複数の頭を同時に作り進めるのは、順ぐりと何順もしながら仕上げて行けるので良いことは判っていたが、10個もあるなんて初めてである。毎朝、本日のターゲットを決める。本日は一休宗純。臨済宗、風狂つながりで、つい手を出してしまったが、子供の時に読んだ伝記で感心した門松や、の“目出度くもあり目出度くもなし”から寒山拾得の ”笑いであり笑いでない“謎の笑みに思い至り、ようやく寒山と拾得の頭部制作に取り掛かれた。 一休の肖像画は数々描かれているが、中に赤鞘の長い、佐々木小次郎どころでない太刀を傍らに置いたのがある。何だろう、と思ったら、竹竿にしやれこうべだけでなく、こんな物を持って人々を驚かせていたらしい。そんな物もいずれ手掛けてみたいものである。 写真を初めて発表した時に、ある編集者が、被写体を目の前に置いてあるのに実写と間違えた。そんなつもりではない、と翌年作家シリーズに転向した。作り物にしか見えないよう、元々嫌いであった私小説家は避けたが、それでもリアル方向に行ってしまいがちであったが、陰影を削除する手法に至り、またここへ来て、実写と間違えたら、間違えた方が悪い、というモチーフにようやくたどり着いた。