HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

国際政治の動向をはじめ政治・経済など現実世界の動きを常に把握して行く

2018-03-21 01:11:58 | 新しい希望に向けて!

 

本当の意味での宗教家は、単純に宗教的な活動だけに目を向けていればいいのではない。現実世界の様々な状況の推移にも関心を持ち、本来は宗教活動であるが、関連するあらゆる活動を通して、健全な社会の仕組みや、現実社会の動向がよりよく進むように支援をしたり提言をしたりすることが求められている。

 

文鮮明先生はその生涯の歩みの中で、政治や経済に直接かかわる歩みを数多く為されてきた。時には、果たして文先生は何者だろうか?と疑問に思うほどに様々な政治、経済、文化、スポーツをはじめあらゆる活動に関与して来られた。

それは人類の救済という最大の偉業が、単純に宗教活動のみによって実現されるものではないと言うことを誰よりもよく理解していたからに他ならないだろう。

 

だから、我々祝福家庭も単純に祝福によって血統転換されたというある面宗教的な価値だけで家庭連合やそのた、教会組織に所属するのではなく、現実世界のあらゆる面で、「より善き幸福の世界」すなわち、地上・天上天国の実現という偉業の達成に向けて歩んでいくことが重要となって行くのである。

 

とりわけ政治の動向には深い関心を持つ必要があろう。それは、今日世界的な民主主義時代を迎えて、国家社会をリードする代表者の決定が、多数決の原理によってなされるという現実の要請からして明らかである。

政治権力を誰に委ねるのかという選択において間違えば、とんでもない結果が我々を襲ってくるのである。とりわけ無神論思想に根差した共産党や社会主義政党などは、国民多数の幸せや平和のためではなく、自分達の政権奪取やその維持のために民心を扇動したり一方的な世論を形成することを必要悪だとして実行してきているからである。

よくわかる実例が近隣の共産主義政党による独裁体制国家の議会なるものの姿を見ればそれがよくわかる。

立てられた国家指導者の主張を全面的に受け入れて賛美し、それに誰も異論を差し挟むものがない。その決定が如何に非論理的、非倫理的なものであっても、誰も表立って反対しない。また反対できない社会となっているのである。そういう国家においては、表向きの建前は別として、国家指導者に対する批判や、それが建設的と思われる意見でさえも無視され、否定され、排除されるのである。

だからよく言われてきた「いったん共産主義社会になれば、逆戻りできない」、長い長い年月を抑圧や搾取、人権蹂躙がおこなれて来ても常に無視され、否定され続けるのである。

 

一旦、無神論、唯物論的に人物や政党にその政権を任してしまえば、もはや本来的な人権や平和、幸福を取り戻すことは極めて困難な状況にならざるを得ないのである。そのことが、現実の我々の住む東アジアの状況にも深刻な分断や対立の状況を作り上げてしまっているのである。一見どこにも解決の道が無いような深刻な迷路に陥ってるかの如くである。

但し、事の事態の原因を正しく把握して、賢明なリーダーが現れることと、そのようなリーダーを支持し、国や社会を変革して行くことを幅広く支援して行くような賢明な人々があれば、それがはじめて問題解決の道を見出す具体的な方策を打ち出すことが出来る道となるのです。

自己の欲心や、自分だけの生活に執着しているものは的確な判断をすることが出来ない。民主主義の社会では国民自らが、賢明な思考と行動が出来るような学習と努力が求められているのである。

歴史や政治に積極的な関心を持ち、自分自身が正しい人格性を身に着けるたゆまぬ努力が民主主義の時代の国や社会をより喜びと幸福の時代へと導く主人となさしめるのです。