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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



結局、あれ以来晴れないまま。落語を見ている場合ではなかった。合成作業に入る。肝心な素材は出来ているので、ああだこうだと楽しい。無事収まるが、画面に色が無いので、ワンポイントに、近所に咲く路傍の一輪をデジカメにて写す。撮る前に台風で散らないかと心配していた。私がイメージする、もっともありきたりな花である。田村写真に行き、マックにて色調整のあと、ピクトロにて出力してもらう。ケーブルをガムテープで引っ張っている限り、うちのモニターも使えそうである。 帰りにひさしぶりにK本に寄る。常連のほとんどは帰っていたが、Hさんがいて、できたてのプリントを披露。私がありきたりと思った花はデイジーだそうである。「そこのパーマ屋の先に咲いてたヤツですよ」

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一日  


昨日の『眼展』初日、今回はパート1とパート2に分けられており、パート1は五十歳以下のアーティストということになっているのだが、貫禄不足か、間違って私はこちらに入っている。いつまでも若手に見られたいお笑い芸人ではないが、私としては、その方が良いのであるが。会場でワインなど飲んでいると、毎回、初日には来るなと言いわたしてある幼馴染のTが来る。今日見た私の作品について、一切忘れろと念を押す。今回の出品作は、感心されるくらいなら呆れられたい私が出たようである。 『中央公論adagio』の編集長には、25日発刊の第2号『向田邦子と六本木を歩く』の表紙の出力見本をもってきていただく。肌の色だしに苦労されたようであるが、面白い出来。向田邦子の妹さんの和子さんにも、お墨付きをいただいたという。遅くまで飲んで帰る。 光文社のPR誌『本が好き!』に続いて、金原瑞人さんに、『流行通信』に書評を書いていただいた。『乱歩 夜の夢こそまこと』までカラーで載っている。ありがたいことである。 明日13日、産経新聞文化面に、先月受けたインタビューがようやく掲載と連絡がくる。

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青木画廊『眼展』の搬入日が来ているが、まだ作っている。 門前仲町の赤札堂に白い布を買いにいく。布といっても、使うのはほんのちょっとなので、ハンカチで良いだろう。ところが何かしら模様が入っていて、使えるものはない。次に、永代通り沿いの『二笑亭』があったあたりの、カーテンなど売っているインテリアショップにいく、並びに居酒屋の『笑笑』がある。白くて薄ければなんでもよいと探すが、適当なものがない。何に使うか、聞かれた場合の答えを用意していないので、店員に尋ねるのも面倒である。 次に通りの向かいにある、古い洋品店にいく。ここは昔からあるようで、中にあるマネキンが、まるで囲炉裏端でいぶされたようである。店先にサラシがあったが、縮尺的に目が粗い。店にいるご主人に聞くと、中から、ただの木綿のハンカチを出しきてくれた。「御婚礼ですか?」「いえ、べつに」210円だったが、税金とらないからというので200円払う。「ウチは男もんは何でもあるよ」さすが看板にメンズショップと書いてあるだけある。「フンドシもあるから」「エッ?あ、ああそうですか・・・。」

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三島には白鞘の日本刀を持たすつもりだが(鞘に収めたまま)これは粘土でなく木を削りたい。そう思いついたのは夜中である。始めは見当のため、菜ばしをちょん切って持たせていたが、手持ちの板や棒に使えそうな物がない。しかし、三島が刀を持っているところを見たくてしょうがない。作りたくなったら我慢できない私である。グリーンのダイヤガラスや波打ったガラスを使った古い本棚がある。その中の棚板はどうだ?我慢できないだけならともかく、そういう事を思いついてしまうからいけない。こうやって子供の頃から、様々なものを壊して流用してきた。夜中に本をドサドサ降ろし板を外す。どうも木質が小さな刀にはそぐわない感じ。ネットで検索してみると、白鞘には朴の木を使うらしい。なんだ木版画の版木じゃないか。 ここでようやく”発作”がおさまり、明日画材屋に行くことにしたのであった。

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先日、防衛庁に見学の予約を入れておいた。午前9時半に受付。本日の見学者は5人。雲ひとつない晴天の下、黄色いコートのガイド嬢について歩く。今は市ヶ谷記念館となり、コンパクトに移築された旧参謀本部のバルコニーが目的である。しかし着いたと思ったら追い立てられるように中に入れられ、ドアを閉められてしまう。中は極東軍事国際裁判法廷。説明を訊いたり、展示品やビデオを観るが、バルコニーのことで気もそぞろ。外観を撮る時間があるか訊いてみると「一瞬なら」 二階は旧陸軍大臣室。三島割腹の部屋である。ドアに残る刀傷、窓外に見えるバルコニー。この窓を越えてバルコニーに立ったわけである。感慨ひとしお。外へ出て、他の見学者が靴を履いたりしている間に、バルコニーを撮っておいた。 休憩時間、スターバックスでお茶を飲み、売店にて自衛隊オリジナル団子『炎の作戦』CODE NAME Mission of Fireを買う。(2/12が激辛) その後は色々な碑を見せられるが興味もなく、目的果たしてスーダラ状態。しかし2時間の見学中、途中離脱は許されないのであった。 帰宅後、三島の身体制作開始。

※『理容若鳩』スポーツ刈り2900円

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森村泰昌が三島になってると知人からメール。歩いていけるところなので、さっそく出かける。 広いスペース内にモノクロ写真。右側に『薔薇刑』の三島に扮した写真。薔薇刑は、雑誌に掲載されたもの程度しか見たことがないのだが、知ってるものからすると、かなり近いのだろう。左側の大きな作品は、世界の有名な暗殺シーン。オリジナルの当事者達は、後にこういう形で笑われるとは思いもよらなかっただろうが、思わず笑ってしまう。社会党の浅沼稲次郎は、たしか東大に脳ミソが標本になっていた。ナマの浅沼見たんだよなあと妙な気分に。一番奥には、三島の"バルコニーの場"を演じる映像。大阪城内の旧軍事施設跡のバルコニーだそうだが、制服は実物にくらべてかなりチープなところもなかなか。動かない写真よりはるかに面白い。三島は~になりたい病で、様々なものになろうとしていたが、三島の努力をもってしても実現しない部分はコスチュームプレイをしていたようである。そんな三島が今回は逆に、自分になられているのが愉快である。私のほうは頭部が難航してバルコニーの場をこれから作るわけだが、以外な偶然であった。 三島には思い切り”悲劇的な彼”になってもらおう。

「烈火の季節/なにものかへのレクイエム・その壱」展 シュウゴアーツ 16日まで

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三島は自分の顔について『私の顔は曲がっており、正面から見ると、便所の古草履みたいに、長刀型になっている。』と言っているが、曲がっているというより雑巾を絞ったように捩れている感じである。三島を一度や二度、作ったことのある人には?判ってもらえるだろうが、出来上がった頭部を持って360度ゆっくり動かしていくと、刻々と変化していく表情を楽しめる。左右でも、これだけ違うと撮影のさいは色々表情が描けて面白いであろう。 生身の人物でも、あきらかに左右不対称の人は、その表情に複雑なニュアンスを生じ、なかなか味があり私は好きなのである。

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作家の写真を眺めていて、ある年に容貌の変化を発見すると、その頃どんな作品を書いていたか確認し、読んでみたりする。それは制作用妄想のために、どんな手でも使おうというわけで、何が解るということもないのだが、何か解ったような気になれば良いという程度のことである。 三島由紀夫の場合、ある年を境に急激に老けていったように見えるが、江戸川乱歩が三島君って綺麗だねと言ったように、確かに颯爽として特にカッコの良い時期がある。後年になると、いくら鍛えても、筋肉量が増えなくなっていたのではないだろうか。着痩せするので、よけいそう思えるのかもしれない。

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どうも納得ができない。知人や、飲み屋の常連に、三島できたよと見せていながら、何かすっきりしない。完成してるから、もういじるなと言われても、何か引っ掛かっている。諦めが悪いといいながらこれは尋常ではない。しかし今日、その理由がはっきりした。 私の中には、私なりの三島のイメージがある。それを作るにあたり、当然、残された写真をかき集め参考にするわけだが。三島はレンズを向けられ、自分をさらけ出すような人物ではない。それは徹底していて、笑っていたってウソくさい。実像を写そうとすれば、一人でいるところを隠しカメラで狙わないかぎり無理であろう。(それでも可能かどうか) 写された写真と、私の中のイメージのズレが、完成を拒んでいたのである。マコトを写す写真という言葉を嫌悪し、さらに私は人体模型を作っているわけではないと言っていたのに。写真が多数残されていたおかげで、肝心なことを忘れるところであった。 写真を閉じ眼を瞑るべきであろう。写真をいくら見ても三島はできない。

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一日  


三島の頭部の仕上げにかかる。いつも最後は耳である。耳はポイントとして適当に付けておき、途中で付け替え最後に仕上げる。 散髪?していると下から鉛筆の跡が。そうとう迷走したので、下手したら昨年の三島かもしれない。 先日、三島が死の5日前にやっていた事を耳にし、さすが三島と感心。どうせ作るなら、こんな人物を作りたいと改めて思ったのであった。笑う人は笑うだろうが、本人は承知の上でやっていたこと。私が三島を笑ったのは小学生の時、TVで『からっ風野朗』を観た時が最後である。


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以前にも書いたが、人の顔を作る場合、真ん中で目立つ鼻などより、よっぽど額のニュアンスが大事である。額に比べれば、鼻はたんにウズタカイでっぱりである。額には前頭葉の内容が表に滲み出しているかのようで、後にライティングにて表情を抽出するためにも、ないがしろにはできない。 私が手がけた実在の人物で、表情豊かなオデコの持ち主はマルコムXと三島由紀夫が双璧であろう。三島の額は、三島が嫌った蟹の甲羅にもにて、実に複雑な起伏を持っている。というわけで三島の頭部が完成。しかし、もう、できた完成だと言わないでおこう。 知り合いの編集者から近所にいるのでと電話。彼は運が良い。ポケットに三島を入れて喫茶店へ。ひとしきり話した後、彼と別れてスーパーにて買い物。レジでポケットから手を出す時に、三島こぼれる。落とさないよう慌てると、レジのおばさんの前へゴトリ。おばさんの口から「ウッ」 これは失礼。


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三島が共訳した『聖セバスチャンの殉教』は、作者のダンヌンツィオが、バレリーナ、イダ・ルビンシュタインの中性的な美貌に打たれ、聖セバスチャンに見立てて書いたそうである。ルビシュタインといえば、踊りはからきしながら、金は持っていたためか、ディアギレフに取り入り、バレエ・リュスに加わったダンサーである。バレエ『クレオパトラ』では、ほとんどただ立っていただけだったらしいが、確かジャン・コクトーが、その美しさに対する賛辞を残している。 三島がそれを眺めて、始めて悪習に手を染めたというレーニの『聖セバスチャンの殉教』は、この頃の絵画にありがちな両性具有的である。ガッチリした身体にポッチャリホッペは、まさに木に竹を接いだ不自然さであるが、アンテノウス同様、このあたりが三島の好みだったのであろう。本人が聖セバスチャンの殉教を演じた写真が残されているが、本人がやっていなければ、間違いなく私が作るべきところである。やりたいことを、すでに本人にやられていたなどというのは三島くらいなものである。

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Yahoo! JAPANより、Yahoo!新着情報の「今週のオススメ」で紹介するというメール。6日より掲載されるそうなので、秋のミステリーガイドという特集のようである。 三島由紀夫はだいぶ改良され、ようやく形になってきた。以前の方が似ていたという人もいるが、言いたい事は良く判るが、あれでは使えないのである。ある方向から見て、物凄く似ているように見える場合、得てして過剰に特徴を表現しているので、その分、他の角度がいけない。そうなると、撮影ポイントは限られるし、まして展示などできるものではない。随分時間がかかったが、なんとかなりそうである。ここまで作っておけば、誰も見たことがない角度から撮影できるし、絵のように、参考にした写真が特定できるような、ダサイことにはならないのである。 二泊の予定で母と南房総に出かける。退屈することは間違いないので、『仮面の告白』『金閣寺』を持っていくことにする。

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