室内で腐敗を疑われている間に、2回蕎麦屋のカレーを食べた。食べ物というものは、必ずしも美味いから食べる訳ではなく、食べたいから食べるのである。その蕎麦屋のカレーは最近お目にかかれない、小麦粉とカレー粉をとにかく炒めまくった挙げ句の、という昭和30年代にはお馴染みであったカレーなのである。店主に、その間、多少、創意や工夫については頭をよぎらなかったのか聞いてみたいくらいである。あの炒めた小麦粉の味が記憶にない人間が食べるとどう感じるのかはわからないが。2回目にカツカレーにしてみたが、カツが冷たいままで、それはもういらないが、すでに3回目食べたくなっている。 初めての蕎麦屋で、何故、蕎麦でなくカレーを食べたのか。以前都内某所で、老夫婦がやっているいかにも味がある食堂の見た目に騙され、今までのワーストワンといえるカレーを食べたことがある。まるで噂話だけを頼りに作ったかのような不味さであった。これで商い続けて来られたと思うと、ずいぶんぬるい地域である。しかし食べ物は必ずしも美味いから食べる訳ではない。頭の隅に、あの記憶がちょっとよぎった気がする。