明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三島由紀夫に対してある人が書いている『彼はいつも顎にぐっと力をいれていた。まるで、それ以外の生き方を知らないかのように。』なるほど、と思わせる文章である。しかし果たしてそうであろうか。 世の中には作家の著作や人となりを研究している人は沢山いるわけだが、こと作家の姿形、特に顔に関して、私ほど真剣に見つめてきた人間はいないだろう。三島は確かに刀を構えたり筋肉を誇示したり、力を入れて写真に撮られることが多かったのは確かである。しかしいつも顎に力を入れて、というのはどうだろうか。 三島は自分でも『私の顔は曲がっており、正面から見ると、便所の古草履みたいに、長刀型になっている。』といっているが、正確にいうと顎が曲がっている。近いところでいえば、つまみ枝豆やともさかりえと同タイプである。三島は噛み合わせがずれているかのようだが、それが自動的にギリリと歯軋りし、ぐっと力をいれているように見えるのではないか、と思うのである。 一日何もなかったからといって、ただ書けばいいというものではないだろう。ということになってしまった本日のブログであった。

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先日入稿した現役作家I氏の作品だが、ご本人の返事待ちというので木場公園に桜の撮影に行こうと、腹ごしらえにT屋へ寄るとS運輸を定年のKさんが飲んでいた。かみさんにオニギリ二つ作ってもらうと、Kさんも行く、というのでついでに花見。軽く撮影してノンビリしていると、子供連れのお母さんで溢れる。自転車や乳母車を桜の根本に止めてどうする。乳母車を眺めろというのか。本日も乳母車の列が映画『ベンハー』の戦車に見える私であった。 一度帰宅するとI氏よりOKが出たとのメール。久しぶりに『私が作っているのは誰でしょうクイズ』をやってもよかったが、時間がなく、ヒントを出す余裕がなかった。来月単行本の表紙に。 ゼップ東京へ。ライターの妹尾みえさんと待ち合わせ2階の指定席へ。開始と同時にステージに向い、演奏中、ずっとマディ・ウォータースの爪先に触ろうとジャンプしていたなどというのは昔の話である。 ジョニー・ウィンターついに来日。現在誰が観たいといって、他に思い付かない。最近のコンディションを知人から聞いて、一度は諦めたのだが、ただ椅子に座りっぱなしというだけなら問題はない。登場すると60代とは思えない老人となっていた。予想はしたが抱えるギターはヘッドレスの小さな韓国製ギター『レイザー』。本人は良い音だ、とお気に入りのようだが。バックの音が大きすぎ、ジョニー・ウィンターの歌とギターが埋もれ気味である。しかし思ったより元気で、お馴染みの曲を休む間もなく連発。これは観ておいて良かったかも、と思っていると、一度引っ込み、ジョニー・ウィンターといえばこのギター、の『ファイアー・バード』を抱えてスライドを弾き始める。会場一挙にヒートアップ。こちらの方が危なげなく何十年も聞き続けてきた音で、やはり観に来て良かった。演奏しっぱなしで、なんの愛想もなく終る。 この辺りは早仕舞いで何の店もない。バーミヤンを見つけて入る。みえさんとは久しぶりに森羅万象?について語り合う。終電で新木場。タクシーで帰る。T屋を覗くとHさんが座敷で寝転がってTVを見ている。開けてもらって3時まで飲む。

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昨日の『日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展』の展示作品の中に安本紅陽の名前を見つけた。 04年、夢野久作の『ドグラマグラ』の資料にと『九州帝國大學醫學部寫眞帖』を入手した。昭和6年の卒業アルバムである。昭和6年といえば久作がドグラマグラのまさに執筆中で、記者として九大に出入りしていた時期であり、校内の様子、授業風景とともに、久作が登場人物のモデルにした教授や、出版記念会に出席した教授達の直筆サインの入った写真が貼り付けてある。その撮影者が、安本紅陽なのであった。 さらに興味深かったのが、昭和6年といえば遠藤周作の『海と毒薬』で知られる、太平洋戦争中に起こった『九州帝大生体解剖事件』の発案者の卒業した年なのである。墜落し捕虜にしたB-29の搭乗員を、生きながら肺など各臓器を摘出し、代用血液として海水を注入し死亡させた忌わしい事件だが、卒業の14年後、軍医見習士官となり、生体解剖を母校に持ちかけたのが小森拓である。アルバムの中に名前が見当たらなかったが、某医大図書館より昭和6年度の『九州帝國大学一覧』のコピーを取寄せると三月学士試験合格者の中に、『(元藤田)小森拓 佐賀』と書かれているのを見つけた。卒業後、藤田から小森へ名前が変わっていたのである。藤田は理事としてアルバムの制作も中心になって制作している。そして終戦間際、焼夷弾の直撃を受け、破傷風により死亡している。  編集後記には、『写真は関西に於いて令名のある博多安本紅陽サンの作、扉の写真は郷土芸術(?)として、博多の地方色のよく表はれてゐる『博多にわか』の面と我等の大学の帽章との二つより校正された、三一年型の光藝術上の面白い紅陽サンの傑出した習作。』とあった。

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“日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展” 10時に東京都写真美術館へ。田村写真の田村さんが声をかけ10人ほどが集合する。これだけのピクトリアリズム作品が集まるのは初めてであろう。壮観である。 明治頃から海外より様々な写真技法が流入し、大正時代にピークを迎える。当時は芸術として先行する絵画を手本にしていたこともあり、絵画主義などと称され、私が試みたオイルプリントのように顔料を使用する技法もあった。しかし作家の多くは富裕なアマチュアが多く、戦後写真で生活しようと、プロとして活動を始めたリアリズム派の若者からは、古臭いサロン写真とみなされ、時代と共に消えていくことになる。 絵画と違って、写真は1カットで作者が判るほど個性を発揮することの難しい手法である。しかし、展示されている作品は個性的な作品が多い。もちろん歴史的には貴重だが、必ずしも志が高いといえない作品もある。画家になりたかったが才能及ばず写真に転向した人物も少なくないだろう。しかし現在の眼で眺めると様々な試行錯誤を繰り返し、あげくに日本独自に発達した技術などもあり、独特のアプローチは興味深い。今になって海外からも注目されつつあるという。5月8日(日)まで。 この数十年後、被写体の人物を自分で作ってしまって、その頃の技術を使って表現する人間が出現するとは、連中も想像しなかったろう。

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三島作品制作のため二・二六事件について調べながら、気分を盛り上げるため集めていた関係者直筆の書、例えば陸軍大将真崎甚三郎、戒厳司令官香椎浩平、マレーの虎山下奉文等々だが、今時軍人の書などというものは、歴史的な人物といえど入手しやすく、サイン本と同じく、本人が書いて触った、と考えるとなんとも興味深いものである。 個展の賑やかしに、一緒に展示するのも一興かと考えていたのだが、最近妙な方向に脱線をはじめている。興味の中心は、明治維新前後に時代に置いていかれ、各地でクーデターを起こした尊王攘夷派のラストサムライ達である。洋装の人間とすれ違うたび、懐から塩を取り出し自身にふりかけ清めるような旧い連中で、三島が晩年九州に取材した神風連(しんぷうれん)などはその典型である。廃刀令に反対し、刀だけで鉄砲に向かっていき、ほぼ全滅。サムライはそうじゃなくっちゃ。というわけである。親類に総裁の直系の子孫がいる超過激集団、水戸の天狗党なども嬉しい。明日にも届くのは天誅組総裁、藤本鉄石の掛け軸である。鉄石に天心独明流剣術を教えた花房厳雄の絵はすでに入手済である。さらに先日入手した某人物の書の箱書きは頭山満であった。こんな話は団塊の世代に対し、少々腹に一物がある私の世代は、妙に盛り上がるのである。すっかり三島と無関係になりつつあるが、コレクションというものは無駄であるほど燃えるものである。  私が奥さんにコレクションの存在をばらしたことを、未だに根に持っている幼馴染のTの歯ぎしりが聞こえてくるようだが、まさかすべて捨てられるとは思わなかった。奥さんニコニコ笑ってたし。無駄ということに関してさらにレベルアップした物を、すでに集め始めていることは絶対いわない。

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一日  


オークションで落札した三島事件当時の週刊誌、三島由紀夫特集6冊届く。直後の各界のコメントには、トンチンカンな物が多い。三島の追悼文としては、何かで読んだ澁澤龍彦のものが、さすがに一番判っていると感じる。
『徹子の部屋』に今拓也、岩崎宏美夫妻。今さんはK本でよく会う。常連席に座っている所を向かいから見ると、蛾の中に蝶が1匹混じっているように見えると誰かがいっていたが、近くで見ると驚くほど色が白い、気取りのない好漢である。宏美さんが酔って帰ってきて床で寝るのは止めてくれ、といっていたが、おそらくK本帰りにもそういうことがあるのだろう。今さんには母と行こうと『レミゼラブル』のチケットを今年の始めに、すでに頼んである。
制作中のI氏像、ロクに寝ないで作っているが、8時頃になると近所の居酒屋から、運送会社を定年のKさんからのメールが来る。“仕事がんばって”。忙しいのを知ってるから、それだけだが、12時過ぎる頃になると再び“待ってたけどもう帰ります”と来る。 仕事を終って、あとは寝るまで飲む、という堅気の生活が長いKさんからすると、寝る寸前まで作り続け、時に道具を持ったまま寝てしまい、目が覚めたらそのまま作り始める、というようなケジメのまったくない、私のようなズルーっとした生活は理解が出来ないようである。たまに“気分転換に”というメールが来るが、“女がいなかったら死んだほうがマシ”とうKさんの、ロレツがまわらないまま、語り続けられる女性の話は、確かに気分転換に最適であり、夜明けごろには、こんな馬鹿々しい話をずっと聞かされていたのだ、寝て起きたら絶対作るぞ、という気にさせてくれる。

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撮影  


朝8時。ゴミを出したついでにT屋へ。カウンターには常連のタクシー運転手某さん。TVでは大相撲八百長問題。理事長は現役時代、休場は負けと一緒、とあえて出場し大関陥落。そして再出発の後、大関にカムバックした超が付く真面目人間である。でなければ、なかなかこうは行かない。星の貸し借りは八百長ではない、という勘違いしている理事までいるようなので、大掃除は大変であろう。その理事だって当然現役時代やっていたわけである。引退勧告された連中からすれば、他にもやっていた親方や、現役力士がいるのに、といいたいのであろう。口止めを条件にそれ相当の金を用意し、納得させるしかない。某さんは昔、栃錦の猛稽古を随分見たらしいが、柄の先を尖らした竹箒で、力士を突き刺して血が吹き出ていた、という。あいつらキ○ガイだ、と思ったほどの稽古だったらしい。先を尖らした竹箒って、竹ヤリに箒が付いている状態ではないのか。
2時に三脚を持って御茶ノ水のホテルへ。バーで背景の撮影。ここへ後日、現役の作家I氏の像を坐らせるわけである。編集者にI氏愛用の煙草を用意してもらい、グラスに氷とウィスキー。I氏はここを常宿としているそうなので、店の用意してくれたウィスキーも愛飲の銘柄なのであろう。狭い店内なので、おのずとアングルは決まり、一時間もかからず終了。このガソリン不足のおり、撮影に使用したウイスキーを捨てるということは、とてもできない。私が責任を持って処理。

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3時にT屋へ。主人のHさん。長女と長男、常連のkさんと私の5人で集合場所へ。隅田川の屋形船は8割以上キャンセルが出ているという。本日は広告業界のKさんが主催。以前門前仲町にあった立ち飲み屋の客が集まり、毎年屋形船を楽しんでいたようだが、今年はメンバーが集まらず、T屋に声をかけたということである。主催のKさんの挨拶に続き自己紹介。Hさんの「今年は酔っ払わないようにします」。に笑いが起きる。 桜もたいして咲いておらず、すれ違う屋形船は4隻ほどだったろうか。他に船もないのに波が高く、やたらと揺れる。どうしても地震を思い出してしまう。私は船酔いするので船釣りは絶対しないが、となりに坐るKさん、運送会社を勤め上げたが船は別なようで、私以上に弱く、終始子供がオシッコを我慢しているような顔をしている。本日は主催のKさんの仕切りで久しぶりに明るく過ごす。 二次会の後、T屋へ。肴が何もないというのでコンビニでつまみを買って遅くまで。Hさんの長女がUFOを観たという。長男は大蛇で、親父のHさんが近所の川で大ウナギをを丸呑みする川鵜に大ネズミ。トリはカミさんの河童。なかなか賑やかな一家である。最後に震災の義援金を集めて解散。 今年こそ桜を満開から散るあたりで撮ることにする。

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一日  


T屋のHさんより屋形船の誘い。常連Kさんの企画である。こんな時にこそ、ということであるが、私は忙しいので断わっていたのだが、人数が集まらず困っているという。 HさんとKさんは酔っ払って大喧嘩をしては、しょっちゅう出入り禁止、などとやっているが、いつの間にか仲直りしている。50過ぎた連中が何度同じことをくりかえせば良いのか。学習能力に欠ける連中である。今回はKさんと相性の悪い、60で定年を迎えたKさんも参戦するとのこと。毎日懲りずに同じ過ちをくりかえしている、という意味ではさらに上を行く。これで近所のゴジラとラドンとモスラ。またはゲジゲジとガマガエルとナメクジが揃ったというわけである。Hさんとしては、何かあった時のために、仲裁役として私を誘おうとしているのは、前回の屋形船の時にもいわれている。 もっとも今回はHさんの長女も来るというので、たいしたことにはならないだろう。それにここ二日ばかり、ロクに寝ずに制作したおかげで、先が見えてきたので参加することにした。しかしただ承知するのもなんなので、異常なほどお化け、幽霊の類に怯えるHさんの携帯に、「しょうがない参加しましょう。その代わりこれを見よ」。と26日のブログに載せた、私が撮影した心霊写真を送っておいた。

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