明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



日本初の禅寺は京都でなく、鎌倉の建長寺であることを知ったのは、数ヶ月前で、本場の禅を最初に日本にもたらせたのが開山となった蘭渓道隆であり、北条時宗に招かれた無学祖元だと知ったのは、ごく最近である。なのに気が付いたら作っていた。養老孟司いうところの〝人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている。ひとえにこの仕組みによる。 人物に対する興味は、小学校の図書室に始まり、造形的には、力道山から始まり、毎週、あらゆる人種の様々な体形の、制作には不必要なポーズまで頭に入った。そうこうして陶芸家になろうとして粘土に出会い、ブラックミュージックが好きでそんな人形を作った。さらにこの人物は私にはこう見える、と表現するために写真を始め、数十年経って陰影を排除した。そしてその挙げ句の突端である41年目に、蘭渓道隆が目の前にあり、無学祖元の袖から金色の龍が顔を出し、膝の上に青い鳩が乗っている。 ディアギレフはコクトーに「私を驚かせてみろ」といったが、私を驚かすのは、どういうことで驚くか知っている私しかいない。とりあえず、綿密な計算の上に作ったような顔をしていることにする。



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