堕落の要因は!
アダムとエバが男性と女性としての究極的な愛の関係を神様の祝福の中で迎えて出発していたならば、そのまま理想的愛の関係を結ぶようになり・・・喜びにあふれた家庭が完成する。
ところが堕落は、その人間の成長期間に、偽りの愛が侵入した。偽りの愛の侵害者が天使長ルーシェルだった。ルーシェルは堕落してサタンとなった。
サタン中心の愛は偽りの愛である。方向性の異なった愛が家庭を崩壊させる。夫婦間のみならず、生まれた子供たちとの間にも葛藤や矛盾が生じるようになって行った。
真の家庭が目指したものは真の愛の家庭だった。しかしながら、サタンが侵害することによってそこに偽りの愛が支配するようになってしまったのである。
堕落した家庭をどのように本然の家庭として復帰して行くのか!
ヤコブの路程やヨセフの歩みを紹介しいたが、これらを見ると、復帰摂理を担当してその使命を果たしていく人は、神様からの祝福は勿論であるが、人間としての努力が必要であり。神様が願い求めるその路程を勝利するために涙ぐましい努力の積み重ねがあることがわかる。
ヤコブは神様の祝福を得たが、ハランにある21年間を血のにじむような努力の積み重ねで度重なる叔父ラバンの裏切りや、様々な労苦を経て妻子を得、財を得て故郷に向かう基盤を作り上げたのであった。
「故郷に帰る」という勿論、神様からの命であったが、その歩みを神が守ったとはいえ、最後に故郷の境までたどり着いて待ち構えていたのは、いまだ怒りを抑えきれないでいる兄エソウの姿だった。しかし、ここでヤコブは折れなかった。極めて多くの贈り物と妻子を先立て、地にひれ伏し、平身低頭の姿で兄のもとに向かうのは、何が何でも兄エソウと再び一つにならなければというその一心の願いを果たすために行ったヤコブの努力の結果だった。
神様からの祝福があっても、何もしないでいたならば、叔父ラバンを納得させることもできなければ、家族を伴うこともできなければ・・・そう、ヤコブが叔父のもとを去ろうとした時に。その妻たちは自らの実の親の元にあることよりは夫ヤコブとともに何が待ち構えているかわからないカナンの地に行くことを選択し、夫に協力したのである。ラケルは父の大切にしていた偶像まで持ち出したのです。
愛する努力を怠らなかったヤコブ
これらはひとえに、ヤコブの愛する努力の賜物でした。ラケルの姉のレアや彼女たちの側女達も互いにヤコブから愛されることを競いはしたけれども、ともに一つ家族として歩んだのはヤコブの愛する務めの故でした。
エソウがヤコブを憎んだように、ヤコブの子どもたちの中でもヤコブからひときわ愛されたラケルの子ヨセフはその兄弟たちから妬まれて殺されそうになったところをユダの機転で守られイシマエル人の商人に売られてエジプトに売られて行くことになった。そういう状況の中にあっても、ヨセフは自分の身の上を嘆くことはせず、そののちエジプト人の主人の妻の妬みや仕打ちにも耐えて神が祝福した自らの立場を守り抜いた。それはヨセフの人柄にもよるだろう。ヨセフは父母が年老いての子だったのでひときわ愛されて育ったというのもあるでしょう。また、兄弟たちからは妬まれもしたけれども、ユダのように守ってくれる兄弟もいたのです。そして、故郷から兄弟たちが訪ねて来た時も、過去の恨みを一言も語ることなく、すべての兄弟たちを受け入れ抱擁して迎えたのです。
ヨセフも心情豊かに育っていた
それはヨセフが父母の愛のもとで心情豊かに育った結果でもあったに違いありません。
その心の豊かさは、兄弟たちの仕打ちを兄弟への恨みや憎しみではなく、より大きな神様の祝福だと受け止める愛の心情の豊かさにあったのではと思います。
アブラハム、イサク、ヤコブと続いたイスラエルの始祖の家庭は、一部に多少の偏りはあったかのことはあっても、その根本において神への深い愛と信頼の絆があり、家族の深い愛の交わりがあればこそ、その後の子孫たちも、多少の諍いはあっても、イスラエルの民族として12部族が共存し、助け合って民族を形成して行ったのだと思います。
ヤコブ路程の勝利の秘訣は深い家族愛がその基盤になっていた。