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逆戻り・・・真逆な教理に舵取りを変えた結果は・・・とある教団の行った道

2017-04-28 18:34:05 | 宗教

師観さんが引用された「独生女信仰の問題点」 読ませていただいて感想です。

 

知から無知への逆戻りか!

我々は原理の最初、総序の宗教と科学の目的に関する内容の中で以下のごとき一節があったことを覚えているだろう!

「人間は有史以来今日に至るまで、休むことなく、無知から知へと、無知を克服しようとして真理を探し求めてきた。その際、内的無知を克服して内的知に至る道を見いだすべく内的真理を探求してきたのがすなわち宗教であり、外的無知を克服して外的知への道を見いだすべく外的真理を探求してきたのが科学なのである。このような角度から理解すれば、宗教と科学とは、人生の両面の無知を克服して両面の知に至る道を見いだすべく両面の真理をそれぞれ探求する手段であったということを知ることができるのである。それゆえに、人間がこのような無知から完全に解放されて、本心の欲望が指向する善の方向へのみ進み、永遠の幸福を獲得するためには、宗教と科学とが統一された一つの課題として解決され、内外両面の真理が相通ずるようにならなければならないのである。」(原理講論総序より)

このような観点で説かれたのが統一原理では無かったのか!

しかし「独生女論」は全く無知から知に至る道の結果として統一原理の宗教的且科学的真理からも逸脱ししまっているので、まさに「知から無知に逆戻りした非真理」としか言いようのない内容です。


明らかに統一原理とは異なる「独生女論」

今日お母様が語っておられるとされる「独生女論」(これはお父様が語られた意味での「独生女」ではないことは明らかです。現在の家庭連合が否定しながらもそのサイドから漏れ伝えられるお母様が語られたとされる「独生女」に関する話である。)

その「独生女」に関する論理が宗教的にも科学的にもあり得ない内容だから問題になっている。少しでもきちんと原理を納得して学んだものならば、どうしても理解できない論理だから、そのことへの困惑が家庭連合全体に拡大している。

ある一定の知的水準のある人間ならば「これはおかしい」となる。だから多くの幹部たちはお母様の「独生女論」の存在を隠そうとする。しかし科学的論理的思考能力のない幹部は「お母様が語られることだから絶対だ!信ぜよ!」と強制しようとする。

まさに家庭連合の幹部の中でも完全に見解が分かれている内容なのである。


ただし、ここで明確にしておくべきことがある。桜井正実さんが「神と共に生きる真なる息子娘として」のブログで、お母様と「独生女信仰」を同一視してはならないの記事中「私が間違っていると指摘しようとしているのは一部の祝福家庭のリーダーによって生み出された「独生女信仰」であって、お母様の価値を貶め、辱しめようという動機からのものではありません。」語っているように、お母様が語っておられるという「独生女論」とお母様の問題は別個だということである


お母様ご自身の発想とは考えづらい「独生女論」

お母様が語っておられる「独生女論」は、お母様ご自身からの発想によるものだろうか?それとも非科学的、非原理的、非論理的思考の何者かによってお母様に吹き込まれた論理なのだろうか?ということである。真のお母様の語る「独生女論」は一見神学的である。こういう論理の展開はお母さま御侍史委によるものだとは考えづらい。何者かが仕組んだ論理と考えるのが妥当であろう。人類始祖のエバに「とって食べてもいい」と教え込んだのが天使長ルーシェルだった。同様に今もお母様に「非科学的、非原理的論理を教え込んでいる」一部幹部が歴然と存在しているということが事実ではなかろうか。

 

お父さまの教えとは真逆な「独生女論」

いずれにせよ、「独生女論」が真のお父様が掲げて来た統一原理に基づく価値観とは真反対の内容であることは明らかである。今は「独生女論」を支持するもの、これに異を持ちながらもこの問題からの回避を続けているもの。さまざまであるが、こういう状況がそう長く続くとは思われない。

統一原理からの完全な逸脱では、さすがの信徒たちも自らの進退を考えざるを得ないであろう。

 

「反安倍」となった日本会議の母体「生長の家」

昨日書いた「新潮45」の特集記事の中で「「反安倍」となった日本会議の母体「生長の家」藤倉義郎」の記事があった。

かつては保守系宗教団体と見られていた「生長の家」が今は完全に左翼系宗教団体になってしまっていた。サブタイトルには「現総裁は古参幹部、親兄弟を排除し、教団をエコ左翼宗教に変えた」とある。

生長の家は1930年に谷口雅春師が創設した宗教団体で神道、仏教、キリスト教など諸宗教の融合させ、「万教帰一」を説いてきた。教団最盛期には300万の会員(公称)を誇っていた。政治にも進出し「生長の家政治連盟」は自民党の中に強力な保守系政治家を送り込んでいた。今は三代目の谷口雅宣氏が総裁を務めるが、今は教団本部には「脱原発」が掲げられ、政治的には昨年6月、7月の参議院選挙を前に「与党を支持しない」反安倍の姿勢を打ち出し世間を驚かした。

生長の家と言えばかつては最も保守的な宗教団体として知られ、保守系議員が数多く参加していることで知られる、日本会議の生みの親とも言われる団体だった。ところが、教団はこの日本会議に関しても「生長の家とは異質」と断定し、教団の左翼路線への急転回を印象付けた。

 

生長の家変貌の経緯

かつての右翼教団がなぜこのような180度真逆な変貌を遂げてしまったのであろうか?

問題の発端は1983年の参議院選挙の直後に生長の家政治連盟が突如その活動を停止したことに始まる。83年の参議選で生長の家が推薦した寺内弘子氏が落選、その責任問題から教団内部が紛糾、その時に発言力を増したのが現総裁の雅宣氏であった。

1985年に谷口雅春師が亡くなると、二代目の総裁に就任したのが雅春師の娘婿の谷口清超氏で、その息子が現総裁の雅宣氏だった。1990年に雅宣氏が副総裁に就任すると生長の家の一般向け機関紙の「理想世界」で大東亜戦争を日本の侵略戦争だったとする見解を発表。生長の家にとっては大事件だったようである。「雅宣氏は学生時代(青山学院)左翼セクトのメンバーだった。」との話も伝わっているようである。

2009年に二代目総裁の清超師が亡くなると、雅宣氏が総裁に就任、彼が総裁になると、それまでの天皇信仰や明治憲法復元論を封殺、祭祀の重点を「鎮護国家」から「世界平和」へと変更した。その後も教団の教義は変貌を続け、創始者の雅春師の著述や言葉は雅宣氏流の表現や解釈に変貌を遂げて行った。もともと生長の家は初代総裁の谷口雅春師に心酔してきた古老の幹部も多数存在していたわけだから雅宣氏がそう簡単に主導権を取って切ったわけではないが、父の清超師が総裁になり、長男が妖逝する中、残る男子の中で最年長の雅宣氏が副総裁になると、父子間で主導権争いもあったようであるが、最終的には教団の主導権を掌握し、教権基盤を盤石のものにしていったという。この間、谷口雅春師の著作の新刊書発行停止や既刊書の重版停止と言うこともなされた。雅宣氏は親子対決を制したのみならず、教団役員も自らの意に沿う役員に挿げ替えて権力基盤を盤石にしていった。

 

いまの生長の家は5万人程度か 「環境の話ばかりで”救い”がない」と言ってやめて行く会員

最盛期には公称300万を誇った教団は現在の公称は52万である。「実質は5万人程度では」とも言われている。

雅宣氏の親兄弟他一族も大半が教団とは一歩置いた立場に立っている。雅宣氏自身の子どもたちも、長女は教団職員だが、長男次男とも教団とは関係のない仕事をしており、教団を継ぐ意思は無いようである。教団を継ぐ副総裁の立場は空席だそうである。

今教団本部は「森の中のオフィス」という施設になっているが、ほとんど環境団体の事務所のごとくであり、宗教色が消えて行っている。「環境の話ばかりで”救い”がない」と言ってやめて行く会員が後をたたない。と言うのが実情のようである。

最後に藤倉善郎氏は「ただ単に右翼が左翼になっただけではない。宗教的充実感そのものが、生長の家から失われてきているのではなかろうか」と結んでいる。

 

家庭連合は何処へ行く

初代教祖の文鮮明師の教えとは180度違う教義を掲げて先に進もうとしている「家庭連合」は、どこへ行くのだろうか!

性格は違うと言えども、「生長の家」がたどった歩みには何か共通する要素を感じさせる。

生長の家現総裁の雅宣氏は、祖父の雅春師からはかなり厳しく躾けられたようである。祖父の雅春師を「恨んでいた」のではとの声も聞く。現総裁の谷口雅宣氏は教団を潰そうとしているのでは!とさえ今は言われている。かつての熱心な信者たちは、それぞれに独自の集団を作ったり、保守系思想で共通する「幸福の科学」に流れた信者も多いと聞く。

「家庭連合」もこのままお母様が主導権を握り、さらに女の子女様が継承していくとなれば、本来真のお父様が立てられた精神や思想、宗教性とは全く違った教団になって行くことは否めない。そうなってもついて行く信徒はどれくらいいるのだろうか? 最後までそこに従っていく人は極めて少数になるのは間違いないだろう。

今のうちに、その進路をしっかり考えて行った方がよさそうである。

 

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