明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三重県の陶芸家N君から、地元の陶芸作家30人くらいで勉強会のため東京に来ていると電話。どこかで飲んでこれからラーメンを食べに行くが、その後会おうという。門前仲町で待ち合わせる。今日は国立近代美術館の工芸館に行ってきたそうである。一般人でも可能かは知らないが、料金を払うと収蔵された名品を目の前で見られるらしい。ちなみにN君の作品も1点収蔵されている。 二年に一度くらいでも、十代からの付き合いともなると、しょっちゅう会っている気がする。昨日から携帯電話に番号を入力しているが、6歳ほど年上で、トラック運転手をしてお金を貯めて同級生になったMさんは、沖縄で立派な工房を建ててやっていたはずだが、以前は出たのに検索しても何の情報も得られない。電話番号は判ったが使われていないという。どうしても死んだのではないか、と考えてしまう。そんな話をしていてM君が地元でよく会う鳥羽で制作しているMさんに電話しようという。Mさんには三島の『潮騒』を制作したとき、昔使われた海女着を探して送ってもらった。都築響一氏のコレクションで知られる鳥羽の秘法館の館長の姪である。当時11PMに出たのを見てあまりにユニークな人物だったので隣の部屋のMさんに話そうとしたら、皆までいうなとばかりに「私のオジサンなの」といわれた。電話では姑が認知症になった話が止まらず。そんな話をする相手がいないのかもしれない。また後日。N君は弟子を取って工房を譲りたいという。少々驚いたが、そんなことを考えるような年齢になったということか。

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』


HP

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