クラシック 馬鹿の見本 (PART 1)
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■『現実主義者 馬鹿の見本』
 
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デンマンさん。。。、あの馬鹿の見本がどういうわけでクラシックと関係あるのですか?
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オマエは、僕が馬鹿の見本を取り上げることが不満なのォ~?
できれば、オイラが登場する記事には、あの馬鹿を出さないで欲しいのですよ。。。
どうして。。。?
だってぇ~、あの馬鹿は偏差値30台のクソ大学を卒業して、自分でも「クズの廃人」と認めているのでしょう!?
その通りだよ。。。
そういう愚かな男のことを話題にすること自体が無意味なことですよ。。。 デンマンさんとオイラの貴重な人生の時間を無駄にするだけです。。。
でもさァ~、世の中には、クラシックと馬鹿の見本に興味を持っている女性がいるのだよ。。。
マジで。。。?
ちょっと次のリストを見て欲しい。。。
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■『拡大する』
■『クラシックと民謡』
これはライブドアの 僕の「徒然ブログ」の日本時間で5月8日の午後11時25分から 9日の午前2時15分までの約3時間の「生ログ」なんだよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。
あれっ。。。 GOOGLEで検索してcategory:音楽、民謡、童謡、クラシック、歌謡曲、ポップスのページにアクセスして、その中から『クラシックと民謡』を読んだネット市民がいたのですね。。。
そういうことだよ。。。
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■『クラシックと民謡』
もしかして、上の記事を読んだのが、その上のリストに出てくる写真の女性ですか?
そうだよ。。。 実は、さいたま市見沼区に住んでいる 斉田美由紀 (さいた みゆき)さんが読んだのだよ。。。 埼玉大学の教育学部で先生になるために勉強しているのだよ。。。
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例によってIPアドレスを調べて 美由紀さんが読んだことを突き止めたのですか?
そういうことだよ。。。
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。。。で、美由紀さんは、どういうわけで『クラシックと民謡』を読んだのですか?
クラシックと民謡に興味があるからだよ。。。
美由紀さんは、もしかして音楽の先生になるつもりなのですか?
オマエ、よく判ったねぇ~。。。
馬鹿にしないでくださいよう。。。 ここまで読んできたネット市民ならば、誰だってそう思いますよ。。。 でも、あの馬鹿の見本は、全く関係なさそうじゃありませんかァ!
それが関係あるのだよ!
その根拠は。。。?
なぜなら美由紀さんは次のように検索したのだよ!
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■『拡大する』
■『現時点での検索結果』
あれっ。。。 「クラシック 民謡 馬鹿の見本 徒然ブログ」を入れて検索したのですねぇ~。。。
そうなのだよ。。。 つまり、美由紀さんは かつてクラシックと民謡について書かれた記事の中に 馬鹿の見本 が登場したのを覚えていて、その記事を探したというわけだよ。。。
美由紀さんは 「徒然ブログ」の常連さんなのですか?
そうだよ。。。
だったら、最初からデンマンさんの「徒然ブログ」にアクセスして、category:音楽、民謡、童謡、クラシック、歌謡曲、ポップスのページにアクセスした方が よっぽど早いではありませんか!
物事には、「ついで」ということがあるのだよ。。。 美由紀さんは他のキーワードを使ってGOOGLEで検索していた。。。 その時に、ふいに馬鹿の見本のことが思い出されたのだよ。。。
どういうわけで。。。?
「現実主義者」の心理 のことが気になった。。。
「現実主義者」の心理
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過去ログでの私とのやり取りを見れば分かる通り、こいつは深刻なヘイトスピーカーである。
奴は私のブログだけではなく、いろいろなブログに現れては、ヘイトを繰り返している。
奴の発言についてはざっとこんな感じ
被害者や遺族、被害者寄りの人間どもの方が学校関係者やPTA、学区民や教育委員会から「皇子山学区のゴミクズ」認定されてる
いじめ被害者は加害者よりずっと生きてる価値なしのゴミクズ
被害者がアホで根暗だからいじめられるのは当然、自己責任だろ
遺族は泣き寝入りしてりゃいい
(中略)
この書き込みを見て、気分を害さない遺族などいるというのか?
「自分の境遇もいじめ被害者と一緒だ」と訴えている・・・違う、こいつはそんなんじゃない。
少なくともこいつは自分といじめ被害者を「同等」などと思っていない。
奴は、異常なほど学歴に拘っているが、それは奴の中であるヒエラルキーが確立されているからである。
それがこちら
すごく単純だが、こんな感じ。
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奴は自分自身を「低学歴」の立場に置き、自分自身を「ゴミクズ」だの「ボロ雑巾」だの宣っているが、決して自分の事を底辺だとは思っていない。
というのは、奴は上記のヒエラルキーにちょっとした付け加えをしているのである。
それが、これ
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つまり、「どうせ低学歴は底辺這いつくばるしかねえんだ」と、這い上がろうとする者を見下し、馬鹿にする立場を自分の中で作り上げた。
こんなのはただの開き直りなんだけどね(笑)
そして「高学歴」に縋って、「低学歴」を見下していれば、恰も自分が「高学歴」の仲間入りしている気分になり、優越感に浸れると言うわけである。
まさに「虎の威を借る狐」。
だから、こいつにとって底辺から這い上がって成功を収めるなんて、あってはならない事であり、むろん、彼らを救ってやりたいなどと言う気持ちも毛頭ない。
現に、某ブログの管理人さんに、底辺を見下し、あざ笑うようにけしかけるようなことを言っているところを何度か目撃している。
奴にとって「高学歴」はいい人生で「低学歴」はみじめで「なくてはならない」。
ネトウヨレイシストにとって「日本人」はいい人で「朝鮮人」は卑しい人で「なくてはならない」。
どちらもそれがアイデンティティーであり、ここをケチをつけられると癇癪を起すのだ。
私が奴の事を「ネトウヨとメンタリティーは大して変わらない」と言ってきたのはここである。
『春日のブログ』より
2018-08-14 17:08:15
『クラシックと民謡』にも掲載。
(2019年3月10日)
つまり、上の馬鹿の心理を確認するために「クラシック 民謡 馬鹿の見本 徒然ブログ」を入れて検索したのですか?
そういうことだよ。。。
ただ、それだけのために。。。?
もちろん、それだけじゃないのだよ。。。 低学年児童に、どのようにしたらクラシックに興味を持ってもらえるか? 美由紀さんは、そのことをレポートのテーマとして選んでいた。。。 それで、オマエが書いた次の記事を参考にしたのだよ。。。
17.1 アルテュール・オネゲル
(1892-1955)
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アルテュール・オネゲルの《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》を久しぶりに聴いた。
何故か、こういうメカニカルな音楽は、なかなか飽きが来ない。
そういえば、ルイージ・ルッソロも、やがて我々にとって、市外電車や内燃機関、自動車や群衆の騒音を理想的に組み合わせる方が、<エロイカ> や <パストラル>を繰り返し聴くより、はるかに大きな楽しみとなろう、と書いていた。
ドビッシーでさえ、飛行機の時代には、それに相応しい音楽が必要だ、と言ったと聞く。
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そもそも、昔は、<作曲>された音楽はオーダーメイドであったのだ。
それが不特定多数の市民が対象とされるようになって、音楽はレディーメイドとなった。
作曲と演奏が分離、分業になったのは、この頃ではなかったか。
その方が生産、販売共に効率が良かったのであろう。
現代では、音楽は大量生産され有料、無料で配布されている。
身尺に合ないレディーメイドのお仕着せに、どのような音楽を聴いても相反するような気持ちがするのは、私だけではあるまい。
それはまた、一つ一つの製品に限った話ではない。
私は、演奏会や音楽会を提供する側、製品に付加価値をつけようとする側の編曲、つまりプログラムについても同様に感じる故に、めったに演奏会場に足をはこばないのである。
そうした違和感は、皮肉なことではあるが、自分で選択した音楽を、自分で配列した順序でレコードで聴けば、幾分かは軽減されることに私は気がついた。
それ以上を求めるのならば、自作自演をして、つまり自分で作曲をして自分で演奏して自分で耳を傾けるしか手が無いであろう。
私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、昔の民衆の創造性が信じられる。
しかし、私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない。
この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えないという気持ちである。
だから、私は久しく《パシフィック231》に対しても反感すらもっていた。
アルテュール・オネゲル自身はこの作品について、彼はこの曲で内燃機関の騒音を模倣しようとしたのではなく、むしろ視覚的印象や身体的快感を表現した、と語っていた(『わたしは作曲家である』吉田秀和訳 創元社 1953年 → 音楽之友社 1970年)。
視覚的印象といえば、クロード・モネにも、汽車の駅の構内を描いた作品があったっけ。
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サン・ラザール駅
そうしたレベルで、アルテュール・オネゲルの作品は描写音楽である、とも私は思う。
ただ、私は、彼に限らずに、こうした発言に出会う度に、直接に模倣、表現しているなどと思っている連中には、そう思わせておけ、とでもいった突き放した態度が何故とれないのか、と訝ってもいるいるのである。
そもそも、外界を完全に模倣、描写しようとして成功した音楽などというものが、未だかつて存在したであろうか。
音楽の具体性がそんな処には無い事は明白ではないのか。
アルテュール・オネゲル自身が別のところで釈明しているのは幸いであった。
彼は、あの曲の真の意図は、抽象的なリズム運動の表現にあり、形式としてはバッハのコラール変奏曲を念頭においた、と語っている。
私に言わせれば、彼の言う<抽象的なリズム運動>こそ音楽に於ける具体性であって、そこには直接的に情緒などが入り込む隙間などはない、ということである。
それにも拘わらずに、この作品を聴いて感銘を受けるのは、それはひとえに、創り手の対象への関心、敢えて言えば、対象への終始一貫した愛情とすらいえる拘りに、聴き手が共感するからである。
その対象とは、機関車からの印象であると同時に<抽象的なリズム運動>でもある、と私は考えている。
実を言うと、私は、アルテュール・オネゲルは、少なくともこの曲の前半では、機関車の騒音をある程度は模倣(しよう)としていると判断している。
それ故に、アルテュール・オネゲルのこの作品は、他人の情緒につきあう必要の少ない音楽であって、それが、今、むしろ、私がなかなかに飽きることがない、とでもいうことではないか。
ただ少し気に障るのは、この曲の後半で出てくる、あの安っぽい陳腐な旋律である。
これがアルテュール・オネゲルの言った<身体的快感を表現>しているのであろうか。
エイトル・ヴィラ=ロボスにも似た様な作品があるが、そちらのほうはコラール変奏曲のような技術的な背景がない事と、やはり安易な旋律が登場するので、二度目に聴いた時には、残念だという気持ちを覚えた。
その音響を好ましく感じた私ではあるが、聴覚に触発された視覚的情緒だけでは音楽は支えられない、とも思う私である。
音楽が、印象を含めての情緒、或いはその表現であるとしたら、それはそれで何ものかの描写であろう。
これもまた、程度の問題である。
アルテュール・オネゲルは、《交響的断章(運動)第3番》は《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》や《交響的断章(運動)第2番 『ラグビー』》の様には表題をもたないので、それほど受け入れられなかった、というような不満、或いは皮肉を言っていたが、果たしてそれは表題のせいだけであろうか。
私が《交響的断章(運動)第2番 『ラグビー』》でさえ、さほど楽しめないのは、私がラグビー(のルール)を知らない故だと思っているのであるが。
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追記(コーダ):
私の二人の娘たちは、蒸気機関車の走るのを見た事が無い。
この世代は《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》をどのように聴くのであろうか。
それは<抽象的なリズム運動>だけを聴く不幸であるのか、私には分かり様が無い。
それとも、それを見て経験した私の方が不幸なのであろうか。
<リズム運動>が、どこまで<抽象的>なのか、自分自身の耳で聴いても分かり様が無い。
この様に、一人の人間が、対象が何であれ、それを分かっているかどうかは、自分自身のことであろうとなかろうと不確定なのではないか。
これも、音楽のことだけではないであろう。
(赤字はデンマンが強調)
30-31ページ
『前奏曲集―あるアマチュアの覚書-作品 1の1』より
デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!
『クラシックと民謡』にも掲載。
(2019年3月10日)
つまり、クラシックの中でも、アルテュール・オネゲルが作曲した《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》を低学年児童に聴かせて解説すれば、蒸気機関車だから興味を示すかもしれない、と美由紀さんは考えたわけですか?
その通りだよ。。。 オマエ、意外にカンがいいねぇ~。。。
オイラは、あの馬鹿の見本と違って早稲田大学理工学部の数学科を優秀な成績で卒業したのですよ。。。 この程度の推理など朝飯前です。。。 うへへへへへへ。。。 でも。。。、でも。。。、クラシックと、馬鹿の見本 の関係がイマイチ、オイラには分からないのですが。。。
簡単なことだよ。。。 「現実主義者」と名乗る馬鹿の見本は中学生の反抗期から、現在、50歳になろうというのに ほとんど精神的に成長してないのだよ!
確かに、あの愚か者が書いたコメントを見れば、そうとしか思えません。。。
。。。だろう!? 要するに、この愚か者の、中学生並みの児童心理が、とりもなおさず、上で引用された「現実主義者」の心理 だよ。。。
つまり、その程度の精神的未成年に対して、アルテュール・オネゲルが作曲した《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》ならば、理解できるのではないか? 美由紀さんは、そう思ったわけですか?
その通りだよ。。。
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■『現実主義者 馬鹿の見本』
でも、あの愚か者はアルテュール・オネゲルが作曲した《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》を聴いても、全く理解できないと思いますよ。。。
オマエも、そう思うかァ~? 実は、僕もそう思っているのだよ! でも、美由紀さんは心の優しい女性だから、あの馬鹿の良い面を見つけてあげようとしているのだよ!
でも、無駄な努力だと思いますよ。。。
オマエも、そう思うかァ~? 実は、僕もそう思っているのだよ。。。
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(すぐ下のページへ続く)