狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

「自然死」とは、死の時を、他人に決められるもの(=殺人)では無く、自分で決めるもの(=自殺)でも無く、創造主によって決められるもの(=運命)で、その運命を素直に受け入れて大きく委ねる事

2013-10-26 01:15:43 | 健康・医療・暮らし 2012~2017
 総タイトル:【「自然死」とは、死の時を、他人に決められるもの(=殺人)では無く、自分で決めるもの(=自殺)でも無く、創造主によって決められるもの(=運命)で、その運命を素直に受け入れて大きく委ねる事・・・「大往生したけりゃ医療とかかわるな~『自然死』のすすめ」を読んで】

 「自然死」とは、死の時を、他人に決められるもの(=殺人)では無く、自分で決めるもの(=自殺)でも無く、神によって決められるもの(=運命)です。つまり、神に委ねる、運命を素直に受け入れて大きく委ねる事が、「自然死」となります。
 「大往生したけりゃ医療とかかわるな~『自然死』のすすめ」(著者:中村仁一氏、出版日:2012/1/30、出版社:幻冬舎)
 上記の本を読みました。
 生命は「神の領域」であり、人が此の世に生まれる時においても、人間によって操作をする着床前診断や出生前診断、代理母出産、例外を除いた人工妊娠中絶等は行なってはならないと私は考えます。
 人の此の世の誕生や死は自分の意志で行われるものでは無く、また自分の能力によって行われるものでもありません。全能の創造主によって、生命は誕生します。創造主の計画の下に、一人ひとりの生命は創造主によってコントロールされています。一人ひとりの生命は創造主の持ち物であり、自分のものではありません。よって、他殺は勿論、自殺も「罪」となります。
 しかし、ガン等の末期症状の中で苦痛が激しい場合に、ターミナルケアにおいての疼痛緩和によるQOLの向上を図る事は仕方が無いと思い、苦痛が無く精神的にストレスの無いリラックスした状態が、精神面における「自然」な状態に思います。
 また、胃ろうや経鼻チューブ、点滴、人工呼吸器等の生命維持装置等の多くのチューブ・機器に繋がれる事も「不自然」な状態で、精神的にもストレスと言う「不自然」な状態に繋がります。大脳の機能の消失で、且つ回復の可能性が全く無く、脳幹の機能のみが働く植物人間の状態においては、人工呼吸器等の生命維持装置を外しても構わないと、私の場合には思っています。
 「大往生」とは、安らかに、少しの苦しみも無く、立派に死ぬ事です。神を信仰し運命に委ねる事で、この世の欲望等の様々なものの束縛から解放されて心の安らぎが得られ、終末医療においての疼痛緩和等の限定利用によって身体的苦痛から解放されると同時に精神面のストレスからも解放され、立派に老衰死出来るものと思います。
 濃厚医療や濃厚介護が患者の自然な平静さを奪っています。「医療が”穏やかな死”を邪魔している」、「『できるだけ手を尽くす』は『できる限り苦しめる』」(本書より)。逆に「放置」される事は、マイペースで、誰からも束縛されず、自由に、自分の思うままにいる事が出来ます。その上で、神に委ねる、運命に委ねる事が、最も自然に、俗事(世間のわずらわしい事)からも解放されて、ストレスの無い自然な心の状態に、そして人間としての最も成熟した状態になります。
 避ける事の出来ない死に関連して、告知・延命処置についての「リビングウィル」や、尊厳死について、自然災害・犯罪被害等の被災の非常時にも通用する「エンディングノート」、遺言書等を書く事は、自分の死について真剣に考える事となり、その事が生き方の見直しにも繋がります。
 メメント・モリ(死を想え、死を忘れるな)。

 
大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)価格:¥ 798(税込)発売日:2012-01-30




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