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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



肝腎な物は外側にはなく、すべて自分の中に存在すると薄々感じ、今では確信している。そんな訳で、私なりの眉間にレンズを向ける念写を試みている。 我が母は、どうもそこらの育児書が役に立たない我が息子に、石原慎太郎の『スパルタ入門』をタンスに隠していて先に読まれてしまったりしながら、母親の勘で、外の世界に興味がない、という顔をしていてはいけない、危険だと私に伝えたのだと思う。あまりにうるさ過ぎてチック症になってしまった私だが、今では感謝している。まあ友人にも恵まれ、人間関係でもたいした問題もない。 だがしかし、ここまで来れば当ブログ内くらい演技プランを捨て去り、自分が何を作るかしか興味がない、といってしまっても良いだろう。ここに来て人生において、大きく一周回った気がしているが、このタイミングで外側からの脅威コロナというのも何か理由があるのではないか、と勘ぐってしまう。 昨年の『三島由紀夫へのオマージュ椿説男の死』の終了から半年、金魚を眺めながら、様々なことが明らかになりつつある。今死んだら私が長年恐れて来た、あれが作りたかったのに、と胸掻きむしりながら悶え死ぬことになるだろう。SNSでは生々しい治療の過酷さを目にする。どうしても避けなければならない。



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肝腎な物は外側にはなく、すべて自分の中に存在すると薄々感じ、今では確信している。そんな訳で、私なりの眉間にレンズを向ける念写を試みている。 我が母は、どうもそこらの育児書が役に立たない我が息子に、石原慎太郎の『スパルタ入門』をタンスに隠していて先に読まれてしまったりしながら、母親の勘で、外の世界に興味がない、という顔をしていてはいけない、危険だと私に伝えたのだと思う。あまりにうるさ過ぎてチック症になってしまった私だが、今では感謝している。まあ友人にも恵まれ、人間関係でもたいした問題もない。 だがしかし、ここまで来れば当ブログ内くらい演技プランを捨て去り、自分が何を作るかしか興味がない、といってしまっても良いだろう。ここに来て人生において、大きく一周回った気がしているが、このタイミングで外側からの脅威コロナというのも何か理由があるのではないか、と勘ぐってしまう。 昨年の『三島由紀夫へのオマージュ椿説男の死』の終了から半年、金魚を眺めながら、様々なことが明らかになりつつある。今死んだら私が長年恐れて来た、あれが作りたかったのに、と胸掻きむしりながら悶え死ぬことになるだろう。SNSでは生々しい治療の過酷さを目にする。どうしても避けなければならない。



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せいぜい金魚を眺めて過ごすくらいしか、策といえるものは何もなかったが、それでも、なんとなく、それらしきイメージが漂い初めている。 人形を作る場合、表情は作らない。最たる物は能面だが、その方が見る人の想像の余地があり、勝手に表情をイメージして貰える。撮影に際しても、表情を演出することが出来る。そういう意味では、魚と鳥は、眼を見開いたままでまったく表情がない。そこが眺めていて想像をかき立て、金魚自体というより、自分内部の声に耳を澄ます効果となる。若沖が鶏をモチーフに選んだのもそんな面白さであったろう。



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最初、豊干禅師実は阿弥陀如来的に考えていたが、寒山と拾得、実は文珠菩薩と普賢菩薩、同様、虎に乗る怪僧、とすべきではないか、と思い始めた頃、入手したのが藤本鉄石の『豊干と虎図』であった。まさに怪僧である。毛がモジヤモジヤしているところまで、新東宝の『東海道四谷怪談』の宅悦役や『地獄』に出ていた怪奇俳優大友純を思い出す。幼稚園に通園中、選挙カーで笑顔で手を振る大友純を見たことがあるが、明らかに目撃した大人たちは固まっていた。選挙の応援は人を選んだ方が良い。しかしありがちなことだが、真面目で優しい人だったそうである。あの顔でホントに悪かったら処置無しである。 ところで豊干はともかく虎である。藤本の虎は、最後弟子と二人で壮絶な討ち死にした攘夷派の志士とは思えないとぼけた虎である。これを見ているうち、虎も勇猛な虎は違うのではないか、と思い始めてきた。必ず作らなければならないモチーフに四睡図がある。虎と豊干と寒山と拾得が寄り添って平和な顔で寝ている図である。まあ虎は豊干の頭部を作ってからだけれど。そろそろ寒山拾得の膜に覆われた気分になりつつある。



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2日から手掛けていた物、仕上げの段階に。おかげで正月休みという、世間が休みで、それに乗じ堂々と、また清々しく豊干禅師などというモチーフを手掛けられるところ、作り損なった。まあ今年は正月気分など、始めからなかったから良しとしよう。 豊干の乗る虎は、猫を撮影し、虎を見たことがなかった日本の絵師の味を出すことに決めていたが、猫が思ったようなポーズを取ってくれない、という問題があったし、虎を合成するとなると、虎に乗った豊干は展示出来ず、いつものように、撮影が終わり、首を引っこ抜いて捨ててしまうことになる。それに今は、同じ画面内でなければ、猫を撮影した虎と、作った虎が混在していても良い、という気にもなっている。私も随分と融通が効くようになったものだが、昨年11月頃、頼まれて某動物を作り、しかも毛流があるべきだろうと、方法を考えた。まったく虎のことは頭になかったが、虎を作れ、とこれまた導かれていたのかもしれない。



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子供の頃、漫画雑誌の特集その他でネス湖の恐竜の写真を良く目にしたが、私は何処が恐竜なんだと思っていた。それはかま首をもたげた恐竜の波紋からしてアヒル程度の大きさにしか見えなかった。実際あれは我々が捏造した、という老人が名乗りでたのではなかったか。 特撮監督の円谷英二にしても火と水には苦労したはずで、サイズ感を自然に見せるには、アナログである限り、できるだけ大きな模型を使うしか策はなかったろう。 陰影を出さない石塚ピクトリアリズムは被写体が人形と、例えば実物の行灯などスケールが違う物を配するため、デジタルによる合成が必須である。私としては、昔のピクトリアリストに対して、今だからこそ可能であるという意味で、ざまあみろ、という想いを抑えることが出来ない。 ところが問題となるのは、相変わらず火と水である。火は今のところ筆描きした物を使用して何とかこなしてみたが、問題は水である。陰影がない、ということは、同時に光の輝きや艶、反射も無いということになるだろう。輝き、反射なくしてどうやって水を描けば良いだろう。火の場合は蠟燭の火、鬼火、せいぜい焚き火だが、水の場合は海はともかく小川、滝など。これまた筆描きになるのだろうか。以外の方法はないだろうか。なんて書いていて一つ浮かんだが。 それにしても一人で何ブツブツいっている?この孤独感こそ私の大好物。


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作っている本人が理由が良く判らないでいるが、プリントを拡大すればするほどリアルになる。モデルとなった人形を見れば判るが、案外詳細な部分まで手を掛けていない。必要でないのでそうしているのだが、なので、あまり拡大には耐えられないだろうと思っていた。16年の深川江戸資料館の個展で、実物大またはそれ以上に拡大したら、想像と違っていた。私はそこまで作ったつもりはない、と他人同士のように連中と見つめ合った。これにより、自作の人物を自ら撮影する、という手法の中でも拡大するほどリアルになる、という新たなメリットを発見した。サンディエゴ写真美術館のデボラ・クラチコさんに私の作品はそうした方が良い、といわれたことがあったが、前述の通り、アラが目立つだけだろう、と思った。 ところで。かつて人間大であった人間よりも河童や、あるいは寒山拾得は、実際は居ないからこそ居るかのように拡大して見てみたい気がする。



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最近マイクロフォーサーズのカメラを使っていたが、調子が今ひとつで、新たに欲しいのだが、『貝の穴に河童の居る事』を制作する前に、ベトベトと生臭い、と著者の泉鏡花が評する河童の三郎を撮影するために、何本か、妖怪を撮るのに相応しいと思われる、必要以上にウェットに写ったり、また陰気だったり、普通に使用するには躊躇するようなレンズを集めた。しかし実際は30センチほどの河童を実景に合成し、最大で一メートル位に見えるよう合成したのだが、そうなると、レンズの味というのが、それが邪魔になり、ほとんど使わずじまいであった。 その数年後、写真から陰影を排除することになり、さらに画の均質が必要となりレンズの味はよけい邪魔である。ところが、寒山拾得では、陰影あるカットも差し挟みたい気がしている。となると、河童用のレンズはどうだろう。寒山と拾得が実は文殊、普賢菩薩だとしても、とりあえずの見た目は妖怪じみている。あの手のレンズを使うとするならば、フルサイズのカメラが良いだろう。



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寒山拾得寒山拾得いっているがどういうきっかけでモチーフにしようと思ったのか、良く覚えていない。どう考えても石塚式ピクトリアリズム以降、つまり第一作の三遊亭円朝以降ということになる。そう思うとつい最近のことだと思うのだが、思い出せないのである。おそらく作品を制作しているウチに、絵画のモチーフである寒山拾得も可能ではないか、と思ったのだろうけれど、そう昔のことではないのだから。知らないウチにチップを埋め込まれ、洗脳され、その気になっているかのようである。タイムトラベラーでの、アルバムに写っているこの同級生は誰?みたいな。本当にボケが始まっているのか。まあきっかけなんて、どうでも良いことではあるが、きっかけも知らず、覚えてもいずに、良くこれだけはしゃいでいられるものだな、とちょっと呆れたのであった。



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つい最近まで、あっち行ったりこっち行ったり、紆余曲折やって来たつもりでいたが、案外敷かれたレールの上を歩いて来たような気がしてきた。棚からボタモチのように降って来た物を拾って来ただけのような感覚で、高い所の客観的存在が絵図を描いているようではあるが、あくまで自分自身の臍下三寸辺りの由来であることは間違いない。人は誰だって今日は○○が食べたくなつた、思うだろうが、概ね自然に湧き上がるものであろう。あれとまったく同じである。そこには、実はある栄養素が足りていないから、ということはあろうが、それはほとんど自覚出来ない。簡単にいえば、理由は判らなくても頭に浮かんだ物は確実に平らげて来た。そんなところであろう。あえていえば、外側に漂う香りに惑わされないよう、できるだけ嗅がないように来た。つい必要のない物に手を出してしまうからだ。一度入った物は出て行かない。頭で足りない栄養素について考えることはしなかった。ということであろう。どうせ残り少ない期間、さらに食べたい物だけを口にしていこう。 それにしても、何処かの王様に石の塔に幽閉され、算数も宿題もなく、クレヨン画用紙使い放題なんてことを夢見た幼い私だが、何だかたまたまコロナのせいで罪悪感もさほど感ぜず。



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つい最近まで、あっち行ったりこっち行ったり、紆余曲折やって来たつもりでいたが、案外敷かれたレールの上を歩いて来たような気がしてきた。棚からボタモチのように降って来た物を拾って来ただけのような感覚で、高い所の客観的存在が絵図を描いているようではあるが、あくまで自分自身の臍下三寸辺りの由来であることは間違いない。人は誰だって今日は○○が食べたくなつた、思うだろうが、概ね自然に湧き上がるものであろう。あれとまったく同じである。そこには、実はある栄養素が足りていないから、ということはあろうが、それはほとんど自覚出来ない。簡単にいえば、理由は判らなくても頭に浮かんだ物は確実に平らげて来た。そんなところであろう。あえていえば、外側に漂う香りに惑わされないよう、できるだけ嗅がないように来た。つい必要のない物に手を出してしまうからだ。一度入った物は出て行かない。頭で足りない栄養素について考えることはしなかった。ということであろう。どうせ残り少ない期間、さらに食べたい物だけを口にしていこう。 それにしても、何処かの王様に石の塔に幽閉され、算数も宿題もなく、クレヨン画用紙使い放題なんてことを夢見た幼い私だが、何だかたまたまコロナのせいで罪悪感もさほど感ぜず。



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金魚の餌を買うのを忘れていた。金魚は一週間くらい餌を食べなくても平気なのだが。水槽前のテーブルで食事をしていると、全員が横並びてジタバタしながら私を見ている「水島!一緒に日本へ帰ろーっ!」帰るか。連中に見られながらの食事は美味くない。目を背ける。 金魚を眺めながらも、豊干や寒山や拾得のイメージが間に割り込んで来る。拾得は道端に捨てられた赤ん坊として豊干に拾われ寺に連れて行かれる。となると子供じみていて当然ではある。それでも多くが、肥満体で描かれているのだけは承服出来ない。何しろ痩せこけている、と『寒山詩』の序文に書いてある。そして程なく寺から姿を消すので、少なくとも老人ではないだろう。役人の閭丘胤(りょきゅういん)、豊干から寒山拾得が文殊と普賢菩薩だと聞いて、寺の下っ働きである二人にうやうやしく会いに来て、なんだお前は、と逃げられ、二度と寺には戻らない。それでも懲りず、さらに訪ねていくと、岩陰に引っ込み、そしてその岩は閉じてしまう。閉じゆく岩の間から覗く寒山と拾得のアルカイックスマイル。これは作る気がそそられる場面である。当初ミーハーで空気の読めない男と考えていた閭丘胤、実はその後、人家の壁や岩の上に書き残された寒山の詩を収集し、鷗外が解説加えて書いた序文も書いた人物、となれば雑には扱えない。それに寒山拾得の存在を引き立たせる俗の象徴として重要な役どころであろう。



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5月に個展『三島由紀夫へのオマージュ椿説男の死』をやり終え、体調崩したりはしたものの以後、金魚を眺め暮らす事にした。何しろ寒山拾得なんてどうして良いか判らない。その後、僅かな間に様々なことが解明されている。金魚の効果、私の想定以上である。というより禅というモチーフは、手掛けようと考えただけで“奇特な輩がいたもんだ”とでもいうのか、御利益があるのかもしれない。 そう思うと、三島由紀夫展を通過することが必要条件であったろうが、でなければ今の心境には至っていなかったのは間違いがなく、そうなると欲が出て、寒山拾得展まで、クリニックはサボらず、交通事故、さらにコロナには気を付けたい。

小中、工芸学校の先輩から古い写真が送られて来た。茨城の廃村から東京に戻り、自分の陶芸窯を作ろうと、溶接の仕事を始めた頃で、22歳くらいか。かたわらに黒人の人形が二体写っている。その先輩に人形の写真を撮って貰った日のカットである。つい最近金魚仲間として復活した幼馴染みが美容師を目指すというので、実験台でパーマをかけている。写真に興味がなく、まだ眼鏡を掛けておらず、自分が乱視であることも知らず、ピントも合わなかった。撮影に使ったZライトも写っている。 ここから試行錯誤が始まった訳だが。私はこの時の自分に言いたい。”お前は自分で見つけた事だけでしか前に進めない厄介な人間だぞ“ ここから遅遅として進まない長い道のりが始まる訳だが、それを知らないから写真の中の私は笑っている。



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まずは豊干の頭部を作り、その次に虎を作る。制作は来年の正月開始とする。世間が休みの時は、心安らかに制作することが出来る。母は意識してはいなかっただろうが結果的に、”けつして外側の世界に興味がない、という顔はしてはならない“ことを私に教えた。だがその過程での副作用で、役にも立たない好きな物を作る事にたいして、拭い難い罪悪感が植え付けられ、そのため、世間が休みの時ほど、清々しく制作出来るのである。そのもっともな好機が正月ということになる。学生の頃から、正月に何か制作をしていなかったことは一度もない。実家に帰るようになったのは父が亡くなって以降のことである。だがしかし、これまたなんの根拠もないことではあるが、寒山拾得をやり遂げたなら、その時は罪悪感から解放されるような気がする。何しろ三島にしろ鏡花、室生犀星にしろファンはいる。寒山拾得に至ると、友人の90過ぎのお母さんが期待してくれているぐらいてある。役立たず、ここに極まれり。 所で昨年の引っ越しを機会に断舎利を決行し、私のイメージする東京は、東京オリンピック以前の東京であり、オリンピックに向けての開発により、何が消えようが失われようが不感症になり、と言って来たが、どうやらそれは違っていたようである。長らく東京オリンピックのせいにしていたが、そうではなく、元々興味がないのだろう。何度となく書いて来たが、幼い私は何処かの王様に石の塔に幽閉され、「ここには図書室もあるし、クレヨン鉛筆絵具使い放題。算数や宿題なんかしなくて良いから一生ここにおれ。」なんてことを夢想していた。それに昔から刑務所に入れられても、材料さえ供給してくれれば、たいして通常と変わらない作品を抱えて出所してくるだろうなんて思っていた。 役立たずであればあるほど盛り上がってしまうタチであることも証明することになる2021年となるだろう。寒山拾得に手を染めてしまった人間に怖いものがあろうはずがない。



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『豊干と虎図』我が侘び住まいに無事収まった。とても敵陣に突撃して討ち死にした勤王の志士が描いたとは思えない、奇怪な僧とひょうきんな虎は私を見守ってくれるだろう。もうこれで大丈夫だ、と根拠のない気持ちがフツフツと湧いて来てなんだか笑えた。私の場合、内から湧いて来ることがもっとも大事なことであり、頭で理解出来る程度の根拠など必要としない。床の間代わりの置き床では、軸が届きそうなので、ギター制作用に入手しながら使いもしないホンジュラスマホガニーの板でも下に敷くことにしよう。 昔から、人間も草木と同じ自然物であるから、内部には、必要にして充分な物がすでに備わっているので、その声を聞き逃さずいれば良い、とそれこそ根拠もなしに確信してきた。何某か先達に学んだ所で、必ずしも改善されず、むしろ衰退していることは博物館に行けば判るし。 ここまで来て、何故幼い頃から、外側の事象を描く写生が嫌いであったのか。それこそ外側の世界を写すために作られた写真に対しても、真など写してたまるか、とずっとグズグズいい続け、外側にレンズを向けず、眉間にレンズを向ける“念写”が理想だ、という始末である。 幼い頃から行き当たりばったり、なんの脈絡もなく歩いて来たつもりでいたが、実はどうも真っ直ぐな一本道をずっと来たのだ、とここに来て私の正体にやんわり気付き始めている。そしてここに至り、何故『寒山拾得』なのか。についてもどうやら合点がいきつつある。


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