狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

ワクチン接種による感染

2012-11-22 22:51:17 | 予防医療の危険性と生命倫理
 昨日の「ウススの手紙」の内にある、「生命も危険にさらされているというが、それなら子どもらを医者や薬剤師に育て、そのうち彼等の生命を奪うがよい。」の指針に則って、現代の医療の頂点にはユダヤ系の大学・病院・製薬会社が存在します。日本の医療は以前はドイツ語でカルテが書かれていましたが、現在は英語で書かれています。ドイツでは第二次大戦後、ユダヤ人を非難する事によって社会生活を送られない様にするレッテルが貼られ、仕事や働く機会・場も奪われてしまいます。又、ドイツ国内でユダヤ人は非課税となっています。日本においても大戦後、GHQによって様々なものが定められ、医療も其の方針によって方向づけられました。その様な事を背景にして、医療界における第一人者によって書かれた本が在ります。
 「インフルエンザワクチンはいらない」(著者:母里啓子氏、出版社:双葉社、出版日:2010/12/22)
 現代ではインターネットも普及して、急を要しない自分が罹った病気の種類や原因、治療薬等を、病院に行かなくともある程度自分自身で調べることが可能となっています。又、軽症では無かったり不安が大きい症状の場合に、医療施設で診療を受ける場合においてのインフォームドコンセントにおいても、自分自身で知識を得て持っておく事で、セカンドオピニオンも併せて利用する等して、医師の言う事を鵜呑みにせずに医師を父権的に捉えずにコミュニケーションを図って、自分に合う、自分により都合の良い医療を選択する事が可能となります。そういった背景のある中、ワクチン接種においては自己責任が求められる様になってきています。かつての様に集団接種で義務づけられている様なワクチンを拒否したり、逆に接種せずとも良いとされているワクチンを希望する事があります。医療に関する情報は日進月歩で、出来るだけ最新の情報を基にして、各個人の判断に委ねられる事になります。しかし、専門的な勉強をしていない一般の方々にとって解りずらい情報も多く、結局は医師の診断等に寄る事が多くなります。本書は、一般の方々に対してのワクチンに関するひとつの指標となるもので、非常に参考になるものと思われます。
 最近ポリオワクチンがやっと、日本において副作用のある生ワクチンから副作用の無い不活化ワクチンに使用変更する事が承認されました。西欧地域では早くから不活化ワクチンが使用されてきたのですが、アジアやアフリカの地域では相変わらず生ワクチンが使用されて来ました。一説によりますと、白人優生学に則って、70億の世界人口の限界を感じている支配層が、人口削減の一環として有色人種を削減したい考えが有る様です。エイズがアフリカのある一部の地域で流行した事が、実は予防接種と称してエイズウイルスの入ったワクチンを強制接種して発症したという情報も有ります。日本でも実際、非加熱血液製剤を使用した薬害エイズ事件や、薬害肝炎事件が有ります。又、日本医師会元会長・武見太郎氏の自身の著作にて、戦後の占領下にあった日本において、GHQのサムス准将が厚生省に、発疹チフスの人体実験を行う様に指示して、厚生省が其れを受け入れていた事を述べています。他にも、子宮頸がんワクチンには不妊剤のアジュバンドが入っていますが、今、特に学生等の若い世代を対象に過大な宣伝をして勧められています。昔は人口調整の為に戦争が行われました。日本においても間引きと言う事を実際に行っていました。人口増加干ばつ等の異常気象によって、飢饉の発生する可能性が高くなっています。世界の支配階級は、そういう状況に危惧しています。ウイルス生物兵器、テロに使用される可能性があります。2009年の新型インフルエンザ流行は、テロであった可能性があります。その様なテレビや新聞の伝えない裏側の情報も、普及しているインターネットから得る事が出来ます。又、薬やワクチンの使用は、製薬会社の利権の為も有ります。
 インフルエンザウイルス変異が早く種類が多い為、ワクチンを作っても次に流行するウイルスに当たる可能性は低いです。有効率も7~8割であるとされます。又、ワクチンを打って血液中に抗体を作っても、感染する喉には抗体が出来ない為に意味が有りません。又その上に、保存料としてチメロサール(水銀)が添加され、脳の神経細胞の退縮等で神経に障害の出る恐れが有ります。同様に歯科で歯の詰め物に使用されるアマルガムにも水銀が含まれています。かつて水銀汚染による水俣病が有りました。
 著者は、以下にいらないワクチン・いるワクチンと分類しております。
 (1):必要なワクチンとして麻疹、破傷風トキソイドをあげています。因みに破傷風菌は嫌気性菌なので、空気に触れると死にます。又、風疹ワクチンは全員には必要ないと言っていますが、抗体を持っていない女性が妊娠初期に罹らない様にする為にはあった方が良いと言っています。
 (2):無理をして打たなくてもいいワクチンとしてポリオ、BCG(結核)、日本脳炎、ジフテリア・トキソイド、百日咳をあげています。
 (3):必要ないワクチンとして子宮頸がん、Hib、肺炎球菌、水痘、B型肝炎をあげています。子宮頸がんワクチンの場合、癌になる15種類のウイルスの内の2種類だけをとりあげてワクチンを製造しています。他の種類のウイルスに罹った場合、そのワクチン接種は無意味となります。
 ワクチン接種によって抗体を作って免疫を得るよりも、自然感染で抗体を得た方が強い免疫を得る事になります。幼児期においてはともかくとして、子供から成年、高齢者に至っては、バランスの良い食事運動等の生活習慣の改善によって、免疫力の増強が得られます。又、病に罹った場合でも、西洋医学で用いられる化学薬品の長期服用は副作用が多くなりますが、東洋医学で用いられる自然の植物等が原料の薬は副作用が少ないです。その様に、出来るだけ自然に近い療法が、人間の恒常性(ホメオスタシス)における、免疫系・神経系・体液系(ホルモン)のバランスと増強が得られます。
 著者は、「ワクチンで病気を防げるというのは、人間の思い上がり」と言っています。人間のする事には限界が有り、医学や科学も人間の作っているものである為に限界があります。ウイルス・細菌感染を含めた自然災害に対して、人間は防災・減災対策を施しますが、人間の能力には限界があって防ぎきることは出来ません。人間は自然に対して勝つことは出来ません。自然との共生・共存、自然を受容する姿勢が必要で有る様に思います。因みに、人間の体は器官・組織・構造が完璧に造られており、人間の能力でそれらを造る事は不可能であります。人工臓器等が作られて近付こうとしておりますが、限界があります。
 
インフルエンザワクチンはいらない (双葉新書)インフルエンザワクチンはいらない (双葉新書)価格:¥ 840(税込)発売日:2010-12-22



2012-11-22 22:07:57 | エッセイ・コラム
 「罪」について。全ての人間の心には元々罪の性質が在り、犯罪や悪行は其の罪の性質の表れです。元々持っている原罪と言う幹の部分が存在し、此の世の中で生きて行く内に、其処から枝葉となって罪を犯す部分が伸びて来ます。法律や規則を破ったり非道徳的な事をするというのは世間においての表面的なもの、世間の秩序を乱すものであり、それらの向こうの延長上にある本来の罪の根本的意味は、神の御心に背く事、神の御名を汚す事であります。つまり、神を信じずに神に背を向け、自分の能力を信じ、神から離れる事から、元々持っている原罪から枝葉が伸びて来ます。誰かに暴力を振るったり、誰かに悪口を言ったりした場合、其の被害者に謝るのは当然ですが、其の被害者を通しての神の御名を汚した事、神の御心を崇めずに侮った事にあります。罪に対する「悔い改め」は、被害者に対する謝罪・反省だけでは無く、もっと大事な事は、神の御名を汚した事や神の御心を侮った事に対して、後悔し反省し、謝罪し、許しを請い祈る事です。又、其の為に後に自分自身が苦しみを負おうとも、神を賛美し祈り続ける事です。
 神に従わずに人間が生きる事が罪となります。旧約・新約聖書の「約」は、神と人間との契約と言う意味であり、聖書には人間が生きて行く上での守るべき約束事が書かれています。人間が自分の意志や欲望で望む「自己実現」は「罪」であり、「神実現」が其の契約書である聖書に書かれています。其の契約に違反する事で、刑罰としての「死」(地獄)があります。
罪の世界で生きる世間の人々は、「自己実現」によって不安を取り除こうとしますが、予め定められている「永遠の死」からは逃れられません。学歴、肩書き、仕事上の経験、財産、世間の評価等、其れらを得ても「死」の解決にはなりません。
 神様なんていないとおっしゃる方は、人間の傲慢な気持ちを持っているに過ぎません。人間がものづくりをする時に人間自身の役に立つ様にと物を作りますが、同様に人は万物の創造主なる唯一の神様によって、神御自身に役に立つ様にと造られました。



法然・親鸞は古代ユダヤ人

2012-11-22 21:47:00 | 歴史・伝統・文化
 平安時代中期のA.D.10世紀頃、各地で疫病や火事、争乱が続発して社会的な不安が広まり、破滅の世の到来が近くなっていると言う末法思想が流行りました。その様な背景から死後に悩みの無い世界へ行く事が出来るという浄土教が広まり、空也等が庶民の間に布教して回りました。空也は仁明天皇の子常康親王の子ですが、草履ばきに粗末な衣を身にまとい、下層の貧しい一般庶民の間で念仏を唱えながら布教しました。又、同様に其の不安定な背景から、豪族等から武芸を積んで訓練した武士が興りました。最初武士は臨時的に治安維持や争乱鎮圧に使われましたが、11世紀に入ると貴族等の下に常時その役目を持って置かれる事になりました。其の後、12世紀になって天皇・皇族間や摂関政治の貴族の間での内部対立が起こり、その争いに武士が利用されました。1156年の保元の乱1159年の平治の乱では、平氏や源氏の武士が活躍して其の問題を武力によって解決した為に、それ以来貴族の間で武士の地位が上がりました。其の頃に出て来たのが、法然と親鸞です。 
 貴族に抑圧されていた武士が台頭して社会変革が成されていった頃に、法然が仏教界において革命を起こし、其の遺志を受け継いで戒名を無くす等をして其の改革をより一層強く推し進めていったのが親鸞です。当時、お金持ちのものであった仏教を貧乏人や女性、罪を犯した者でも成仏できるとし下層の民のものとした法然と親鸞。そして、僧侶が隠れて女性関係を持っていたのを、堂々と隠さず妻を得た親鸞。
 法然は1133年の生まれで、人間救済を本願として1175年に浄土宗を開きました。法然は秦氏が多く住んだ美作国(岡山県)で生まれ母親が秦氏、父親も秦氏の血筋の辛島氏を先祖にもつ漆間時国でありました。辛島氏は製鉄・鍛冶を行ない、その祭祀も司っていました。又、豊前国(大分県、福岡県)を根拠地としていましたが、大分県には八幡神社の総本社の宇佐八幡宮が在ります。秦氏が八幡神社と稲荷神社を作りましたが、渡来人の秦氏は新羅系で、宇佐八幡宮は応神天皇(八幡大神)、神功皇后(応神天皇の母)、比売大神の「3柱」を祭ります。秦氏は応神天皇を支援して、後に畿内へと移動します。記紀神話や風土記の天日楯(アメノヒボコ)は新羅の王子で、九州から山陽道を通って移動する間に在地の豪族と戦い、但馬の出石(兵庫県)に納まった事が書かれています。しかし、古事記・日本書紀は奈良時代の中央の権力者の意向で書かれた物で、その内容を鵜呑みにする事は出来ません。また神話も同様ですが、その記述からその時代の背景を読み取る事は出来ます。
 一方、親鸞は1173年に生まれ、法然の教えをより深く進めて、罪を犯した人も救われる事を本願とする悪人正機説を唱えて、1224年に浄土真宗(一向宗)を開きました。其の親鸞は源頼朝と源義経の甥になります。源氏は秦氏の血を受け継ぎ、後に多くの大名へと末裔が広がっていきます。哲学者の梅原猛氏は、親鸞の「人は皆悪の心を持つ」という「原罪感」が、母方の源氏の血筋から来ていると言われています。それは、聖書的な考えである、人は皆元々生まれながらにして罪を犯しやすい性質を持っていると言う「原罪」に共通しています。秦氏が景教(ネストりウス派キリスト教)の信者であった事からも理解出来ます。
 法然と親鸞、そして虐げられていた武士の台頭によって貴族の握る世の中に改革が起こされ、下層・末端の庶民への希望が与えられました。