中学生になりはまったのは、ともに没後50年を迎えた大人向け乱歩と谷崎である。谷崎の場合は大映の増村保造や市川崑のいわゆる谷崎モノである。当時のスターは脱ぐことはなくすべて吹き替えで、バスタオルがはらりと落ちたり鏡に映るたび体格が変わったが、中学生は気にしない。谷崎で1作といったら未だに『春琴抄』だが衝撃的だったのは、老人の性を始めて描いたといわれる『瘋癲老人日記』である。教科書に名前の載る作家が、と唖然としたがこんな濃厚な日本人がいたのかと感心して尊敬した。 先日、神奈川近代文学館の谷崎潤一郎展を見に行って、亡くなる前に、次回作の構想を練っていたことを知った。それは老人が妻や子供たちと離れ若い女と暮らし、過度の淫蕩の果てに狭心症で死ぬ。つまり腹上死であろうか(通常ほとんど腹下死だと聞いたことがあるが)。さすがとしかいいようがない。しかも誕生日の晩餐を存分に愉しんだのが原因で、腎不全を起こして亡くなったというからイメージ通りである。 私はかつて三島由紀夫が様々な形で死んでいるところを制作したが、作家が亡くなっていようと、本人に見せてウケたい、という妄想にもとづいている。谷崎も同様であり、昨日書いた展覧が実現しなければ谷崎かな、とも考えるのだが。乱歩の場合はたとえ盲目の殺人鬼『盲獣』を演じてもらっても、とぼけた表情で人事みたいな顔をさせて切り抜けたが、谷崎の場合はそうもいかないのが難しいところである。
没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品
神奈川近代文学館 4月4日~5月24日
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