明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



蝦蟇仙人は何かいわく有り気なアクセサリーが欲しい、とアクセサリーを作っている友人に聞いてみた。粘土で作れば?というのだが、私が欲しいのは道教という馴染みのない世界の住人、蝦蟇仙人に、何某かの違和感という調味料が欲しい。 先日も書いたが、中学、高校の試験中、逃避のため、エレキギターのデザインと自転車改造計画を立てるのが常だった。試験が終わると同時に、その情熱はウソのように雲散霧消となる。 私が最初に入手したギターは親戚の納屋に打ち捨てられた国産エレキギターで、後から知ったのはチャーが初めて手にしたのと同じグヤトーンであった。親に捨てられたり壊したり、今持っているのは3代目である。いわゆるビザールと称される、独特のチープなデザインと音なのだが、そこが良い。ところが自分でデザインすると、ビザールな違和感が出ない。そして悟った。目を瞑ってデザインでもしない限り、自分の中にない物を出すことは不可能だと。その様子を知る高校の同級生で精神科の医師は、俺が作る、とビザールどころか、まるで患者の作だろ?と疑うようなギターを何本もものにしている。私はというと口ばかりで、未だに、未加工のホンジュラスマホガニーや、文机の欅の天板がギターに使える、とグズグズ言っているのも先日書いたばかりである。私は無い物ねだりはせず、自分の中に在る物を取り出すことに集中することにしよう。



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