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スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
コスタリカ、メキシコ、ペルーのエピソード
パプア・ニューギニア、シンガポールのエピソード等

Con 爺さんと息子たち

2017-05-08 20:08:37 | 香港・マカオ・広東
 
 【三郷鎮の実家付近にて】 
  三郷鎮にある Con 爺さんゆかりの家をあとにしなければならない。この家にはコスタリカで知り合いになった、女房殿のおじたち(コスタリカの中華料理屋のおやじさん、Tío Charlie と中山大学教授のキンおじさん)も暮らしていたはずである。
 築100年以上の古い家であるが、容一族の聖地のようなものなので、このまま保存してもらいたいものである。
 
 中国では市街地にある古い建物は再開発で取り壊されることがあるが、そうならないことを願うばかりである。三郷鎮は大都会ではないので、しばらくは大丈夫だとは思うが。
 
 ところで、Con 爺さんが初めてコスタリカへ行ったのは、独身時代である。様子を見に行ったのだろうか。一度、帰国して、中国人女性と結婚した。
 
 この時代の中国は辛亥革命(1911年)のあとの混沌とした時代である。軍閥が割拠していた時代で1928年まで続いている。
 広東省は辛亥革命の中心人物、孫文の出身地である。三郷鎮は孫文出生の地から15キロほどしか離れていない。ひょっとしたら、孫文も三郷鎮辺りまで足を伸ばしたことがあるかもしれない。孫文の故居が三郷鎮から近いことを知ったのは、もちろん帰国してからのことである。また三郷陳を訪れる機会があれば、今度は孫文の故居も訪ねてみたいものである。
 そんなわけで、広東省は辛亥革命の重要な舞台の一つであり、三郷鎮あたりの情勢も不穏だったことと推測される。
 さて、Con 爺さんは中国人妻との間に二児をもうけた。長男が後にコスタリカで中華料理屋を開業することになる Tío Charlie で、次男が中山大学民俗学の教授になった。
 Con 爺さんは妻を残して、二人の子供とともに再度、コスタリカへ行った。妻を国に残した理由や経緯は今となってはわからない。
 Con 爺さんはそのままコスタリカにとどまる。その後、子供たちが成長し、Con 爺さんは、二人の息子をアメリカへ留学させる。ところが、長男(Tío Charlie)はギャンブル好きで、金を使い果たしてしまう。しかたなく、コスタリカへ帰国。その後、中国へ帰って、結婚し、子宝にも恵まれる。ところが、やはり戦禍を避けて、再びコスタリカへ。妻と子供を残してきた理由や経緯は不明。
 
 【長男、Tío Charlie】
 Tío Charlie は再度、コスタリカへ渡る前にマカオへまず逃げ込んだものと推測される。というのも、現在、次男がマカオに住んでいるからである。この次男が今回の中国への旅に同行してくれている。
 Tío Charlie が再びコスタリカへ渡って、中華料理屋 Hoi Fan(海帆)を開業していた1979年に筆者は Tío Charlie と知り合いになったわけである。
 一方、次男はアメリカ留学を終えたあと、中国へ帰国。
 
 【次男、中山大学教授】
 辛亥革命のあとの混乱は収まっていただろうが、今度は日中戦争の時代である。汪兆銘の南京政府、蒋介石の重慶政府、毛沢東の延安政府が鼎立していて、汪兆銘は日本、蒋介石は英米、毛沢東はソビエトがそれぞれ支援している。
 三郷鎮あたりの情勢はよくわからないが、30キロ南のマカオには多くの難民がなだれ込んでいるので、やはり不穏だったことだろう。
  次男は文化大革命にも巻き込まれたはずで、激動の人生を送ったことと思われる。現在は穏やかな老後を送っているようである。またお会いして、いろいろ面白いお話が聞ければいいのだが。

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三郷鎮の家

2017-05-07 20:49:20 | 香港・マカオ・広東

 
 【女房殿のいとこの作品】
 
 女房殿の父方の祖父が住んでいた家にやってきた。100年前の写真を見ると、大家族だったようで、さぞにぎやかだったことだろう。
 おもむろに家の中に入る。天井がずいぶん高い。正面の上のほうに写真が飾ってある。
 
 中央が Con 爺さんである。その左が最初の中国人妻で、右が母親とのこと。一番左に小さな写真があるが、高くてよく見えないので、だれなのかわからない。
 写真の下の方には立派な扉があったそうだが、残念なことに訪問の数日前に泥棒に入られたとのことで、女房殿のいとこはひどく落胆していた。たぶん立派な彫刻があったのだろう。古道具屋で売りさばく魂胆だろう。
 ついでに、庭の植木鉢もいいのが持っていかれていた。木を引っこ抜いて、植木鉢だけ持っていかれた。
 Con 爺さんたちの写真をちょうど見上げるあたりに机が置かれていた。
 この机の左側の壁には下の写真のような装飾があった。
 
 この装飾の下に椅子があり、その上にはご先祖様を祀る道具らしきものが載っていた。
 
 この部屋の左右にも部屋がある。左側は台所になっている。
 
 【台所】
 奥のほうには新しく取り付けられた西洋式のトイレがあった。
 台所から2階に行けるようになっているが、階段が古くなって危ないので、上には行けなかった。たぶん寝室だったのだろう。
 
 【下から2階を望む】
 正面の部屋の右側の部屋にも2階へ続く階段があった。
 
 上の写真は正面の部屋の天井近くの壁の装飾である。ご先祖様は土地の有力者だったのだろう。そのせいもあったのか、Con 爺さんは戦禍の中国を逃れてコスタリカへ行ったのだが、その経緯は後ほど。
 興味は尽きないけれど、あまり帰りが遅くなっても困る。そろそろ引き上げようかと思ったとき、ご先祖様の写真を見上げる位置にある机にふと目をやると、マカオの新聞が置いてあった。
 
 見出しに「海帆」の文字がある。これは Con 爺さんの長男である Tío Charlie (Carlos)がコスタリカ、サンホセ市郊外のサンペドロ地区に開いていたレストランの名前である。
 
 【Tío Charlie (Carlos)】
 新聞記事を読むと、「陳海帆」というのは人名らしい。後日、調べてみると、マカオの行政法務司司長の名前だということがわかった。画像があるので、興味のある方はご覧いただきたい。普通のおばさんである。
 「海帆」はよくある女性名なのだろうか。「海帆」はTío Charlie の中国人妻の名前だったのだろうか、それとも、初恋の人、はたまた、愛人の名前だったのだろうか。謎は深まるばかりである。

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三郷鎮へ

2017-05-06 20:19:04 | 香港・マカオ・広東

【女房殿のいとこの作品】
 広州市の中山大学を後にして、来た道を戻り、中山市の三郷(sanxiang、サンシャン)鎮に向かう。とは町のようなものらしいが、詳しくはリンクをご覧いただきたい。
 
 「郷」は簡体字では「乡」と書く。簡体字はだいぶ勉強してきたはずだが、これは知らなかった。
 高速道路を出て、三郷鎮の町に入る。三郷鎮はちょっとした町である。ネットにも写真がアップされているが、実際はもう少し埃っぽかったようだ。
 町の中心部を通って、少し行き過ぎたところに駐車して、裏通りに入っていく。裏通りには昔ながらの中国が残っている。
 
 表通りから数分歩いたところに目指す家があった。
 
 築300年だそうだが、そこまで古いかどうかはわからない。少なくとも100年ぐらいは経っていることは確かである。4年前までは親族が住んでいたが、今は空き家である。
 
 新築時にはかなり立派なお屋敷だったことだろう。
 
 
 
 上は Con 爺さんが持っていた写真である。1919-20年と書き込みがあるが、年代は信じていいだろう。Con 爺さんは後列中央右のようである。正面のドアは替えられているが、右側の窓は昔と変わらない。
 上の写真と同じところで、約100年後にここ、父方のルーツである場所で女房殿が写真を撮ることになろうとは。感無量である。コスタリカからこの場所を訪れた Con 爺さんの子孫は今のところ、女房殿ただ一人である(中華料理屋の親父さんであった Tío Charlie を除く)。
 
 玄関前にはタイルで覆われたスペースがあり、その向こうには庭と離れがある。人が住んでいたころは、庭の手入れも十分されていたことだろう。
 離れの右の入り口のところがトイレになっている。ドアは初めからなかったのか、取り外されたのかはわからない。
 トイレは、もちろん昔の中国式のトイレである。昔は闇夜でもこのトイレに行ったのだろう。現在は母屋の一角に西洋式のトイレが備え付けられていて、電気も通っている。
  


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中山大学構内のレストランにて昼食

2017-05-05 19:53:27 | 香港・マカオ・広東

 【女房殿のいとこの作品】
  中山大学内のレストランに入る。女房殿のおじさん一家といとこ一家に筆者夫婦の総勢10人以上である。大きなテーブルに案内される。ここには日本でもおなじみ(日本発祥)の回転テーブルがある。
 着席すると程なくスープが出てきた。3センチほどに切ったとうもろこしが入っている。あまり中華っぽくない。早速スープを口に運ぶと、予想どおりまったく中華の感じがしない。味付けも薄く、塩が入っているのかいないのかというほど、塩味がしない。出汁は骨付き牛肉から取っているようで、肉の味がする。
 これはコスタリカの olla de carne(オージャ・デ・カルネ、「肉鍋」の意)と同じ味ではないか。
 
 【olla de carne】
 小さな茶碗にolla de carne のとうもろこしとスープだけを入れたようなものである。中華料理でこんなスープは初めてである。何故、コスタリカ料理のようなスープがあるのだろうか。
 ここ広州市はマカオから約100キロの距離である。中国で100キロは近い。マカオにはポルトガル人が持ち込んだポルトガル料理がある。その中に olla de carne のような料理があるのだろう。それが伝わったと考えるのが妥当ではないだろうか。
 スープの次は肉料理、魚料理などが次々に出てくる。この辺りでは珍しくないのだろうが、日本人には珍しいハト料理が出た。小さなロースト・チキンのようなものである。スープ以外はやっぱり中華である。香港、マカオで食べなれた広東料理である。あまり脂っこくなく、さっぱりした味付けで、おいしい。
 四川料理も北京料理もおいしいが、毎日食べるとなると、さすがにきつい。ところが、広東料理は別である。
 キンおじさんも年のわりにはよく食べる。ゆっくり昼食を楽しんだ(またご馳走になった。前日の昼食から3回連続である。ただし、ホテルの朝食を除く。)が、そうのんびりはできない。このあとは来た道を戻り、マカオの約30キロ手前の中山市三郷鎮というところへ行く予定である。他の親戚を訪問するのかと思っていたが、実は女房殿のルーツとなる場所を訪れるのであった。
 
 キンおじさん一家に別れを告げる。またここを訪れる機会があるだろうか。キンおじさんとは今生の別れになるかもしれない。名残惜しいが、今日中に香港に帰らなければならない。中山大学をあとにした。

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キンおじさん

2017-05-04 20:09:04 | 香港・マカオ・広東
 
 【女房殿のいとこの作品】 
 女房殿のおじさんの娘に案内されておじさんのアパートの中に入る。マカオのいとこのアパートは狭かったが、ここは広い。部屋もきれいに整頓されている。家具も立派である。書棚にはおじさんが書いた本も並んでいる。おじさんは中国の少数民族を研究する民俗学者であった。
 
 【若かりしころのおじさん。コスタリカ、サンホセ市郊外のサンペドロ地区の中華料理屋の親父さんの弟。コスタリカの親戚の間では「キン」と呼ばれていた。漢字では「夐」。日本語では「ケイ」だが、広東語では「キン」なのだろう】
 おじさんの母語は広東語のようだが、普通話もできる。英語はあまりできないらしい。コスタリカにも一度行ったことがあるらしいが、スペイン語はできないようだ。筆者とは仕方なく、普通話で簡単な会話のみである。
 名刺もいただいたが、名前だけは簡体字で書かれていた。肩書きは正字(繁体字)であるだけに、違和感ありありである。
 マカオでもらったいとこたちの名刺はちゃんとした正字だったのだが。このおじさんも本当は正字で名前を書きたかったのではないかと想像する。
 写真でもお分かりのようにかなりのインテリ風である。70年も前の貧しかった時代の中国でネクタイを締めた写真を撮っている。
 
 上の写真は毎度おなじみの Con 爺さん(女房殿の祖父)であるが、キンおじさんと同様、ネクタイを締めて写真を撮っている。貧しい農民だったら、とてもこんな写真は撮れないだろう。実は爺さんもアメリカ留学の経験があったとか。
 また、キンおじさんの兄(コスタリカ、サンホセ市郊外のサンペドロ地区の中華料理屋の親父)もアメリカ留学の経験がある。かなりのインテリ一家である。
 中華料理屋の親父さんの息子の一人は中国で高名な書画家である。 
 ところで、聞くところによると、Con 爺さんは国共内戦のころ、戦禍を避けて、コスタリカへ移住したらしい。中国人妻との二人の息子のうちの一人も同様にコスタリカへ行って中華料理屋の親父になった。
 ところが、キンおじさんだけは中国に残った。国共内戦に続いて、文化大革命も起こっている。その当時のことはとても聞けない。ひどい目にあったのか、何とかやり過ごしたのかは、知る由もない。
 それはともかく、女房殿はこのキンおじさんに初めて会ったのである。感激ひとしおで、そばで見ていた筆者も少々ウルウルしてしまった。
 コスタリカのサンホセ市郊外の中華料理屋「海帆」(Hoi Fan 西 La Vela)の親父さんが女房殿のおじさんだということがわかったときは驚いたが、まさか40年近くたってからこのおじさんの弟に会いに中国へ行くことになろうとは夢にも思わなかった。あのおいしい中華料理を作ってくれたおじさんの弟が大学の教授だったとは……(絶句)。
 
 【Restaurante Hoi Fan の親父さん(故人。コスタリカの親戚には Tío Charlie と呼ばれていた)の若かりしころ。キンさんの兄】
 キンさんの年齢を考えたら、これが最初で最後の可能性が高い。たとえ一度だけであっても、これは奇跡的である。当初、会う予定はなかったのだから。
 しばし歓談(通訳を交えて)する。キンおじさんの奥さんに日本語で挨拶されたのには驚いた(一言だけだったが)。そろそろ昼食時である。大学構内にある食堂へ向かう、徒歩5分ぐらいのものだが、キンさんも年齢のわりには足が丈夫である。杖なしで歩いている。
 大学構内の食堂だから、庶民的な店である。時刻は1時を回っていた。

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広州市中山大学へ

2017-05-03 19:29:50 | 香港・マカオ・広東


 珠海市から約100キロ、高速道路を走って広州市で出る。高速料金は60~70元(1000円前後)だった。日本よりはずいぶん安い。支払いは女房殿のいとこの息子が中国元のキャッシュでしてくれた。こちらは香港ドルしか持ち合わせていない。
 高速を出て、町に入る。大都会である。
 
 【中山大学の近く。立派な乗用車が多いが、まだこんな自転車もある】
 目指すは中山大学。女房殿のおじがこの大学の教授だったとか。現在95歳で、すでに退官しているが、教員宿舎にはそのまま住める。
 中国の大学は何度か訪問したことがある。そのうちの一つは東北部の黒龍江大学だったが、だだっ広いこと。大学が壁に囲まれていて、壁の中には店もあり、壁の中で生活できる。大学が一つの町のようだった。
 中山大学はどうだろうか。大学を探すが、レンタカーにはカーナビも付いているので、道に迷うことはない。大学は幹線道路沿いにあったが、道路の左側である。中央分離帯もあるので、左折できない。一度行き過ぎてから、信号でUターンする。
 
 門はいくつかあるが、車はこの門からは入れない。受付のある門を探して、入構手続きをする。許可は出たが、門を少し過ぎたところで停車させられたので、また、ぐるっと回らなければならない。バックはできない。
 やっとのことで中に入れた。中山大学は黒龍江大学ほどではないにせよ、やっぱり広い。校舎はどうなっているのか全くわからない。教員宿舎に直行する。宿舎のまん前には駐車できないので、適当なところに駐車して少し歩く。気温は暑くもなく、寒くもなく、ちょうどいい。周りには木が鬱蒼と茂っていて、気持がいい。
 
 女房殿のおじさんが住んでいるのもこのタイプである。事前に電話で連絡してあるので、宿舎前でおじさんの娘が待っていてくれた。
 宿舎にはエレベーターもある。1階ではないが、わりと下のほうだった。それでもエレベーターを利用した。
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珠海市から中山市経由で広州市へ

2017-05-01 17:50:24 | 香港・マカオ・広東

  マカオを出て中国本土に入る。ここは広東省珠海市である。
 マカオは車は左側通行だったが、中国本土は右側である。中国本土では右ハンドルの車は通行できないのかどうかは知らないが、ここでレンタカーを借りることになっている。オフィスは徒歩15分ぐらいのところである。女房殿のいとこの家族は何度も来ているのだろう。出入国管理事務所を出ると左の方へスタスタ歩いていく。小雨が降っているが、傘をさすほどでもない。道も広く、車も多い。信号もちゃんとあるし、見る限りでは車も信号を守っている。
 やや脇道に入ったところに目指すレンタカーの会社があった。
 
  
 前日から全然お金を使わせてもらっていないので、ここのレンタカー料金の支払いはこちらで持とうと思ったが、VISA のクレジットカードは扱っていないとのこと。しかたなく、女房殿のいとこの息子に払ってもらった。
 車は5人ゆったり乗れる大きな乗用車である。手続きを済ませて、出発する。珠海の市街地は車も信号も多く、なかなか進まない。やっと抜けると、高速道路に出た。ETC があるのかどうかはわからないが、高速の入り口でチケットを受け取る。
高速に入ると順調である。だんだん標高が高くなってきたようだ。山も見えてきた。雨はやんだようであるが、遠くの山は霧に煙っていて、水墨画のようである。
 川もいくつか越える。
 左手には高速鉄道が走っているのも見える。
 
 高速道路沿いの高層ビルの壁に「俊朗○○」という看板も見えた。「俊朗」という名前の友人がいるが、まさか彼の会社ではあるまい。日本人経営の会社の可能性もあるが、中国語の普通名詞の可能性もある。そのときは調べがつかなかったが、帰国してから調べてみると、「俊朗」という中国語の形容詞があった。「目鼻立ちが整い、朗々とした声をもっている」という意味である。「俊朗」さんは中国ではいい名前である。
 まだ、目的地の広州市には着かない。この看板のあたりは中山市であろう。
 「中山」とは「孫中山」のことで、国民党も共産党も国父として扱っている。孫中山はこの辺りで生まれている。中山がつく地名は中国や台湾各地に多く見られる。 
 孫中山は日本では「孫文」という名前で有名である。
 
 【孫文(孫中山):ウィキペディアより】
「中山」という号は日本人の姓「中山」に由来するのだが、詳しくはリンクをご覧いただきたい。
 この中山さんはそんじょそこらの中山さんではない。中山忠能というお方で、明治天皇の外祖父に当たり、大正天皇の養育係も勤められている。
 
 【中山忠能:ウィキペディアより】
 ということで、中国における最高の日本人の名前は「中山俊朗」ということになろうか。
 ちなみに、最低の日本人の名前は「米田共」である。何故そうなのかは、この名前を縦書きにして圧縮するとわかるはずである。

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マカオ出国、中国入国

2017-04-30 18:32:57 | 香港・マカオ・広東

【女房殿のいとこの兄の作品】
 ホテルを出て、中国との境界の出入国管理事務所に向かう。ものの5分で着いた。
 ここまでは女房殿のいとこの息子の車である。出入国管理事務所には大勢の人がいた。聞くところによると、中国本土のほうが物価が安いので、買い物に行く人が多いのだそうだ。
 前々日から毎日国境を越えている。もう手続きには慣れた。マカオの手荷物検査を終えて、出国手続きをする。マカオ、香港、中国本土及び台湾在住の人のゲートは多く、すいすい流れる。その他のパスポート所持者のゲートは少なく、人の流れも遅い。いとこたちは簡単に出国手続きを終えて、筆者たちを待ってくれている。
 マカオの出国手続きも香港同様、入国カードの控えを渡すだけで、出国のスタンプを押してくれない。ここまではポルトガル語の表示もある。出国手続きのゲートの係官は西洋人風の顔立ちだった。手続きが終わって通過するとき、Obrigado(西 Gracias)と言ったら、ちょっとうなづいていたようでもあった。
 出国手続きを終えて、いとこたちと合流し、人の流れに従って少し歩くと、そこは中国側の入国手続きである。ここからは漢字も簡体字になり、ポルトガル語の表示も消える。何となく、いやな感じである。
 10年以上前、中国に行ったときはビザが必要だったが、短期の旅行は今ではビザなしで行ける。入国手続きもマカオ出国と同様、その他の外国人のゲートは別で、やっぱり流れがやや悪い。心なしか、マカオや香港の係官より愛想が悪いような気がする。無事、通過して、いとこたちと合流し、税関を通る。
 税関では申告するものはないし、荷物もほとんどないので、すんなり通る。
 表に出ると、そこは中国で、さすがに広々としている。
 この町は珠海という名前で、高速鉄道の駅もあるが、最初の目的地、広州市にはレンタカーで行くことになっている。すでに予約しているらしい。

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中国本土に向かう日の朝

2017-04-29 18:21:32 | 香港・マカオ・広東
3月22日(水)
 6時半、起床。小雨。まだ暗い。日没が遅い代わりに、日の出が遅い。
 
 
 【ホテルの部屋から】
 8時半に女房殿のいとこと彼の息子の嫁さんが迎えに来てくれる手はずになっている。
 ホテルは朝食込みだが、朝食は8時からである。食堂に行って、席に案内される。
 マカオも公共の場所は禁煙のようである。
 
 ここでもポルトガル語の表示がある。英語は一番下になる。
 「禁煙」はポルトガル語では“É proibido fumar”となっているが、スペイン語ではほとんど同じ“Es prohibido fumar”である。発音もほとんど同じである。音節末の[s]音を発音しない地域もあるので、そうなると全く同じである。「禁止」を表す ポルトガル語の proibido は教養のないスペイン語話者がつづりを間違えたような感じである。
 直訳英語では“It is prohibited to smoke”ということだが、英語の fumigate (煙で燻す)は fumar の関連語である。  
 さて、朝食はビュッフェ形式である。中国風のおかゆもあるし、焼きそばのようなものもある。わざわざ洋風の朝食を摂る気はしない。
 あまりゆっくり食べている暇はないが、せっかくのリッチな朝食なので、急ぎたくもない。結局、8時半を少し回ったところで、部屋に戻り、フロントに行ってチェックアウトとする。カード払いなので、マカオの現金は必要ない。マカオの通貨単位はパタカというそうだが、結局目にする機会はなかった。
 ロビーにはすでに女房殿のいとこと息子の嫁さんが迎えに来ている。
 出発前にトイレを済まそうと思って、ロビー近くのトイレに行ったが、部屋のカードキーをタッチしないと入れない。すでにチェックアウトしているので、トイレに入れない。我慢できないほどではないので、中国との境界の出国管理事務所ですることにした。
 ホテルを出ると、外は小雨である。折り畳み傘を持っているが、さすは必要ない。早速、車に乗り込む。車はいとこの息子が運転してくれる。
 中国の広州市と中山市を車で訪れる予定であるが、中国は車は右側通行なので、中国本土との境界までは自家用車で、境界を超えてから左ハンドルの車をレンタルして行くことになっている。 

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マカオの大衆食堂にて夕食をご馳走になる

2017-04-28 20:01:36 | 香港・マカオ・広東

 
 【マカオ在住の女房殿のいとこの兄は著名な書画家だそうで、展覧会も開いている。画集も出版しているそうだ】
 ホテルにチェックインして部屋に行く。なかなかいい眺めである。もう7時近いが、まだ明るい。女房殿のいとこの息子の嫁さんが子供2人(次男と三男)と一緒にホテルまで車で迎えに来てくれた。
 レストランはすでに予約してくれているが、その前に息子夫婦の長男が通っている
私立中学校へ迎えに行く。学校のまん前に車をつける。学校といっても、グラウンドは見えない。会社が入っていそうな高層ビルが学校である。東京のど真ん中にもこんな大学があったはずである。
 学校は7時に終わる。朝も普通に早くからやっていることと思う。公立の学校はどうか知らないが、マカオの中学生は大変である。
 マカオはポルトガル語も公用語になっているが、この学校では教えていないとのこと。
 しばらく待つうちに長男が出てきて、車に乗り込む。途中、“ambulância”(西 ambulancia、英 ambulance)と書いてある車を見かけた。サイレンは鳴らしていない。ポルトガル語を見ると、なんだかうれしい。救急車には“manter a distância”とも書いてある。スペイン語では“mantener la distancia”(英 keep distance、mantenerは英語 maintain と同語源のはず。手元の辞書には明記されていないが)である。
 manter はスペイン語の mantener だが、スペイン語の poner(英 put)はポルトガル語では pôr となる。女性単数定冠詞はスペイン語では la だが、ポルトガル語では a である。月はスペイン語の luna に対して、ポルトガル語は lua で、ポルトガル語はスペイン語にある音が結構脱落している。
 救急車とすれ違って、しばらくすると、レストランに着いた。レストランにはすでに女房殿のいとこ夫妻が来ていた。今度は大衆的な雰囲気のレストランである。
 今度は飲茶風ではなく、回転テーブルもない。大皿に料理が盛られて、次々に出てくる。肉あり、魚あり、野菜ありで、結構なご馳走である。味付けも広東料理で、比較的あっさりしていて、おいしい。
 出口の方をふと見ると、ドアの上に「出口」と並んで“SAÍDA”(西 salida)とも書いてある。英語は書かれていない。
 ここでもまたご馳走になってしまった。まだマカオで一度もお金を使っていない。満腹したところで、店を出て、ホテルに向かう。
 
 
 
 
 【ホテルの部屋から撮影】
 日もとっぷり暮れて、マカオの歓楽街の夜景が待っていた。
 明日はいよいよ中国本土へ女房殿のおじさんの訪問に行く。

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聖ポール天主堂跡近くの家具屋

2017-04-26 17:51:01 | 香港・マカオ・広東
 聖ポール天主堂跡から先ほど来た道を降りていく。登るときには素通りしたが、左手にアンティーク・ショップらしき店が見える。
 
よく見ると、ポルトガル語で“MOBÍLIAS”と書いてある。スペイン語では muebles(家具)の意味で、家具屋である。
 女房殿のいとこが立ち止まって何やら説明してくれる。通訳はいとこの息子の嫁さんである。
 実は、この店はかつていとこの母親(コスタリカ、サンホセ市郊外の中華料理屋の親父さんの中国人妻)が営んでいたとのこと。ずいぶん前に人手に渡り、その後も代替わりしていそうである。中に入ってのんびりしている暇はないので、残念ながら表から写真を撮るだけで済ませた。
 この店の前の道路にあったのが、下の写真のものである。
 
 高さ20~30センチ程度の小さなものだが、この土地の神様を祀ったものだろう。
  坂を降りきったところには聖ドミンゴ教会(玫瑰堂, 板樟堂、Igreja de São Domingos)がある。
 
【教会そばの標識】
 
【聖ドミンゴ教会】
 中に入るつもりだったが、午後6時を回っていたので、すでに閉門である。外で写真を撮るだけである。この教会には昨年、娘が訪れていたが、ショートパンツだったため、入場を拒否された。昔ながらの習慣を守っている。
 さて、この日は女房殿のいとこと息子家族たちと夕食も一緒に摂ることになっているが、その前にホテルに行って、一休みすることにする。
 ホテルはこの日の昼食を摂ったレストランの近くにある。そばにカジノもあるが、時間も早いので、まだ静かである。
 立派なホテルで1泊16000円ぐらいである。
 チェックインを済ませて16階(?)にある部屋に行くため、エレベーターに乗るのだが、部屋のカードキーをエレベーターの所定の場所にかざさないと、動いてくれないのである。不審人物が侵入するのを防ぐ、最新のセキュリティ・システムのようである。日本の一流ホテルでも普及しているのだろうか。 

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聖ポール天主堂跡とマテオ・リッチ

2017-04-25 21:04:37 | 香港・マカオ・広東
  Guia Hillの灯台から直線距離にして約500メートルのところにある聖ポール天主堂跡へ向かう。これも世界遺産である。坂を少し上るが、坂の下に駐車場がある。

 
 
 坂を上っていくと、教会跡がある。現在は正面が残っているのみで、奥のほうの建物は火事によって消失したとか。詳しくはウィキペディア「聖ポール天主堂跡」をご覧いただきたい。
 
 教会跡の奥のほうへは入れなかった。時間外だったようである。ゲートにはポルトガル系と思われる警備員が立っていた。ほかにポルトガル系らしき人物を見たのは中国へ出国するときの係官のみであった。
 教会跡の右のほうに小高い丘があるので、そちらへ行ってみた。すると、世界史の授業で習ったマテオ・リッチ(中国名:利瑪竇)の像があった。
 
 女房殿とツーショットを撮ったが、マテオ・リッチのことはご存じないとのこと。世界史で習わないようだ。筆者はもちろん名前ぐらいは覚えているが、マカオゆかりだったことはすっかり忘れていた。
 マテオ・リッチとお別れして、さらに丘の上を目指す。
 上のほうは要塞跡のようで、大砲が四方に向かって並べられていた。結構広い。
 
 
 
 【対岸は中国】
 このあたりもあの正男さんがかつて歩いたところだろうか。
 そろそろ日が落ちてきたので、砲台と教会跡を後にして坂を下りる。

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世界遺産の Guia Hill (東望洋炮台)へ

2017-04-24 21:26:52 | 香港・マカオ・広東
 女房殿のいとこ宅を出て、マカオ市内観光に行く。いとこの息子の奥さんが車で連れて行ってくれる。この奥さんも3人の子持ちで40歳以上だが、30歳ぐらいにしか見えない。
 いとこ宅はマカオの北の中国との境界に近いが、観光地は街の中心にある。街の南の端にはマカオ・タワーがあり、「外縁を探索することが可能なスカイウォーク・Xと呼ばれるツアーも用意されている」(ウィキペディア「マカオ・タワー」より)。香港・マカオ訪問の数日前にBS放送で紹介されたスポットだが、年寄り向きではないし、時間も限られているのでパス。その少し北西に媽閣廟があるのだが、BS放送で紹介されなかったので、その存在さえ知らなかった。残念なことである。
 
 今回訪れたのはBS放送で紹介された2つのスポットである。1つは Guia Hill (東望洋炮台)である。
 
 【入り口の看板】
 
 【看板そばの大砲。城壁の上の向こうのほうに灯台と教会がある。】
 大砲の右のほうに上へ続く道がある。そこを登ると目的地である。
 
 教会の上の広場にはいくつか大砲がある。
 
 丘の上から西のほうに夕陽をバックにした珍しい形のビルが見える。
  
入り口の近くには龍の形に剪定された庭木がある。
 
 ここは入り口にゲートはあるが、入場無料なので、地元住民の散歩コースになりそうである。
 さて、暗くならないうちに、次の目的地である聖ポール天主堂跡へ向かう。この誓うには聖ドミニコ教会(Igreja de São Domingos、西 Iglesia de Santo Domingo、中 玫瑰聖母堂)もある。

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Con 爺さんの子供たちの姓など

2017-04-22 20:41:57 | 香港・マカオ・広東

【壮年期の Con 爺さん】
  Con 爺さんは最初、中国人女性との間に2人の男児をもうけた。彼らは Con 爺さんの中国名「容麟啟」の姓、「容」を継いでいる。
 Con 爺さんはその後、コスタリカに渡って、まず黒人女性と関係を持ち、子ももうけた。それが女房殿の父である。この女性は男出入りが激しく、他の男の子供も生んでいる(このばあさんには一度だけ会ったことがある)。
 この女性と別れたあと、Con 爺さんは白人女性とも関係を持ち、7人もの子供も作っている。ただし、最後のほうの2人はあまり中国人とのハーフっぽくなく、疑惑が持たれているが。
 それはともかく、彼らはみんな Con 姓を名乗っている。「容」(Yong)の姓はどこかへ消えてしまっている。 
 女房殿の父親も Con 姓かと思ったら、全然中国っぽくないスペイン風の姓を名乗っている。ありふれてはいないが、珍しくもない。このあたりの経緯は「じいさんの姓は“Con”、息子の姓は“Elizondo”」と「“Con”じいさん」をご覧いただきたい。
 中国人妻との間に生まれた息子たち、黒人女性との間の男児、白人女性との間の多くの子供たち、彼らは腹違いとはいえ、兄弟になるのに、それぞれが別の姓を名乗っているのである。
 さて、話はマカオ在住の女房殿のいとこの息子の嫁さん(英語ができるので通訳してくれている)に移る。彼女の姓はローマ字表記では Leong である。漢字表記は「梁」ではないかと想像するのだが。この姓は普通話のピンインでは Liang と表記される。ウィキペディアでは「梁」の広東語の発音は Loeng となっているが、「梁(姓)」の項目の初めに「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です」と書かれている。Loeng ではなく、Leong の間違いの可能性もある。
 ところで、女房殿によると、コスタリカの中国系住民には León 姓を持つものが結構いるとのこと。León とは「ライオン」のことで、スペインでは珍しい姓ではない。中国広東の Leong さんがコスタリカに行って、いかにも中国風の Leong から発音が似ている León に変えたのだろう。

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「容」さんのローマ字表記 Yong, Yung, Iong

2017-04-21 20:51:33 | 香港・マカオ・広東

【若かりしころの Con 爺さん】
 Con 爺さんの中国名は「容麟啟」ということが判明したが。Con という名はどこから来たのかまだわからない。1980年ごろコスタリカには日本留学経験のあるドクター・コン(Doctor Con)という中国系医師がいた。彼は女房殿の一族ではなさそうだが、Con という中国系の姓は確かに存在する。
 ところで、Con 爺さんには中国にいたころ、中国人女性と結婚して子供を二人もうけている。一人はコスタリカ、サンホセ郊外のサンペドロ地区で中華料理屋 Hoi Fan (海帆、スペイン語名 La Vela)を営んでいた、女房殿のおじ Tío Charlie(Uncle Charlie)である。彼の中国名は「容觀植(Yong Kun Zik)」で、「容」さんである。コスタリカでは Carlos Yong Kon Jak(ハク)という名で登録されていたらしい。女房殿に教えてもらったが、不正確なところがあるかもしれない。
 Con 爺さんの奥さんは「鄭舊」という名前だったことも、今回わかった。「鄭」は日本語読みだと「てい」だが、「鄭」が「コン」と読まれることはまず考えられない。広東語のローマ字表記では Zen となっている。普通話のピンイン表記では Zheng で、カタカナ表記では「チェン」が近いだろうか。
 いったい、Con という名前はどこから来たのか、謎が深まるばかりである。
 ところで、「容」のローマ字表記は Con 爺さんとその子の Tío Charlie の場合、Yong だったが、Tío Charlie の子(女房殿のいとこ)である「容繩○」は Yung とつづっている。ところが、その息子の名刺には Iong と書かれていたのである。てっきり long (龍)かと思ったが、小文字の l ではなく、大文字の I だったのである。これでも「ヨン」と読める。漢字表記だとみんな「容」で別に何の問題もないが、親と子と孫では全部ローマ字表記が違うが、不都合はないのだろうか。
 

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