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狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

日本の朝鮮統治、九分通り公正・穏健であった事を肯定・正当化するばかりでは無く謙虚に疑う・・・段階を経る毎の改革、日本の指導層の文武両道精神と空気に支配されやすい内地の世間一般大衆の偏見・差別意識の違い

2017-12-09 13:38:47 | 歴史修正
 日韓併合前からその後の同化政策まで、九分通り程は日本の統治は公正であった。しかし勿論完璧では無く、その各段階に於いては、朝鮮人の方々に対し幾らかの「苦痛」や「屈辱感」、「怒り」、「困難」を与えた事もまた事実であった。現在、韓国や北朝鮮が民族主義的史観で反日バッシングを行って来るのは、それを行う事による愛国心の高揚化と集中化の為でもあるが、マスコミが一部分だけをカットして報道する事と同じ様に、戦前の日本の内の悪い一部分の所だけに焦点を当てて、それを論っている事が言える。
 また、半島と内地との違い、日本人の中でも上層部・指導層と世間一般・民間との違い、各時期での違いが有った様である。対外脅威が迫る中で開国した日本は、自国の安全保障を高める為には隣国の朝鮮の近代化と独立が必要であった。 1868年明治維新後の朝鮮との関わりの流れを見ていく。
 1873年、地位や名誉、職を奪われた士族達の不満を背景に、日本の開国要求に対し無礼な態度を取って来た李氏朝鮮に対しての「征韓論」が湧き起こった。しかし情にもろく「敬天愛人」を座右の銘とする西郷隆盛は、武力による征服を否定し、自らの命を犠牲にする覚悟を持って使節として赴く「遣韓論」を唱え、閣議で了承された。しかしその後、海外を視察して帰国した岩倉使節団の要人らが、国内の充実を行う「内治改良」を優先にするべきとの考えから議会に工作を行い、「遣韓論」は延期となった。そして西郷は、権謀術数を使って決議を撤回したやり方に憤慨して、鹿児島へ下野した。
 その後1875年、「征韓論」を基に朝鮮に対し武力で開国を迫り「江華島事件」の武力衝突を起こした。翌1876年、不平等条約である「日朝修好条規」を朝鮮との間で結んだ。そして翌1877年、「征韓論」に敗れた西郷隆盛は、賊軍として「西南戦争」に敗れた。
 その後、日本が近代化を援助する朝鮮で、1882年「壬午事変」1884年「甲申事変」が起こり、共にの鎮圧によって治められた。日本は朝鮮に於ける清との勢力争いに敗れ、また朝鮮の開化派・独立派も抑えられた。そしてその後直ぐに、福沢諭吉が朝鮮の独立気概が無きと見て、「脱亜論」を唱えた。
 その後1994年から1995年の「日清戦争」で日本は勝利し、清を宗主国とする朝鮮を冊封体制から脱して独立させる約束を得た。しかし、フランス・ドイツ・ロシアによる「三国干渉」によって、朝鮮に於いて親露派が台頭する事となった。その後1997年に、李氏朝鮮は「大韓帝国」と、一応名前だけ変える事となった。
 1904年から1905年の「日露戦争」で日本は勝利し、朝鮮半島の権益を獲得した。そして1910年「日韓併合」、翌1911年に関税自主権の完全回復や通商航海条約見直し等の対外条約改正を達成した。
 日韓併合後、当初の朝鮮人に対する「同化政策」「武断政策」によって行っていた為に、厳し過ぎる事からの不満が積もった。1919年、「三一独立運動」が起こり、その事を受けてその年まで朝鮮総督であった長谷川好道氏「騒擾善後策私見」を著し、後任の斉藤実提督「改革」を託した。
 「騒擾善後策私見」は総じて穏健なものであった。斉藤総督はその提唱の幾つかを実践し、朝鮮人官吏の待遇を改定、警察組織の再編成・拡大、憲兵制度の廃止、地方自治職への民間人官吏への開放、教育改革、ハングルの新聞・雑誌の発効許可、日本人教員・裁判官・その他民間人の佩刀禁止を行った。以降、朝鮮統治に於いては「文治政策」に変わり、その後も歴代の総督の下で、朝鮮人の有権者がハングルで投票用紙に記入出来る様にする等の諸改革を行っていった。
 1891年、日本を訪問中のロシアのニコライ皇太子(後のニコライ二世皇帝)が警察官に斬りつけられる「大津事件」が起こった。当時、開国後の世界デビュー、産業発展、国力増強を図る中で、対外関係悪化等を恐れた政府やマスコミ、国民は加害者を死刑にする様に主張した。しかし最高裁は、それらの主張に影響されず、飽くまでも法至上主義の原則通りに、司法の独立を守って、公平・公正な判断をした結果、終身刑の判決を下した。この法至上主義の原則司法の独立は、そのまま朝鮮統治に於いても行なわれた。
 尚、前出の「三一独立運動」の結果、逮捕されたのは1万2千6百数十人、この内、不起訴・起訴を含め最終的に死刑・無期懲役になった者はおらず、懲役15年以上の実刑になった者もいない。そして、3年以上の懲役は80名であった。日本は内地と同様に、朝鮮に於いても「協調」の原則を重視した。
 ある米国人女史が反日的な答えを期待してインタビューしたにも関わらず、日本統治下の生活の経験を持つ人達の答えは、総じて「ありきたりな生活」、「余り辛い事は起こらなかった」、「殆どの人は日本の統治に順応していた」というものであった。
 1919年「騒擾善後策私見」に基づく改革の後、内地では、1922年全国組織結成、翌1923年関東大震災が発生した。奈良時代に仏教が国教となって大仏が建立されて以来、日本には差別が存在して来た。、の方々は、牛を殺生する事と偶像崇拝を拒否した事がきっかけとなって、それ以来、理不尽にも差別され続けて来た。日本人同士の中でもその様に差別する理由が解らない、道理に合わない、偏見が存在している事と同様に、内地に於いては朝鮮人に対する「鮮人」という「蔑称」が存在した。これは、日韓併合前後に於いて内地と朝鮮半島との経済格差が大きく、近代化の格差が大きかった為に、その様な偏見に繋がったものと思われる。朝鮮半島の場合は内地の日本人が後から引っ越して来るのでその様な偏見やその事から生じる差別は余り無かったと思われるが、内地の場合は、日本人同士の間に存在する差別と同様に、在日朝鮮人の方々への差別は有ったものと思われ、それは今日まで続いている。
 そしてその様な偏見や差別が有る状況も有った為か、在日朝鮮人の方々の中には反感を持つ者も少しはいたのではないかと思われ、関東大震災に於いてテロを企てる者が出たものと思われる。
 日本人の世間一般の人達の性格・傾向として、昔から相も変わらずに、その場やその時の「空気」に支配されやすい欠点が有る。それ故、流言飛語に飛び付き、乗っかり、流されてしまいやすい。根拠を持たず、理由も無く、空気、周囲、マスコミに合わせて行っているだけの者が多い。自分で考えず、自分で判断出来ず、大概、周りの反応で決めているだけの者が多い。更に、個性を排除し、単独・自立を軽んじて、群れ・依存を重んじている者が多い。その様な人達が日本の国内で多数派を占めている為に、偏見や差別が起こりやすい。故に、や在日朝鮮人の方々への偏見や差別に繋がっているという事が出来る。よって、それらの方々に対して差別する理由は、実は存在しないのである。差別のきっかけを見ても、それが正統な理由にならない事が解る。
 その世間一般の人達とは異なり、日本の上層部、指導者の方々は、「法の支配」と同様に公平・公正であった。故に、上層部の方々は日本人と朝鮮人を差別する事は無く、同等に扱う様な政策を施した。その上層部・指導層の方々の精神は、「文武両道」、「武士道」の精神であった。教養・素養が有ってこそ、民を導き国を治める事が出来ると考えていた。よって内地では、現在を見ても解る様に偏見や差別はその当時も勿論有ったものと思われるが、朝鮮半島に於いては却って余り無かったのではないかと思うのである。
 例えば例として、従軍慰安婦の日本軍や政府による強制は無かったのであるが、日本の「民間業者」による犯罪は、少しは有った様である。当時、朝鮮半島に於いては、金日成(後の初代北朝鮮指導者)等の朝鮮人の匪賊が、同朋の朝鮮人女性を拉致していた。
 また、徴兵制を採っていた事から様々な者が兵士として採用される為、中には犯罪を行う者も少数出た。しかし日本軍には軍規が有った為に、その様な犯罪者が出た場合は厳しく取り締まった。軍の中にも、「法の支配」による公平・公正が存在していた事が解る。
 以上、誠に簡略し過ぎ、省略し過ぎて余り解らないかもしれない。その当時の流れに於ける各段階を経る中で、日本が当時朝鮮に対し善い事ばかりを行ったという様に偏る事をせず、正当化する事もせず、また国内でその様な完全に肯定・正当化する様な論調のものに対しては疑いを抱きながら、謙虚に今後も勉強したいと思う。

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 参考文献
  「『日本の朝鮮統治』を検証する1910-1945」(著者: George Akita氏 、‎Brandon Palmer氏、訳者:塩谷紘氏、出版社:草思社、出版日:2013/08/23)
  「市販本 新版 新しい歴史教科書」(著者:杉原誠四郎氏、藤岡信勝氏、他、出版社:自由社、出版日:2015/06/03)
  「代表的日本人」(著者:内村鑑三氏、訳者:鈴木範久氏、出版社:岩波書店、出版日:1995/7/17 … 1908/04/29刊行英文書の翻訳新版)




「日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945
「『日本の朝鮮統治』を
  検証する1910-1945」

市販本 新版 新しい歴史教科書
「市販本 新版 
   新しい歴史教科書」

代表的日本人
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