寒山拾得がスムーズに出来ていたなら作らなかったであろう三人の仙人だが、結局全て作ることにした。カエルじみた蝦蟇仙人の顔を見ていたら、作って撮影したくなってきた。あまりに妙な顔である。頭に巨大な三本脚のガマガエルを頭に載せてるし。なんでこんなに大きくしたのか、頭に乗せたのか。前年まで長年写真見ながら実在した人を作って来た反動が、こんなところにも出ていたのかもしれない。一つには、有名な絵師がオリジナルだと思っていたら、大体写したり参考にした前例作品がほとんどに在り、そのことにもウンザリし始めていた。せっかく無責任?に創作出来るモチーフである。 開始前は歴史ある禅画のモチーフ、人形作って写真作品にする、という〝奇手”で充分。大人しく末席に、と考えていたが、末席に大人しく座るには、独学我流のならず者の出自がそうはさせず。達磨大師が、ここに新たな大師像を創作する面白さも見出せず、僅かにマックス・ローチのレコードジャケットのように〝だるまさんが転んだ”調に振り向かせたに留まった。全ての始まり、禅宗の開祖となれば、それも良いだろうと。