◇カフェ・ソサエティ(2016年 アメリカ 96分)
原題 Café Society
監督・脚本・ナレーター ウディ・アレン
出演 ジェシー・アイゼンバーグ、クリステン・スチュワート、ブレイク・ライヴリー、スティーヴ・カレル
◇1930年代、ハリウッド&ニューヨーク
とどのつまり、ぼくはニューヨークでしか生きていけなかったのさ、とかいうウディ・アレンの溜め息のような開き直りが聴こえてきそうな映画だった。
まあ、予告編とはまるきり違ってて、ふたりのヴェロニカが臍になった話かとおもっていたらまるでそんなことはなかった。もっと元彼女のヴォニーと現妻のヴェロニカの間を行き来するんじゃなかっておもってたんだけどね。ところがそうじゃなくって、ジェシー・アイゼンバーグが叔父のスティーヴ・カレルを頼ってハリウッドに来たとき、カレルの不倫相手の秘書クリステン・スチュワートとほんわかな仲になるものの、結局、カレルの知るところとなり、さらにアイゼンバーグも知っちゃって、で、クリステンに「どっちを選ぶんだ?」と訊き、叔父に負けてハリウッドを去るって話が3分の2で、ブレイク・ライヴリーと知り合うのはその後で結局「ヴォニーって前の彼女なの?」っていうくらいの使われ方だから、なにもふたりのヴェロニカである必要はあんまりない。
それと、兄貴コリー・ストールののし上がっていくところがやけにカットバックされるなとおもってれば、なんのことはないアイゼンバーグがニューヨークに戻ってからカフェの経営者になるための伏線だっただけのことで、その始末のつけ方にいたってはこれまで殺しつづけてきたことの発覚による死刑で、さらにいえば死刑の直前にユダヤ教からキリスト教に宗旨替えする理由が「ユダヤ教には来世がないから」とかいうウディ・アレンお得意の自虐的なギャグになってるくらいしか面白味がなかったのはちょっと残念だ。
もっというと、ふたりのヴェロニカの間にはなんの波風も立たず、むかしの彼女とちょっぴり期待させるような再会ながら、結局のところ復縁するまでにはいたらず、別々な道を歩まざるをえないと知ったとき、やっぱり人生はほろ苦い喜劇でしかないんだよな、とかってやけに物分かりのいいラストにしちゃうのもなんだか残念だったな。
そうそう、たいせつなことだけれども、ウディ・アレンはこの作品で初めてデジタル・カメラ(ソニー製のCineAltaF65)で撮影したそうで、やけに画面が絶妙だったんだけど、なんでかとおもってたらヴィットリオ・ストラーロの撮影じゃんか。やっぱりな~。