不倫しかできないの?
10年不倫
彼女たちはなぜ、“不倫しかできない女”に
なってしまったのだろうか?
幸せになりたい。
結婚もしたい。
でも、どうしても不倫がやめられない。。。
10年以上も家庭ある男と付き合い続けた結果、
果たして何がもたらされるのか?
出会い、交際方法から
別れまで赤裸々な告白の数々と自らの体験を下に、
彼女たちの性愛心理の根底に迫る衝撃のレポート!
『週刊朝日 2006.7.21』
91ページの「十年不倫」の広告より
デンマンさん。。。、これって。。。また、あたしに対する当てこすりですわね?
違いますよ。僕はレンゲさんに嫌味を言っているのではありませんよ。
でも、デンマンさんは“不倫”する人を嫌悪していますわ。
分かりますかぁ~?
そんなことぐらい、デンマンさんの記事を読んでいる人ならすぐに分かりますわ。
僕は“嫌悪している”と言うほど拒否反応を示しているわけではないですよ。ただね、不倫したって、どうにもならないのに、なぜ、どうにもならない事を、どうにかしようとして不倫するのか?。。。それが不思議ですよ。
不思議でも何でもありませんわ。
レンゲさんにとって不倫は不思議でもなんでもないのですか?
ごく自然な事だと思いますわ。
ん?自然なこと。。。?
そうですわ。愛しているから不倫するのですわ。
それは可笑しいですよ。愛しているから不倫する、と言うのは詭弁ですよ。言いすぎですよ。愛していても不倫しない女性の方が圧倒的に多いですよ。
どうしてそのような事が分かるのですか?
レンゲさん、わざと愚かな事を言わないでくださいよね。レンゲさんほど頭のイイ女の子が、常識でも分かりそうな事を理解していないようなふりをする。
あたしは、本当に自然な事だと思っています。
不倫する事は決して自然な事ではありませんよ。それが分からないのなら、今年結婚した人を調べてみてくださいよ。不倫してそのまま不倫相手と結婚した人が何人居るのか? お互いに独身で結婚した人の方が圧倒的に多いんですよ。なぜなら、その方が自然だからですよ。
あたしは、統計の事を言っているのではありませんわ。数の事を問題にしているのではありません。あたしにとって不倫は決して不自然ではないと言っているのですわ。愛する人と一緒になりたいと思う事は自然な事ですわ。
レンゲさんにとっては自然でも、社会的に見ればそれは不自然ですよ。結婚している男に独身女性が愛を感じて一緒に暮らそうとする。重婚が犯罪である以上、不倫する事は社会的に不自然な事なんですよ。どうしても“幸せな不倫”がしたいのなら、重婚が許されている一夫多妻のイスラム教の国へ移住して、その国の既婚男性を見つけたらどうですか?
そんなアホらしい事、よう、できへんわあああぁ~
でも、どうしても社会的に認められるような“不倫”がしたければ、重婚が許されている国へ行くしかないでしょう?江戸時代と違って、今の日本は鎖国していないんだから、イスラム教国へ移住する事もできますよ。
デンマンさん、いい加減にしてくださいな。不倫したいために移住するなんて。。。そんな馬鹿げた話はありませんわ。
でも、レンゲさんは不倫したいのでしょう?
違います。あたしは不倫したいわけではありません。たまたま好きになる人が結婚しているだけですわ。
つまり、レンゲさんは、たまたま僕の事が好きになった。僕が結婚していると言う事は充分知っている。それにもかかわらず、僕とバンクーバーで一緒に暮らしたい。そう言う事ですよね?
違います。たまたま好きになって一緒に暮らしたいと思っているわけではありませんわ。デンマンさんが、あたしの事を“心の恋人”だと思っているからですわ。
“心の恋人”が結婚したら、“心の恋人”でなくなるでしょう? “心の恋人”と言うのは一緒に暮らさないものですよ。。。でしょう?
それは、デンマンさんがそう思っているだけですわ。
ところでね、今、“心の恋人”を入れてGOOGLEで検索したんですよ。。。びっくりしましたよ。
どうしてびっくりしたのですか?
なんと、『レンゲのフォーラム』に書いた僕の記事が48,000件のトップに貼り出されているんですよ。次のリンクをクリックすると見ることができますよ。
『GOOGLEで“心の恋人”を入れて検索した結果』
それで、“心の恋人”という意味を調べたわけなんですの?
そうなんですよ。それで、心の恋人の定義が手っ取り早くつかめるようにね、“心の恋人とは” を入れてみたんですよ。そしたら、2度びっくりしましたよ。
どうしてですの?
今度は、EXBLOGの『デンマンの書きたい放題』ブログに書いた僕の記事がトップに掲載されているんですよ。
『GOOGLEで“心の恋人とは”を入れて検索した結果』
それで“心の恋人”と言う意味が分かったのですか?
自分で検索して、自分の記事の中で書いた定義が出て来て。。。それを書き出しても、なんだか、アホくさいけれど。。。仕方がないよね。うへへへへ。。。とにかく、長くなるけれど、その箇所を書き出しますよ。
冗談ぬきで、舞い上がるような
いい気持ちです。
2004-8-16 19:46
ご苦労様、ありがとうございます。
バンクーバーでのわたしは、
デンマンさんにエスコートされて、
のびのびした表情をしていますね。
ここ大阪では考えられません。
あたしの精神年齢は32歳ですか?
大人ですね。
昔から思索にふけることが
多かったのですが、
そういった時に、
わたしは大人に
なれるのかもしれません。
でも、妄想にふける
中学生のわたしもいますが。
もうひとつ言えば、
不安にさまよう
4歳のわたしもいます。
わたしの詩・・・
(自分では自慰行為と呼んでいますが)
人に見せるのも、
まして批評していただけるなんて、
全く初めてだったんです。
デンマンさんが感想を書いて下さって、
冗談ぬきで、舞い上がるようないい気持ちです。
ネットで公開してよかった・・・
デンマンさんは少々わたしのことを、
買いかぶっておられるんじゃないかと、
少し不安です。
わたしがデンマンさんの“心の恋人”足り得るか・・・
いつか、ガッカリさせてしまうのではないかと、
自分自身の内面を省みて、心配になっています。
それにしても、わたしは幸せ者ですね。
この、“夢のバンクーバー”で、
わたしはデンマンさんを独占してしまったのですから
本当にありがとうございます。
質問の方もできるだけ早く、残りをお答えしますね。
by RENGE
『次元の違いとは端的に言うと』より
こうしてレンゲさんは叶わぬ夢を見たわけですよ。そして、その夢を実現させようとしてバンクーバーへやって来た。でも、レンゲさんの夢にはなぜか絶対に叶わないような要素が含まれている。
その要素とは。。。?
だから、ある人を衝動的に独占しようとする強い願望ですよ。
できないことでしょうか?
それも普通の女性ならば行動を起こす前にじっくりと考えるから、衝動的に事を始めないんですよ。つまり、レンゲさんが考えるようなことは詩の世界で実現するものですよ。詩とはそういうものでしょう?そして、心の恋人とはそういうものでしょう?僕とレンゲさんは詩の世界で比翼連理の恋人なんですよ。違いますか?それを現実の世界で叶えようとするから無理がある。
でも、デンマンさんだって衝動的に事を始めた事がありますわ。
そんな事はありませんよ。
ありますわ。あたし恵美子さんのことをデンマンさんの記事の中で読ませてもらいましたわ。
中学校に入学して間もなくだった頃だと思いますが、
全校生徒が体育館に集まった時に
同学年の恵美子さんが“乙女の祈り”をピアノで独奏したのです。
僕はその時初めてこの曲を聴いたのですが、すばらしいと思いました。
感動しました。
曲も良かったけれど、あの恵美子さんが弾いたのだという事も感動的でした。
この恵美子さんは小学校のとき6年間隣のクラスに居た可愛い女の子だったのです。
よく目にした事はあっても口をきいたことが一度もなかったのです。
初恋の人ではなかったのですが、僕の気に入った女の子でした。
遠くから見ていて、可愛い女の子だなぁ~と思っていたのです。
小学校ではクラス替えがなくて6年間同じメンバーだったのですが、
中学校では学年毎にクラス替えがあったので、この恵美子さんと同じクラスになる事を期待していたのです。
しかし、とうとう同じクラスになる事はありませんでした。
(こういう思い通りにならない事って、人生にはずいぶんとあるものですよね?)
とにかく、僕が気に入っていた“乙女”が弾いた“乙女の祈り”が忘れられなくて、僕はどうしてもこの曲が弾きたくなった。
大学に入学して下宿から通うようになった頃、下宿にピアノがあったので楽譜を買ってきて、独習で弾き始めたのです。
とにかく、一生懸命に独習したので、何とか全曲を弾けるようになったのです。
自分では結構マシに弾けると思ったので、ぜひ恵美子さんに聞いてもらいたいなぁ~と思い始めたんですよ。
そう思ったら、何が何でも恵美子さんに聞いてもらいたいと思うようになった。
それで、夏休みに帰省した時に思いきって恵美子さんに電話したのです。
当時、恵美子さんは音楽大学に通っていました。
恵美子さんはビックリするだろうと思ったのですが、極めて落ち着いて冷静に受け答えしていたので僕のほうがその落ち着き方に内心ビックリしたほどでした。
これまでに一度も言葉を交わしたことのない女性に初めて電話して僕のピアノの演奏を聞いて欲しいと言ったのですからね。
もちろん、どうしてそういう気持ちになったのか、かいつまんで説明しましたが、
今から思うと“すっご~い心臓”を持っていたものだと、自分ながら呆れる思いです。
その後、恵美子さんがコンサートピアニストになったのかどうか、僕は、もうぷっつり連絡していないから全く分からないのです。
僕は社会人になると間もなく海外へ出てゆきましたから。。。
当時、彼女の家にはグランドピアノがあって、その頃でもピアノ教室が別棟にあって、そこで子供たちに教えていました。
とにかく、恵美子さんに会ったのは前にも後にもそれっきりなんですよね。
電話した事もなければ、手紙を書いたこともない。
本当にその時会ったのが初めで最後!
『クラシックと片思い』より
デンマンさんだって、このように恵美子さんに衝動的に電話して会ったではありませんか!
確かに僕が恵美子さんに電話した事を衝動的にそうしたのだ、と決め付ける事もできるかも知れません。でもね、僕が初めて恵美子さんのような可愛い女の子が隣のクラスに居るという事を知ったのは小学校3年生の頃だと思いましたよ。それから彼女の事をアニメのヒロインを見るように遠くから見ていた。そのヒロインが中学校1年の時に“乙女の祈り”を独奏した。それに感動を受けた僕は、それ以来恵美子さんが“乙女の祈り”の曲と共に僕の心に刷り込まれた。つまり、心理学で言うところの“刷り込み”--“imprinting”だったんですよ。
分かるでしょう、僕の言う事が。。。アヒルは卵から雛に孵(かえ)る時に、初めて動くものを見て、そのモノを母親だと思い込んでしまう。上の写真の人間のあとに付いて行くアヒルの子供たちは、この人間を母親だと思い込んでいる。僕が中学1年生の時に恵美子さんが演奏する“乙女の祈り”を聴いて受けた感動は、それ程僕の純真な心に訴えるものがあった。
まさか、デンマンさんは恵美子さんのことを母親だと思ったわけではないでしょう?
もちろん、そうではありませんよ。それでは、余りにも滑稽な笑い話になってしまいますよ。僕はアヒルの子供のように恵美子さんを母親だと思い込んだわけではないですよ。うへへへへ。。。。つまり、終生忘れがたいような強い印象を。。。感動を。。。衝撃的に僕の心に植え付けたということですよ。僕は大学に入って、その感動を甦(よみがえ)らせようとピアノを独習し始めた。そして一生懸命やった甲斐があって全曲をものにした。その時の達成感が僕に勇気を与えれくれた。それで僕は夏休みに帰省した時に恵美子さんに電話したんですよ。つまりね、この一連の話を総合すれば、決して衝動的に恵美子さんに電話したわけではないんですよ。小学校3年生の頃から僕の心の中で熟成した夢であり、願望だった。俗っぽく言えば、僕の片思いであり、はかない恋心だったかもしれない。。。そういうことですよ。
つまり、衝動的ではなかったとおっしゃりたいのですね?
そうですよ。これを衝動的に電話して会いに行ったと受け止めるのは、レンゲさんの短絡的な考え方のためですよ。