HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

愛情の育て方 日々の生活の在り方を考える

2018-03-16 01:06:22 | 新しい希望に向けて!

 愛情の育て方 日々の生活の在り方を考える

家庭崩壊の話をしたが、家庭崩壊を防ぐにはどうしたらいいのだろうかと考える。もちろん、夫あるいは妻の浮気などといったことは好ましいことではないのであるが、実際自ら好んで浮気する男女もあるまいと思う。やはり根本は、男女ともに、深い愛情やお互いの愛の絆を強めて行く努力が何より大切である。

それではそのためにはどうするのか?これには幼いころからの心情の育て方が一番大きな課題となってくる。

 父母の愛をふんだんに受けて、しかも固い絆を結ぶ秩序や規範の在り方を熟知するような親の教えや指導、愛情あふれる育て方が問題になってくる。育児に関しては様々な指導書や教育学があるので、それらを参考にすればいいと思うのだが、そういう中で、特に現代になって欠けてしまい易いのが、心情教育であり、さらには善悪をきちんと判断できる生き方を身に着けさせることである。

神様を自然に実感して行けるように

そこで課題になってくるのが、宇宙の根本にあられる神様の存在と、その神様への感謝やそこに依拠する心情の育て方になってくるのである。

現代教育では、とかく宗教的教育が教育現場からは排除される傾向性がある。イスラーム世界やあるいは仏教国などでは、国を挙げての宗教教育が盛んなわけだが、とかく西欧のキリスト教世界では、政教分離が進んで、学校教育などでの宗教教育がされなくなってしまっている傾向性が強い。家庭で宗教教育がなされればいいけれども、そうでなければ、教育現場が無神論的、唯物論的にななりやすい傾向性を孕んでいるのが現実である。

日本などでも、学校での宗教教育はほとんどなされないし、各家庭でも特に何らかの宗教団体に属するなどして、あるいは自宅に仏壇や神棚などがあって、日常的に宗教的な環境に接する家庭や、子供たちの環境があればいいが、特に核家族化が進行する中で、普遍的価値を顕すようなものが無い家庭は、子供たちに心情の豊かさを育てることが非常に難しくなってきていると言えよう。
 人間が単なる動物ではないこと、あるいは自然の中に無限の恩恵や祝福の有ることなどを身をもって体験させられるような指導を子供たちにできるかどうかが重要になってくる。

特にこれからの時代は世界の人たちが様々に交流し、往来する時代になってきているので、宗派性の強い宗教は嫌われる傾向が強くなってきている。もっと自然の中で子供たちを育てながら、日常生活の積み重ねの中で、子供たちが宇宙の始原や、人類の歴史などの興味や関心を持つように育てて行くことも大切では無かろうかと思う。だから、我々にはより良い生活のアドバイスや、育児や家庭生活のヒントをもらうような教材や資料が求められてきているのではと思う。

愛の心情を育てる
あるいは自然な交わりの中で、自然に愛情を育てられるような生き方を学ぶ場もほしくなってくる。
そいう言う意味では、これからの時代は、より充実した家庭生活を送る上でのヒントや知恵を、自然に学べるような出版物や動画などの資料が求められる時代になってきている。あるいは人と人との対話や交流の中にヒントや知恵が生まれてくると言うこともあり、日常的な交流の場が求められてもいるのではないでしょうか。そういったときにちょっとヒントになるような・・一品のような情報も価値があるように思われる。
それともう一つ。これからの時代は特別に誰か力のある人がいて、その人の導きに従うというよりは、この社会を構成する一人一人が、神から生かされている実在であることを自覚して、天性の個性や能力を発揮していく時代ではなかろうかと思う。勿論強力なリーダーは必要だが、個々の個人や家庭が能力を最大限発揮してこそ、社会は発展して行くのである。人間存在が、細胞の一つ一つが活性化してこそ、人間存在として最高の能力を発揮できるようになるのと同じである。
今の時代は個々の人間力や家庭力を高める時代だと思う。言葉を変えれば愛情を豊かに持つ家族で構成された家庭があって、その家庭同士が緊密な連携を取ることのできる社会が出来れば、この地上に無数に存在する矛盾や葛藤や差別、抑圧といった類のものは一掃されて行くのではなかろうかと思ってみたりもする。

とにもかくにも我々は神を中心に心豊かな人間となる努力を日々の家庭生活や、隣人との交わりの中で実現して行くことが真に人間らしい豊かな社会を作り上げて行く第一歩となるに違いない。世の中のことに広く関心を持つ人間となることも大切だろう。

 

 

 


妻の浮気の誘因は家庭を顧みない夫の側にも責任が

2018-03-13 17:23:49 | 新しい希望に向けて!

 妻の浮気の誘因は

家庭崩壊の原因で一番大きいのが妻の浮気だとしましたが、そういう妻が浮気に走る誘因は夫の側にもあります。仕事一途で、妻や家族を蔑ろにしたり、家族サービスをしていなかったり。どちらかといえば企業戦士タイプにこういう夫が多いようです。

一生懸命「家族のため」と思いながら働いて来たけれど、夫の帰りを待ちわびる妻や子供の気持ちを省みることが少なくなれば、当然妻や子供たちは寂しさを感じます。そういう時に優しい声をかけてくれる誰かがいたら、男女の特別な関係に至らないまでも夫との関係は疎遠になったり、夫に疑われたりと言うことが起こってきます。親やそのほかの大家族がいればそう言うことも起きにくいのですが、核家族や、夫があまりにも妻を等閑にしているとそういったことが浮気の要因になったりしてしまいます。

 家庭崩壊を解消する地道な活動

家庭崩壊の原因追及やその問題の解決にはあまり世の中も熱心ではないようです。これまでどちらかというと、こういった問題は宗教や倫理・道徳団体が取り扱ってきましたが、どちらかといえば宗教団体は個人救済的なところが多く、倫理・道徳団体も幅広い社会の要請にこたえるところまでは言っていないようです。しかも政治や行政では扱いにくい問題とされて来たので尚更です。

これからの時代は幅広く、これらの問題に解決の道を見出す、研究や運動、普及といったことが重要になってくるのではないでしょうか!特に実践的な面で広く社会に貢献できるようなクリアーな運動主体が求められれいます。政治的立場や宗教・思想的立場を越えて、広く国民や市民にしじされる地道な草の根運動的な取り組みが大切だと思います。

 


発展する運動となって行くには

2018-03-13 07:11:02 | 新しい希望に向けて!

 発展する運動となって行くには

 

安心安全な商品が並ぶスーパー

最近あるテレビで、東京や神奈川で最近話題のちょっと変わったお店の紹介をしていた。

それは、「生活クラブ」という生協が経営するスーパー「デポー」。ここは様々なオリジナル商品が魅力で、年々組合員数を増やして今や38万人の会員がいるという。

ここの特徴は、消費者である組合員自らが加わって開発したオリジナルなPB商品。

消費者である組合員が直接加わって、生産者と二人三脚で、「安全で美味しい商品」を開発し続けて来た。あくまで消費者目線で、原材料から加工の仕方に至るまで、素人ではあるけれども消費者として不安な原材料や製造過程の不安を一切取り除いた、商品作りで、ここで売っている商品はどれも安心できるし、おいしいという商品を作り上げて来たのだそうである。

生産者からすれば、これで安全性も心配ないし、味も良いだろうと思うのが、消費使者の立場からみれば、そうでもないことが多い。製造過程で一見不合理だと思うことが、消費する立場から見れば理にかなっている場合があるのである。

消費者目線の商品開発に主婦たちが

もとは社会党系の政治運動を行ってきた組合の創業者たちだったが、牛乳値上げに対抗して、本当に安心でおいしい牛乳を!と、自分たちで牛乳工場を立ち上げたところから始まったらしい。

そのうち消費者の主婦たちが加わって独自の商品開発を始めるようになって、本当に安心して消費できる商品が受け入れられるようになり発展を遂げて来た。

生活クラブの組合員の中から地域に受け入れられ喜ばれる事業を起こした主婦起業家がすでに600もあるそうである。それは消費者目線の商品開発に取り組んできたノウハウを生かして、本当に地域に愛され必要とされる、例えば高齢者向けの弁当屋などを起業してきたからである。

ここの組合員たちは自分たちが「社会をよくする主役になる」という意気込みに満ち溢れているという。

だから、今この「生活クラブ」は、創業者の意図するところを越えてどんどんと発展して行っているのである。敢えて、会員拡大と言わなくても多くの主婦の支持を得て組合員は増え続けている。

 

発展の鍵 

筆者は、ここに発展の鍵があると思った。

どんなに素晴らしい商品があるとしても、本当に必要としている商品を消費する消費者の立場に立たなければ人々から受け入れられない。却って一見不合理のようでも、社会に密着した消費者の立場に立って、個々の感性や能力を発揮していった主婦達の力が大きな発展の原動力になったのである。

 

家庭崩壊の激しい時代、今世の中はこの家庭崩壊を食い止める何ものかを求めている。

そのことに多くの学者や研究者が処方箋を書いてはいても、それがそのまま受け入れられ、現実に問題を抱え苦しんでいる家庭を救うには至っていない。

本来的な家庭を追及して家庭理想の実現を目指した家庭連合であったが、その理念や活動は広く社会に受け入れられているとは言い難い現実がある。

今後FPAがその課題を解決するべく取り組んでいったとしても、実際に家庭の崩壊や問題に直面する多くの人たちの現実と遊離しては本当に役立つ運動とはなりえないだろう。

おそらく、FPAに所属する家庭自体が、様々な課題を今でも抱えているのではとも思う。解決の鍵はみ言であり、原理だが、その原理やみ言をどう生かすのか?それは現実にあるそれぞれの家庭自身の課題である。膨大なみ言を、生かしたものが現実に有用なものとなって行く。

本来の訓導家庭教会の在り方がそこにあるのでは!

本来それが、氏族メシアやホームチャーチの課題とするものではなかったのか!

我々は日々の訓読生活で、ただみ言を訓読していればいいのではないだろう。み言の訓読を通して我々自身が、宇宙の根本や、本来的な家庭や社会の在り方を実感し、我々自身の生活や思考を改善して行ってこそ、み言が有効なものとなり、多くの人々を救済する価値あるみ言となって行く。

それこそが本来的な訓読家庭教会ではないかと思う。

本来はグループ活動で、み言を通して発見した物事のとらえ方や生活の在り方の生の情報を交換して行くこそが、本当に価値ある生き方を提供して行く氏族メシア活動になるのではと思う。

そうしてこそ、社会全般に広く普及して行く運動足りえるのではないかと思わされた。

 普通の会員、普通の家庭がその力を発揮して行く

「生活クラブ」の商品開発に携わった主婦たちはみんなどこにでもいるような普通の主婦たちだった。その人たちがそれぞれの個性を発揮して行く喜びの中に発展の道があった。

我々も、氏族メシアをになるそれぞれの祝福家庭はみんな普通の家庭である。特別ずば抜けた能力や感性があるわけでもない。それでも、日々の生活の中でみ言を生活化して行く努力の積み重ねの中で、み言の実体化が可能なのだと思う。他力本願ではない。自ら喜びと希望の家庭を作り上げて行く努力が、最終的には多くの人々をも巻き込んで幸せな家庭づくり運動として結実し発展して行くのではなかろうか!

必要なことは、現実の我々自身がいま必要として行くものを自ら見出していくことでにあるのではと思う。


家庭崩壊の最初の原因は妻の浮気

2018-03-13 02:31:06 | 新しい希望に向けて!

 家庭崩壊の最初の原因は妻の浮気

  

本来愛を育てる役割を担った家庭が、その役割を放棄して、崩壊してしまう現象が多々あります。

今日繰り返される様々な犯罪行為の背後にはこういった家庭の崩壊がその原因となっている場合がほとんどです。

殺人事件を犯して死刑囚となった人物の話を聞くと、そういう犯罪者の心理の原因は、生まれ育った家庭にあったことが窺われます。

 

人類史上最初で最大の犯罪行為はカインによるアベルの殺害でした。同じ血を分けた兄弟同士が争うと言うことは多々あることですが、そういった原因のほとんどがその良心の不和からもたらされていることは歴然としています。

アダムの家庭では、結局母親のエバの堕落と、その後のアダムの堕落がその根本原因です。

 

今の世の中の家庭崩壊の原因はそのほとんどが夫または妻の不倫、すなわち浮気に起因しています。妻が夫以外の男性と深い情的な関係を結ぶ。そうすることで夫は妻を疑うようになり、また夫自身も妻以外の女性との関係に走ってしまいやすくなるものです。

アダム家庭で起った「霊的堕落」は、実際に肉体的関係を持たなくても、情的に夫以外の男性との関係が、夫婦間の葛藤を招き、夫婦喧嘩や家庭内別居さらには夫の別の女性との浮気を誘発する大きな原因になっています。

また妻が浮気して別の男性と情的な関係を結ぶようになると、自分の子どもを愛せなくなり、いわゆる育児放棄(ネグレクト)という現象を引き起こすのです。そうすると子供は非行に走りやすくなり、様々な犯罪に引き込まれて行きやすくなってしまうのです。

ですから、統一原理の堕落論で取り上げられたアダムとエバの堕落の話は、そのまま現代社会において同様の現象の起こっている内容であり。また、歴史的に繰り返されてきた事実でもあるのです。

 

 

最近も様々な芸能界で有名なタレントの家庭などが崩壊し、有名人の二世が道を外したなどという芸能ニュースがよくつたえられているが、大概はこういったケースがほとんどです。 

妻が浮気に走る原因となると、夫が仕事に夢中になり、妻や子供たちを省みなくなることが原因となることが多いし、夫が仕事に熱中して帰りが遅かったり、家族サービスを忘れて仕事に熱中していると、女性はその寂しさにいたたまれなくなり、別の男性や、あるいは自分のことを気遣ってくれる存在に自身を委ねるようになってしまうのです。

復帰摂理上の様々な出来事は現実に置き換えてみると実によくわかります。そのようにすることで、私たち自身の周辺に興ってくる様々な問題や課題をどう解決して行けばいいのかという、問題解決の糸口も見えてくるものではなかろうかと思うのです。

<このテーマ続きます~>

 

 


神への信頼と深い家族の愛の交わりがイスラエル民族の歴史を出発させた

2018-03-07 06:38:14 | 新しい希望に向けて!

堕落の要因は!

アダムとエバが男性と女性としての究極的な愛の関係を神様の祝福の中で迎えて出発していたならば、そのまま理想的愛の関係を結ぶようになり・・・喜びにあふれた家庭が完成する。

ところが堕落は、その人間の成長期間に、偽りの愛が侵入した。偽りの愛の侵害者が天使長ルーシェルだった。ルーシェルは堕落してサタンとなった。

サタン中心の愛は偽りの愛である。方向性の異なった愛が家庭を崩壊させる。夫婦間のみならず、生まれた子供たちとの間にも葛藤や矛盾が生じるようになって行った。



真の家庭が目指したものは真の愛の家庭だった。しかしながら、サタンが侵害することによってそこに偽りの愛が支配するようになってしまったのである。



堕落した家庭をどのように本然の家庭として復帰して行くのか!

ヤコブの路程やヨセフの歩みを紹介しいたが、これらを見ると、復帰摂理を担当してその使命を果たしていく人は、神様からの祝福は勿論であるが、人間としての努力が必要であり。神様が願い求めるその路程を勝利するために涙ぐましい努力の積み重ねがあることがわかる。

ヤコブは神様の祝福を得たが、ハランにある21年間を血のにじむような努力の積み重ねで度重なる叔父ラバンの裏切りや、様々な労苦を経て妻子を得、財を得て故郷に向かう基盤を作り上げたのであった。

「故郷に帰る」という勿論、神様からの命であったが、その歩みを神が守ったとはいえ、最後に故郷の境までたどり着いて待ち構えていたのは、いまだ怒りを抑えきれないでいる兄エソウの姿だった。しかし、ここでヤコブは折れなかった。極めて多くの贈り物と妻子を先立て、地にひれ伏し、平身低頭の姿で兄のもとに向かうのは、何が何でも兄エソウと再び一つにならなければというその一心の願いを果たすために行ったヤコブの努力の結果だった。

神様からの祝福があっても、何もしないでいたならば、叔父ラバンを納得させることもできなければ、家族を伴うこともできなければ・・・そう、ヤコブが叔父のもとを去ろうとした時に。その妻たちは自らの実の親の元にあることよりは夫ヤコブとともに何が待ち構えているかわからないカナンの地に行くことを選択し、夫に協力したのである。ラケルは父の大切にしていた偶像まで持ち出したのです。



愛する努力を怠らなかったヤコブ

これらはひとえに、ヤコブの愛する努力の賜物でした。ラケルの姉のレアや彼女たちの側女達も互いにヤコブから愛されることを競いはしたけれども、ともに一つ家族として歩んだのはヤコブの愛する務めの故でした。

エソウがヤコブを憎んだように、ヤコブの子どもたちの中でもヤコブからひときわ愛されたラケルの子ヨセフはその兄弟たちから妬まれて殺されそうになったところをユダの機転で守られイシマエル人の商人に売られてエジプトに売られて行くことになった。そういう状況の中にあっても、ヨセフは自分の身の上を嘆くことはせず、そののちエジプト人の主人の妻の妬みや仕打ちにも耐えて神が祝福した自らの立場を守り抜いた。それはヨセフの人柄にもよるだろう。ヨセフは父母が年老いての子だったのでひときわ愛されて育ったというのもあるでしょう。また、兄弟たちからは妬まれもしたけれども、ユダのように守ってくれる兄弟もいたのです。そして、故郷から兄弟たちが訪ねて来た時も、過去の恨みを一言も語ることなく、すべての兄弟たちを受け入れ抱擁して迎えたのです。



ヨセフも心情豊かに育っていた

それはヨセフが父母の愛のもとで心情豊かに育った結果でもあったに違いありません。

その心の豊かさは、兄弟たちの仕打ちを兄弟への恨みや憎しみではなく、より大きな神様の祝福だと受け止める愛の心情の豊かさにあったのではと思います。

アブラハム、イサク、ヤコブと続いたイスラエルの始祖の家庭は、一部に多少の偏りはあったかのことはあっても、その根本において神への深い愛と信頼の絆があり、家族の深い愛の交わりがあればこそ、その後の子孫たちも、多少の諍いはあっても、イスラエルの民族として12部族が共存し、助け合って民族を形成して行ったのだと思います。

ヤコブ路程の勝利の秘訣は深い家族愛がその基盤になっていた。