明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




十人作った頭部のうち、一休宗純が一番大きい。ということは、一休が竹竿の先に掲げるしやれこうべも、それなりの大きさにしなければならない。顎の骨は取れてしまってない方が自然だろう。一休の時代は、しやれこうべくらい、ちょっと土を掘り返せば、いくらでも出てきたろう。 一休と、臨済義玄、どちらを先に作ることにしたのか、すでに忘れてしまったが、いずれにしても臨済宗つながりである。一休は小学生の時に読んだ伝記がきっかけだったが、臨済義玄は“喝”といっている肖像画を見たのがきっかけで、その画には一休直筆の画賛が書かれており、そんな連鎖も私を後押しした。つまり臨済義玄を知ったのは最近のことで、予定外に、突然作り始めたこともあり、展示する場合は端の方にそっと、なんて書いた記憶がある。知らぬこととはいえ、実に失礼なことを言っていた。そこでいささか貫禄あり過ぎ、つまりボロではあるが、義玄の座像が充分入るサイズの厨子を入手した。



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様々なことをすっかり忘れてしまうわりに成功体験を忘れないのが日本人である。ロシア艦隊を破ったせいで、役立たずな巨大戦艦を作ったり、64年の東京オリンピックが忘れられない。私も競技自体は心躍った甘美な夢として記憶しているが、その挙げ句の東京の変わり様は、私から故郷への愛着を失わせ、東京がどうなろうとほとんど関心がない。ただし東京湾が控える東側は、季節の変わり目など懐かしい空気の匂いがする。 昨日、かつての飲み仲間が集まったので人形の首九つ持っていく。鯉に乗る琴高仙人を忘れた。この調子で頭部を仕上げていき、夏には一斉に身体部分に取り掛かる予定である。明日には一休が竹竿に掲げるしやれこうべを作る予定にしている。後は龍か。となると本物の虎は合わないだろう。こうやって風に流され、予定の着地点と違うところに立つことになるだろう。そして初めからここが予定の着地点だった、という顔をするのである。



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複数の頭を同時に作り進めるのは、順ぐりと何順もしながら仕上げて行けるので良いことは判っていたが、10個もあるなんて初めてである。毎朝、本日のターゲットを決める。本日は一休宗純。臨済宗、風狂つながりで、つい手を出してしまったが、子供の時に読んだ伝記で感心した門松や、の“目出度くもあり目出度くもなし”から寒山拾得の ”笑いであり笑いでない“謎の笑みに思い至り、ようやく寒山と拾得の頭部制作に取り掛かれた。 一休の肖像画は数々描かれているが、中に赤鞘の長い、佐々木小次郎どころでない太刀を傍らに置いたのがある。何だろう、と思ったら、竹竿にしやれこうべだけでなく、こんな物を持って人々を驚かせていたらしい。そんな物もいずれ手掛けてみたいものである。 写真を初めて発表した時に、ある編集者が、被写体を目の前に置いてあるのに実写と間違えた。そんなつもりではない、と翌年作家シリーズに転向した。作り物にしか見えないよう、元々嫌いであった私小説家は避けたが、それでもリアル方向に行ってしまいがちであったが、陰影を削除する手法に至り、またここへ来て、実写と間違えたら、間違えた方が悪い、というモチーフにようやくたどり着いた。



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アポロ11号の乗組員の食事内容が、毎日、新聞に載っていたような記憶があるが、これは何だ?と思ったのがオートミールであった。それがここのところ、良くテレビで見るのでようやく入手、以前から朝食に、カツオダシ、塩こうじ、ごま油、海苔でお粥を作って食べていたが、オートミールでやってみると、できあがりも早いし、今後もこちらで行くことにした、ただ、普通の物が売り切れていて、砕いてある物だったので、糊状になり、若干舌切り雀感があるので、普通のオートミールを買うことにする。 頭部だけでおおよそ出来ているのが10個もあると、一つに集中し過ぎて道を踏み外すこともなく、新鮮な気分のまま進められる、こうして全体的に仕上げを進めており、三、四順目、一休禅師。子供の頃、左卜全そっくりだと思ったが。それにしても、禅宗に、肖像画や木造を遺す、という習慣があったおかげで、驚くほど昔の肖像が、鏑木清方並みのリアルさで残されていて助かる。一休も、肖像画と木像を頭の中で折衷案を引き出しながら制作している。竹竿に掲げるしやれこうべも作らなければならない。しかし禅宗といえども開祖、臨済義玄ともなると、後年描かれた肖像画しかなさそうである。



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一回イベントでバレエを観ただけで、翌年2002年デイアギレフ、ジャン・コクトー、ニジンスキーで個展をやってしまった。ご丁寧に、オイルプリントという、すでに廃れた技法で。あの頃は無謀で私も若かった、と遠くを見る目をしていたのだが、現在制作中のラインナップを冷静に眺めて見ると、暴走度合いはさらにアップしているではないか?養老孟司いうところの“人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている”この仕組みに、小学生じゃあるまいし龍なんか作るかよ、と抗っていたら、学芸会でヤマタノオロチを作るきっかけになったキングギドラをテレビで観てしまった。そして奴が、まるでヤクの売人のように”頭に浮かんだのに、いつになく抵抗してるじやねえか?“なんていうのである。物心ついて以来、お馴染みの快感物質に取り憑かれたらお終いということであろう。もっとも残り時間も少なくなってきた。無理することは止めよう。



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龍を作ることになった。小学校では、基本的に授業と関係ないことはしてはならないことになっていたが、学芸会となれば別である。人形劇ヤマタノオロチ対スサノオ。といってもオロチの首一本をストッキングに口を開け、紙粘土で角や牙を作った。あと七本の首は絵。どう考えても”レッドスネークカモン“の東京コミックショーのパクリである。 他に大国主命が登場する紙芝居もやった。大国主命が脱糞している絵を描いた覚えがあるが、あれは何だったのか?検索したらすぐに判った。体の小さい少彦名神(スクナビコナノカミ)と大国主命は我慢比べをし、少彦名神は土を運び、大国主命はうんちを我慢しました。結局、大国主命が負けて、その場で脱糞してしまう。小学生にはウケたに違いない。 その他にも私の作、演出で、劇などいくつかやった覚えがある。こんな時、ジャイアンみたいな奴は、どのグループからも声がかからず、一人ポツンとしている。慈悲深い私は声をかけ仲間に迎え入れた。そしてクシナダヒメや、悪い博士の3番目の手下役を割り当て、赤面せずには口に出来ないセリフをいわせ、教室内は溜飲を下げた連中の喝采に満たされた。



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朝寝ぼけながら、昨日作った仙人の首もあっという間に出来たなあ。と作った時の心持ちを思い出しながら目が覚めてきて、そんな仙人は作っていなかった、と気付くまで、時間がかかった。昔から良くあったのは、まずいことをしでかしてしまった、どうしよう、と悩みながら問題を端から潰して行くと、何もしでかしてなかった、とほっとする、実に厄介な寝起きである。ホッとしたついでに龍を作ることに決めた。 小学生の時、映画館でキングギドラを観て学芸会で、八岐大蛇の一匹分の頭を作り、八岐大蛇VS須佐之男命の人形劇をやった。度々ブログで龍についてブツブツいっていたが、龍なんか作ったら小学生から進歩が無さ過ぎ、と抵抗していたが、そんな先日、テレビを点けたら『キングオブモンスター』をやっていてキングギドラを観てしまった。こういった“天啓”は逃さず拾って来た私である。そこまでして貰ったら?作らない訳に行かないだろう。考えるな感じろ、と別なドラゴンもいっている。



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寒山拾得が、人や物事の二面性、また矛盾を体現させた物ならば、寒山と拾得それぞれに矛と盾を担当させることをしなかったのは何故であろうか?いやもう充分であろう。そもそも”考えるな感じろ、を“ブルース・リーに教わるまでもなく、天からぼた餅が降って来るのに任せ続け、へそ下三寸辺りの自分を信じて来た私である。ここまで来て、寒山拾得相手に、性能の悪い表層の脳を持ち出すのは止めておこう。 それにしても、中国の説話を読んでいると、当時日本はまだ弥生時代だったたりする。中国が上から日本を見るのも仕方ないとも思えるが、人間の細胞も6、7年で入れ替わるという。すっかり別物だろう。もっとも日本の幕末、日本を訪れた外国人の見聞記を読むと、繁華街でさえ大きな声で話す人はおらず、ソヨソヨと話声がし、そのせいで下駄の音ばかりが目立って聞こえたというから、外で大声で酔っぱらう連中を考えると、日本もすっかり細胞が入れ替わってしまったといえよう。



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先日、爪は伸び、髪はボサボサの寒山拾得になぜ髭がないのか。星の数ほど描かれて来たのに。理由がなければおかしい。 寒山拾得について多く語られるように、私もその不可解な笑みだけを問題、また重要視してきたが、二面性どころか、人間のあらゆる矛盾が人間の形で表現されて来たのが寒山拾得ではないのか。 つまり笑顔のようで笑顔でなく、老人のようで老人でない。また愚者のようで愚者でない。間違いない。もっともそれに気が付いたところで、私の寒山と拾得がそう変わるとは思えず、座り心地の良い座布団とそうではない座布団の上に座って作った程度の違いしか出ないかもしれないけれど、結果は必ず違って来るだろう。そして個展会場では、例によって初めから知っていてそう作りました、という顔をする予定である。

 

 

 

 



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少々やらなければならないことがあり、朝目が覚めて、すぐに手にしないように寒山と拾得の首をタンスの上に置いて寝る。目を覚ますとまず手を伸ばし、制作中の何かを手にしてしまうと、もう一日はそれで決まってしまう。目が覚め、寝ぼけながら手にしなければ、他のことが出来る、はずであったが、結局、我慢できずに寒山と拾得の首を手にしてしまった。 最初寒山と拾得は、兄弟でも何でもないので、違う顔であったが、多くの作品のように、同じような顔がケラケラ寄り添っていた方が面白いと思い、二人似たような張り付いた笑顔に変えた。 映画『シャイニング』に双子の姉妹が出てくるが、テレビの解説、水野晴郎だったかが、アメリカ人は、ダイアン・アーバスの双子の姉妹の写真が思い出されて、あのシーンは恐く感じる、みたいなことをいっていたのを思い出す。 似た顔にして良かった。朝タンスの上の寒山拾得を手にしたからだ。おかげでその分、やれなかったことがある訳だけれども。



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寒山と拾得の頭部が出来たということは、通常なら、次は拾得の持つ箒を作る。目測で作るのだが、ジャズ、ブルースシリーズ時代、ギターのサイズを何度か間違えた。ただでさえ面倒で、やっと作って親指弾きを楽しみにしていたウエス・モンゴメリーは、しかたなく、大き過ぎたギターは後ろの壁に立て掛けるハメとなった。なのに懲りずに何でも目測である。箒の材料はすでに目星を付けてある。予定では荒く枝を括っただけのような物にしたい。そういえば金魚の水槽の中にも、ミニチュアの箒を入れておいたが、気が付いたらブラシの部分が金魚に食われていた。 寒山と拾得のヘアスタイルは、老人ホームのザンギリ頭が参考になる。あまりに酷く、植木屋の小僧がアルバイトで切ってるんじやないか、と母の髪は私が切るようにしていたが、待ちきれない母は、自分で切ってしまうのだが、すっかり上手になってしまった。



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対策  


寒山拾得は、笑っているようで笑っていない、笑っていないようで笑っている。見りゃ判るだろ、といえばそれまでだが、どちらか判然としない表情は気持ちの良い物ではない。そこには人間の、または物事の二面性を象徴しているのではないか。これは一休禅師の“目出度くもあり目出度くもなし”に思い至らなければ、未だにボンヤリ水槽の金魚を眺めていただろう。 寒山と拾得、どちらが寒山で拾得か、なんとか決まった。ここまで来れば、すでにおおよそ完成している計10個の頭部の精度を上げながら、虎をどうするか考えることにする。1猫を虎に変える。猫が思ったようにポーズしてくれない。2粘土で作る。最低二種は作らなければならず、気が進まず。3動物園の虎を撮影し使う。(エドガー・アラン・ポーのモルグ街の殺人でオランウータンで経験済み)立ち姿、寝姿、共に撮れそうだが、この場合、龍を作って龍虎図が出来ない。作らなければ済むのだが。



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クラスターが発性した母の居るホームから連絡があり、必要ある人は入院を済ませたということだろう。発症者はもう居ないということであった。アクリル越しの面会が可能になるという。母は発症しないまま元気だそうである。アメリカ在住の妹に知らせると、妹はワクチンを打たないという。  詳細な部分を残し寒山と拾得の頭部、どちらが寒山で拾得かは決まっていないが、おおよそ頭部出来る。方向性が決まってからはスムーズだったので、表情違いを作ることも考えたが、仙人ではないものの、妖精に近いキャラクターである。その表情は張り付いたように常に変わらず、の方が良いだろう。ただし、写真作品は数点制作する予定である。髪は人形用の髪を貼り付け、場面に応じて動きを出したい。 これで残る問題は虎であるが、おいおい考えることにする。

 



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