることはない。筆者が最初に耳にしたのは2005年ごろだっただろうか。もちろん、CDの中の一曲であるが、CDの一曲目に収録されていた。当時はそこそこヒットしたのだろう。
 さて、若いころ、筆者はロック派だったが、年を取るとイージーリスニングがいい。パーシー・フェイスのCDを検索していたら、たまたま写真のCDに行きついたわけである。そこに、何と“Tzin Tzun Tzan”という曲があるではないか。もちろん、こんな曲を知っているはずもないのだが、名前だけは知っていたのである。知っているどころか、行ったことがあるのである。




 1991年のこと。メキシコのほぼ中央部に位置するミチョアカン州にパツクアロ Pátzcuaroという湖がある。そのそばにTzin Tzun Tzanという何やら中国人の名前のような、小さな町がある。町というより寒村といったほうが適切だが、実は、昔はここにタラスカ王国があって、Tzin Tzun Tzanはその首都だったとのこと。アステカ王国の侵略に立ちふさがっていたそうで、当時の遺跡がある。


といっても、ピラミッドのような立派な遺跡ではなく、低い城壁っぽいもの残っているだけで、筆者が訪れたときは、観光客も全然いなかった。観光ガイドに遺跡があると書いてあったので、行ってみたのだが、城壁のそばに牛がいて、のんびり草を食んでいた。何やら、ピンクフロイドの名盤『原子心母』のジャケット写真を思わせる。
 
 原子心母
 それにしても、何でこんなさほど有名でもない町がアメリカ人作曲のメキシコのご当地ソング(全然、ラテンっぽくない)になったのだろうか。メキシコのご当地ソングは「グアダラハラ」、「ベラクルス」、「アカプルコの海」、「ティファナ・タクシー」などが有名だが、これらと比べると、「ツィン・ツン・ツァン」はどうにもマイナーである。




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好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。



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