ネットで立川志らくが師匠、談志の噺ベスト8位に『鉄拐』を選んでいた。他に演る噺家を知らない。 蝦蟇鉄拐図は掛け軸的縦位置として二つに分けるか、滅多にやらない横位置で二人一組にするか、今のところ決まっていない。鉄拐は口から分身を放っているし、蝦蟇仙人の蝦蟇も口から何やら吐いている場合もある。 制作のテーマ、モチーフは、それに乗じ、かこつけ、自分を引き出すために用いるものだと考えている。作家シリーズの時は、私が考えた訳ではなく、乱歩が、あるいは三島がそう書いてるんだから、ということにしていた。そう考えると、道釈画は、こんなやりたい放題なモチーフはないだろう。この世の物でない物も多いし。 無い物は撮れない写真はあくまで主役は被写体だと思う。被写体を自ら作る二刀流の私は高らかにそういいたい。そして間もなく被写体制作者から撮影者に転ずる。気分としては、調理が終わり、ようやく食らいつく番が来たという感じだろうか。子供の頃、プロレスの英雄力道山は、突然火が着いたように怒り出すのが不思議だったが、おかげで放送時間内に収まった。私もそろそろ怒り出す頃合いだろうか。