明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



30年も前、未来の陶芸家を目指し、岐阜県の瑞浪市に住んでいた頃、毎日のように通ったラーメン屋があった。田んぼの中を1・5キロ歩くのだが、何しろ回りに何もないのでしかたがない。ドテ煮という赤味噌を使った煮込みが美味しい店で、手を拭くにはこれが一番と、新聞紙とともに出される豚足には毛が残っていた。若者など周りにいないし、話す相手は陶器工場のオジサンなどであった。私は学生時代の飲み方のまま、酔っ払って田んぼに落ち、オジサン等に助けられたりしたが、すぐ村中に知られてしまうので、酔っぱらう人は、ほとんどいなかったように思う。そういえば、一升瓶の焼酎をボトルキープしていたのは私だけであった。あのころは毎日が懸命だった分、自覚はしていなかったが、私はきっと寂しかったのであろう。以前、雑記に書いている『四メートルくらいのカウンターがある小屋であった。御主人は元々ラーメンの屋台を引いていたが、その場所に落ち着く事に決め、材木をつぎ足しつぎ足しして、鉄骨にビニール張りの小屋にしてしまった。床を張り、しまいには大きなゲーム機まで設置していたが、そこまでして何故かタイヤはついたままというのが可笑しい。新メニューの平仮名が一文字逆に書いてあり、云ってあげようか迷ったあげく云えなかった私だが、御主人に酒器に春画の絵付けをする、内緒の仕事を持ちかけられた事がある。その時は岐阜を去る事が決まっていたので断ったが、是非私のキャリアに加えたかったと未だに残念なのである。』インターネットとは便利なもので、思い出して検索してみたら、今では店舗を構えているらしく、煮込みが美味しいと書かれている。こんな懐かしいことはない。機会があれば行ってみたいが、未だに店内にタイヤが付いていたらと想像して可笑しくなった。

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