明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



Kさんの23針のおでこの傷は、よく見たら逆さでなく、テーブルの角の形に、大きな“へ”の字そのものであった。おでこに“へ”と書いてある人物と、吹き出さずに会話は可能であろうか。戒めのため、一生刻印されていて欲しいものだが、どうもこのオジサン回復が早い。聖路加病院で縫ってくれたのは美人の女医さんだそうで、痛がりながら、それにかこつけ女医さんの背中を触っていたらしい。こういうときKさんは必ずいう「だけど怒らなかったよ?」。非番の深川警察の婦警の太股を触ったときもそういっていた。本日は抜糸だったのだが、女医でなかったことを残念がったメールがきた。 昨日は真面目に三島について書いたが、今日の方がアクセス数が多いのは判っている。制作についてのHPのつもりが、Kさんでアクセスアップしてどうする、という複雑な気分である。そもそもドラマの濡れ場で瞬間視聴率が上がるように、Kさんが登場するのが何故判るのか、ネットの仕組みが良くわからない。 何度でもいうが、実際のKさんは、そんな良い物ではない。事実をそのまま書いては、とても品位が保てない。ではなんで毎日のように会っているかというと、これが良く判らないのだが、Kさんは普通人に隠すような自分の欠点を、すべて周囲にバラしてしまう。自分を良く見せたい、という部分がまるでない。こんな人は初めて見たし、今後も会うことはないだろう。つまり内容はともかく、悪い人でないことだけはハッキリしている。それにKさんの横にいると、私が自動的に紳士に見える。



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昨年の個展『男の死』は本来、今年やるつもりだったのを開催したこともあり、想定していた作品をすべて作り切れなかったが、それでもバランスだけはとるつもりでいた。しかし『仮面の告白』が素材満載の作品であり、そのせいでバランスが取れなかった。『仮面の告白』に対し『憂国』にもっと重心をかけるつもりであった。 三島はどれか一つ、といったら『憂国』を読んで欲しいといっているが、これ一つといわれても私は素直に聞くことができない。というのも新潮社の全集に入った、60年に同性愛誌に変名を使って掲載された『愛の処刑』である。この体育教師と生徒の話を翌年、将校と妻の話に、文学性を高めて書き直されたのが『憂国』といってよいのだろう。『愛の処刑』は青年(作中は少年だが)に見られながら腹を切りたい、という願望がそのまま描かれた作品であり、『楯の会』の会員などはどう受け止めたのであろうか。7日に出る雑誌『紙の爆弾』のニッポン越境問答で、一水会の鈴木邦男さんとお話させていただいた際、新潮社版全42巻を読破された鈴木さんに伺ってみたかったが、聞いてはいけないような気がして伺えなかった。そこで阿佐ヶ谷ロフトAのトークライブの後の二次会で、意を決して伺ってみたが、意外にも特別どうということないようなお返事であった。私の中に『判りました。行っちゃっていいんですね?』とアンドレ対前田の時の前田日明のようなセリフが浮かんだ。私が手掛けるなら『憂国あるいは愛の処刑』ということになる。つまり当然2・26決起将校と、部下の兵との話ということになる。実はこれ一作のみで、『男の死』というタイトルで制作しても良いくらいの大ネタであろう。



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夜中にTV東京『田原総一郎の遺言2012』を観る。かつてTV東京の社員であった田原総一郎が制作した、伝説のドキュメンタリー番組があった。水道橋博士が田原を日本初のAV男優だといっていたが、番組内でセックスする田原総一郎。出演者を追い込む様子など、今見ると考えられない過激さである。発売になるDVDの宣伝番組であったが、これはダイジェストではなくノーカットで観たい。そのまま新春ロードショー『お墓に泊まろう!』「テレビ東京のバラエティー制作陣が見るテレビ東京」をテーマに、激変するメディア環境下のテレビマンたちの葛藤と信念をユーモラスに描く」だそうだが、実につまらなかったが、私が始めてTVに出たのが忘れもしない東京12チャンネル時代の『麻世の真夜中デイト』という、川崎麻世が司会の番組であった。まだオールナイトフジ以前の深夜番組で、演歌のコーナーでは扇ひろ子が歌った。新番組でまだ誰も観ていないのに視聴者からのハガキが着ていた。収録は遅れに遅れ、私は出ないというのに、疲労感漂うスタジオで私とディレクターのやりとりを見つめるスタッフ。これに負けて出演させられた。そういえばこの時、人形運ぶのに付きあってくれたのが脳腫瘍になったSであった。サラリーマンなので遅くなって文句をいっていたが、三人組のアイドル『パンジー』のミニスカート姿を間近で見られたから良かっただろう。

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新年  


31日より実家。個展が決まってから一度も帰っていなかった。距離は近いが、なにしろ寝床に本をしいて寝心地を悪くして、睡眠時間を削っていたくらいなのでしかたがない。三島が被写体となった『男の死』がどうやら永久に出る可能性がない、ということになると、石塚版『男の死』で昨年個展をやる必要はなかったのではないか、という気もするが、『中央公論Adagio』で4年間依頼された人物を作ってきたことと、三島の命日である11月25日がキャンセルになっていたことで、急遽個展を決めたのであったが、やれることはやれる時にやっておこう、と震災の影響も間違いなくあったろう。おかげで前年の自分が想像しなかったものを作る、という課題はクリアした。暮れには鈴木邦男さんのおかげでトークライブに登壇という変わった経験もした。今年はというと、三島で作りそこなったものも作り足していきたいが、できれば個展も続けたいし、ユーチューブで制作風景などの映像もアップしてみたい。他には人形の撮影方法のワークショップなど開けないものか、なとと考えている。  母と向田邦子のドラマを観ているところへ高校の同級生Sから電話。彼は昨年久しぶりに電話をかけてきたと思ったら、脳腫瘍で手術をしたといい、築地の癌センターに通っているという。しかし個展会場に現れた彼は、どういうわけかお洒落に変身していた。開頭手術がセンスに影響与えた、と私は本気で思っている。それはともかく彼の用件は、同級生のYが暮れの28日に脳梗塞で倒れ、右半身に麻痺、という連絡であった。

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