十人作った頭部のうち、一休宗純が一番大きい。ということは、一休が竹竿の先に掲げるしやれこうべも、それなりの大きさにしなければならない。顎の骨は取れてしまってない方が自然だろう。一休の時代は、しやれこうべくらい、ちょっと土を掘り返せば、いくらでも出てきたろう。 一休と、臨済義玄、どちらを先に作ることにしたのか、すでに忘れてしまったが、いずれにしても臨済宗つながりである。一休は小学生の時に読んだ伝記がきっかけだったが、臨済義玄は“喝”といっている肖像画を見たのがきっかけで、その画には一休直筆の画賛が書かれており、そんな連鎖も私を後押しした。つまり臨済義玄を知ったのは最近のことで、予定外に、突然作り始めたこともあり、展示する場合は端の方にそっと、なんて書いた記憶がある。知らぬこととはいえ、実に失礼なことを言っていた。そこでいささか貫禄あり過ぎ、つまりボロではあるが、義玄の座像が充分入るサイズの厨子を入手した。