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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



椿説弓張月、武藤太の責場だが、浮世絵調に配する馬琴の文章を大幅にカットした。あまり多いと読本の一ページのようだし、馬琴の文章はあくまで彩りである。 武藤太を後ろ手に縛り、十本の指を一本一本切り落とす。白縫姫とすれば、夫、為朝を売った憎い仇をできるだけ苦しめたい。鮮血こんこんと流れ出て、赤い色の泉のようで、指はまるで梅酢に漬けた生姜のよう。と表現が面白いが、三島は前を向いている予定だし、その後に打ち込まれる竹釘により悶絶している所であるから、断指の下りはカットすることにした。こう書いていると、私がいかにも残虐趣味を嬉しそうにしているようだが、いや確かに面白くはあるが、一般庶民は、浮世絵、歌舞伎のこんな仇討ち場面に溜飲を下げ、拍手喝采した訳で、私としても、陰影をなくす手法のお陰で、ことさら残虐な有様にしないで済むのだ、というわけなのである。三島歌舞伎では、本来赤い布を使うところを血糊を使い、飛び散る血糊のせいで毎日装置を塗り直すことになった。 ふげん社に行き展示方法の打ち合わせ。もちろんポケットには太宰の首。完成してから時間が経つとさすがにあれっ?ということはなくなるが、寺山修司が、フットボールを観たあとは赤い色が違って見える、みたいなことをいっていたような?つまりお菊人形じゃあるまいし、髪が伸びたり太宰の顔が変化する訳ではないが、自分が変われば世界も変わる。持っていないと気が来てはないのである。制作上、ちょっとした変化があった時、振り返ったら、棚に並んだ人形の顔が一斉に違って見えたことが実際にある。展示作品など大分決まる。

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