今まで制作した噺家は三遊亭圓朝と古今亭志ん生である。相撲界でいえば常陸山と双葉山を作ってしまったようなものであろう。臨済義玄と一休宗純の頭部を作ってしまい、こうなると、禅宗の大本、達磨大師がいないのはむしろ不自然な気がしてくるが、しかしただ座禅する達磨は、どうも食指が動かない。ただ一つそそられるモチーフがある。雪舟が描いた国宝、『慧可断臂図』(えかだんぴず)“達磨が少林寺において面壁座禅中、慧可という僧が彼に参禅を請うたが許されず、自ら左腕を切り落として決意のほどを示したところ、ようやく入門を許された“という場面である。壁に向かい横向く達磨にこれも横向きの慧可が切断した自分の腕を持って情けない顔をして立っている。私が手掛けるならこれしかない。構図など、歴史的ならいにのっとった方がかえって面白い場合もあるが、この場合、手掛けるとしたなら、雪舟とは全く違う構図を考えた方が面白そうである。
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