津波といえば近所に『波除碑』なる東京都指定文化財の津波警告の碑が2つある。一つは洲崎神社内。もう一つは平久橋のたもとである。 これをおおよそ結んだあたりは江戸時代は波打ち際であり、房総半島まで見えたという。碑は特に平久橋のほうは戦災その他で原型を止めていないが、寛政3年(1791)の高波で多数の死者が出て、江戸幕府は一帯5467余坪(1万8041平方メートル)の土地を買い上げ、永久に居住禁止区域とした。碑のあたりは多数の遺体が流れ着いたらしい。平久橋はごく近所で、織田裕二がいつか橋の上でロケしているのをベランダから双眼鏡で眺めた、という距離にあるが、泉鏡花の『葛飾砂子』にもこの碑が出てくる。橋の名前こそ現在とは違うが、門前仲町の方から船に乗り、碑を船から眺めながら海に出て洲崎遊郭に遊びにいく、というようなシーンだったと思うが、鏡花が我がマンションの前を横切って洲崎に向かう映像が生き々と目の前に浮かんだ。 今度の津波では、昔立てられた津波警告の碑を守り、より上にしか住まずに無事だった地域が紹介されていたが、こちらの碑はより上も下もなく、ひたすら平らに埋め立てが進み、海岸ははるか遠くとなった。
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