かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

〈文フリ〉へ行ってきました

2014年05月05日 | 日記


〈文フリ〉(文学フリーマーケット)へ行ってきた。
写真は佐々木実之『日想』のブース。

 実之さんの妹さんが出店され、そのお手伝いのつもりだったが、いろんな方にお会いできてラッキーだった。実之さんの歌集もあっという間に売り切れてしまった。
 尋ねてくださったのは石川美南さん、生沼義朗さん、大森静佳さん、廣野翔一さん、
穂村弘さんなどなど。
 またかりんの大井学さん、辻聡之さん、石原文朗さん(このごろ、歌、出していらっしゃらないそうです。)、四宮康平さんなどなど。
 さらに知らない方々が大勢尋ねてくれた。覗いてくださったすべての皆さん、ありがとうございました。中には人違いをして声を掛けてしまい失礼した方もあったがお許しください。

 会場はすごい熱気で、コスプレというか皆さんなかなかの出で立ちの人が多く(たとえば、着物にスニーカーやハイヒール、ひらひらのかわいらしい袴など。洋服は皆さん思い思い。)通る人を感動しながら眺めていた。今の若い人のファッションはこういうものかと見とれているうち、どうも会場の中で私が一番の年配者かもしれないと不安になってきた。不安になって気後れがしたのと、通る人を眺めるのにかまけて、あれもこれも買うはずだった冊子を買わずに帰ってきてしまったのが痛恨事。(かくいう私は雨模様だったので濡れても汚れてもいいようにポリの着物で行った。)

 ともあれ、実之さんの妹さんの笑顔が嬉しい半日だった。

鳥羽の藤

2014年05月01日 | 日記



アバウトな説明板のある平安神宮神泉苑には、行き当たりばったりで行った。大豆もアバウト。

地下鉄にとりあえず乗ってどこに行こうかなあと思っていたところ、車内に「鳥羽の藤」の一般公開の広告を発見、よし藤を見に行こう、と決めたが、まず、所用があって市役所前で降り三月書房へ。師匠の歌集が60%引きで売られていてちょっと哀しく、ちょっとおかしかった。

「鳥羽の藤」を観るには竹田か京都駅かからシャトルバスが出ているというので、電話で所要時間を問い合わせたら今日は平日なのでいずれからもシャトルバスは出ておらず、通常運行のバスは極端に本数が少ないという。それで諦めて蹴上げの新緑を見に行った。そのあとぶらぶらと平安神宮に行き当たったのだった。

この藤は、わが団地のもの。



アバウトな説明

2014年05月01日 | 日記


 先日、平安神宮の神泉苑に行った。京都の社寺などが特別公開期間とあってか、小雨模様とあってか、あるいは花の端境期だからか、神泉苑はひっそりしていた。
神泉苑は794年に桓武天皇が平安京の造営にあたり大内裏の沼沢を開いて設けられた苑池で平安京最古の庭園といわれているそうだ。しかし今では縮小され、それでも東京ドーム一個分の広さはあるらしい。
 桜は散り、菖蒲にはまだ早く、咲いていたのは躑躅と白藤と写真の牡丹一株。傘をさして新緑を眺めながら池のほとりをいい気分で歩いていたが、人っ子一人見えなくなってだんだん怖くなってきた。

 苑には源氏物語や古歌に登場する植物がたくさん植えられて、それぞれに説明板(?)があるのだが、それがなかなかアバウトで笑ってしまった。
 ねずみもちの説明板の左手はアマドコロかホウチャクソウだろうか?
 下の写真の牡丹の左手説明板(写真が少し切れてしまったが、ヤエムグラ、拾遺集の歌が引かれている)のように、古歌が添えられたものもたくさんあったのだが。






 こちらは苑内の3つある池のうちの一つ。

鉄格子から解放されました

2014年01月23日 | 日記


 修繕の足場が外された。
昨日はベランダに工事の人の影が行き交い、話し声が聞こえるので、終日カーテンを閉めて息を殺していたのだが、今朝、やっと鉄格子から解放された。4ヶ月ほど洗濯物も自由に干せず、うっとうしい思いをしたので、まずは嬉しい。もっとも玄関側の足場は残っていて、ドアのすぐ外では今も何やら大きな音がしている。

 ところで認知症の症状が出始めた母が、しばしば多量の野菜類を送ってくる。息子は忙しくてほとんど家に戻らないし、娘はダイエットで私の料理はほとんど食べないから、私一人が食べられる分量だけ送ってというが、これは全く通じない。

 今月初め、お餅や野菜類が大量に届いた。人参、干し柿、とろろ芋、柚子、土生姜は短歌教室や源氏の会、校正室などに持参して皆さんに貰っていただいた。5個もあった大振りの聖護院大根はべっこう煮にして源氏の会に持参、残りは他の野菜も添えて工事の人に差し上げた。白菜、キャベツ、菠薐草、蕪、牛蒡、ジャガイモは何とか料理した。届いた時点で既に駄目そうな南瓜と梨は目を瞑って棄てた。お餅も、見かけは何でもないが食べると黴臭くなってきたので半分ほど棄てた。



 そして最後に残ったのがこれ!送ってきた段ボールの中にうっかり放置していたら、タマネギ15個がこんな状態になっていた。とりあえず芽だけを残して水を張った器に移した。(写真は昨日食べた残り)

 ネットで調べるとタマネギの芽のレシピがたくさん出ていたので、昨夜はいちばん簡単そうな肉巻きにしてみた。レシピは牛の薄切りに巻いていたが、手元の豚うすぎりを使った。肉に塩こしょうして束にしたタマネギの芽を巻いて焼くだけ。芽が色鮮やかで美しくできあがった。お味は、たぶん美味しいのだろうが、芽の中が普通の葱よりねっとりしていて私はちょっと苦手。ポン酢をかけていただくと少しさっぱりするだろうか。

玄関を一歩出ると……

2014年01月10日 | 日記
玄関を一歩出ると……これだし



もう少し出ると……逃走犯が潜んでいるかもしれなし……

病み上がりだし……
と出かけるのを渋っていたが、寝込んでいる間に食糧が底をついた。

午後になって電子辞書を修理に出していた電気屋さんから修理が終わって戻ってきたと電話。見積もりした段階で電話くれるって約束だったけど?と尋ねるとなぜか無償なんですよと、担当者自身が電話の向こうで首をひねっている図が見えそうな口調で言う。はあ?

よく分からないけど逃走犯も逮捕されたというし、受け取りに行くことにした。

電源が入っているのに液晶部分が暗すぎて見えなかったのだが、この辞書、「かりん」の校正でお隣同士になることが多いMさんと同じ機種。Mさんが全く同様の壊れ方をして、どこで買ったか忘れていたので大手の電気屋さんに持ち込んだら無償だったと聞いていた。

私は買った店も分かっていて、保証書もあり、5年補償の期限内であったから、修理依頼の時「友人が同じメーカーの同じ機種を持っていて、同じように故障したけど、○○電気では無償だったと言ってましたぁー」と粘ってみた。でも店員さんの答えは無情で「見積もりに2000円かかります。お客さんのミスによる故障と判明したら補償対象にはなりません。仮に1万円かかるなら修理はやめる、と言っても見積もり料はいただきます」

しかし一転して無償で辞書が手元に戻ってきた。液晶画面を取り替えました、とある。もともとの何かミスがあったのだろうか。ともあれ、重たい広辞苑や古語辞典を引っ張り出して細かい文字を読むのに苦労していた一ヶ月余りの不便さが解消されてめでたいことだ。

何も食べられずに寝ていた誕生日のやり直しで自祝したいところだが、まだ食欲が戻らないので、お祝いはもう少し先に延ばしたい。そこでいつも同様の食材を買い込んで、ビニールを張り巡らした玄関に戻ってきた。

 (ビニールが張られる以前は、タイルのそこかしこに緑のテープが「くの字」やら「への字」やら様々に貼られ、盗賊が襲う目印みたいだったのだが……)

夕焼けに染まる海の帯(誕生日)

2014年01月07日 | 日記



 1月4日の誕生日は、子供の頃からつくづく損な日だと思っていた。そもそももう少し遅く産まれる予定だったのが、お正月に叔父の友人達がたくさん押しかけ、母が蔵の2階から布団を上げ下ろしして早く産まれてしまったとか。

 お誕生日といっても、ご馳走を食べ飽きているので、好きなものを作ってあげると言われても食べたいお料理が無い。甘いおぜんざいやお菓子を食べているのでケーキもいらない。お小遣いもお年玉貰っているのでいらない。(もっと貰って貯めておく、という智恵は働かなかった。)

 そして今年の誕生日、前日の3日未明からダウン、ウイルス性の胃腸炎ということで6日までの4日間臥せってしまった。4日の誕生日は、経口補水液を一日がかりでやっと100㏄飲めただけという情けない状態だった。ようやく今日からおかゆを食べられるようになって人心地がついた。

 そんなわけで、新年になってまだ一度も着物を着ていない。外出できるようになったら、暮れに友人からもらった帯を締めようかな。4本もらったんだけど、小笠原の新島誕生にちなんで、夕焼けに染まる海に島が浮かんでいる帯にしようかな。友禅作家である友人が自身で染めた品です。

 病気の間、ブログはストックしている分を一日ずつかろうじて更新しました。拙いブログですが、これからも読者でいてくださると幸せです。
 では、皆さまによい1年でありますように。

ぜんざい

2014年01月01日 | 日記




新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 私の田舎(京都府綾部市)のそのまた一部では元旦はぜんざいというのが習わしだった。
毎年、元日の早朝に亡父が近所の神社にお参りしてもらってきた火種で甘いぜんざいを作った。他のお節は母が作るが、ぜんざいは必ず父が作った。大晦日についたお餅を焼かないでそのまま入れるのだが、甘いぜんざいをたくさん食べたいので、子供時代はお餅はいらないと言って小豆ばかり食べていた。

 大晦日に届くはずのお餅が届かないのはご愛敬と、今朝は白玉だんごを入れたぜんざいを食べた。しみじみとおいしかった。ありがたいと思い、なぜか涙がこぼれた。地球の土から生まれた小豆なんだと思った。大豆はいつから作られ始めたのだろう。先祖のことを思い、人類のことを思い、DNAにあるかもしれない飢えの記憶のことを思った。

 この小豆は去年、認知症の症状が顕著になってきた母が作ったものである。体調が悪かろうが、雨が降ろうが、畑に行くのが母の生き甲斐である。小豆といっしょに、手作りの〈丹波の黒豆〉も送ってきた。こちらはおしょうゆを混ぜた水に一晩つけておいて煮るという馬場あき子伝授のやり方で煮てみた。ふっくらと煮えておいしい。
 

配所の富士

2013年12月31日 | 日記



 いつになく富士がくっきり見えると思ったら、大規模修繕の為に張ってあったメッシュシートが取り払われていた。
 しかし足場は残っているので、実際は鉄骨越しに富士が見えている状態だ。




 「配所の月」というのをこの鉄骨のかなたに写してみたかったが、角度の加減でたぶんこの位置に来ることはないのだろう。ただ足場が組まれて以降、十五夜は常に雨か曇りだったような気がする。




 今日は夕焼けがきれいだった。
 もっとも工事の人のお正月休みが終わると、またメッシュシートが張られるそうだ。

〈通知不可能〉からの電話

2013年12月10日 | 日記
 ヒツウチでかかってくる電話には出ないことにしている。
 ところが、過日〈通知不可能〉という表示で携帯に電話がかかってきた。怪訝に思って出なかったが、ヨーロッパにいる息子のことを思い出し、もしやと〈通知不可能〉に折り返し電話を入れた。もちろん発信できなかった。息子の携帯に電話してみたが、こちらもだめだった。焦っていると、また〈通知不可能〉から電話が鳴った。やっぱり息子だった。

 ドイツからかけている。パソコンは日本語で打てないので電話した、と私への頼み事をして電話が切れた。切れてから、頼み事の内容に分からないことが幾つか出てきたが、こちらからは電話がかけられない。2~3日おきに都市や国を移動しているので、どこで何ホテルに泊まっているか把握していないからだ。
 
 しかし、なぜ日本語が打てないのか分からない。前日までアメリカにいて、ずっと日本語でやりとりしていたのに。ドイツに入ったからって、日本語の入力ソフトが入ったパソコンで、なぜ日本語が打てないのよ?まさか、疑問点を英語で問い合わせるのか???考えた末、日本語が表示されなくともローマ字ならできるだろうと思い当たった。そこで、ローマ字で箇条書きにして質問を書いた。

 
 翌日、息子から質問の答えを書いた日本語の返事が来た。
 そうか、ドイツに着いたばかりで自分のパソコンが手元に届いていないから、ホテルのパソコンでは日本語が打てないということだったのか。それにしても、パソコンって手荷物にして大切に持っているもののような気がするが。どういうことだったのだろう。

 ところで、息子に下手な英語で問い合わせるしかないかな、と考えたとき、思い出したエピソードがある。福岡伸一氏が『できそこないの男たち』で紹介している。

 アメリカで開催された国際学会に基調講演を行ったスイスの学者が「科学の世界の公用語は、皆さん、英語であると当然のようにお考えになっていると思いますが、実はちがいます」と口をきった。会場のみんなが息を呑んで見守る中、彼はこう続けた。「科学の世界の公用語は、へたな英語です」会場からは笑いと拍手が沸き起こり、この学会では非英語圏の学者が活発に発言したという。気持ちの良い、大好きなエピソードである。
 

レシートの怪

2013年12月08日 | 日記
 あまり意味のない家計簿を長年付けている。月ごとに集計はしているが、それを分析して節約したりするわけでもない。

 ところで一週間ほどなまけて、財布にレシートがたまったままだったのを、ようやく転記しようと取り出した。20枚ほどのレシートの中に一枚、不思議なものがあった。

 【お買上票  2000年01月04日  16:29  700円内税33円
              合計700円  現金1000円 おつり300円】

 お店の名前も電話番号もない。まさか、15年近く以前のレシートがわが財布に紛れ込んだのでもないだろう。でも、700円、何を買ったか全く思い当たらない。
ようやく思い当たったのが、5日ほど前リサイクル屋さんで480円の小物を買ったのを思い出した。帰宅後、商品に巻かれていた値段のシールを剥がして捨てた記憶がある。もうゴミに出してしまったが、捨てる前にも値段は確認した。1000円札を出したのは覚えているから、いつもどおりボーとして300円おつりもらって何も気づかずに帰ってきたのかもしれない。
 私もカメラの日付をうっかり昔の設定のままで、何年も前の日付が印字されたことはあるが、このお店、せめて店名とか入れてほしい。
 それとも、やっぱり15年前のレシート?

 不思議なレシートを眺めていたら、2年ほど前のスーパーの一件を思い出した。
 買い物の割に金額が多いなと思いながら店を出たが、途中で気になってレシートを見たら買っていない品名が並んでいる。慌てて引き返して、品物とレシートを見せた。若い店員は、「あっ、そうでしたか?前のお客さんの分が一緒になっちゃったみたいです。すみませんでしたー」と金額は返してくれたが、きちんとしたお詫びの言葉もない。
 前のお客さんは、では、お金払わないで帰ったんだろうか?それとも一部分だけ私のレシートに紛れ込んだんだろうか?それにしてもあの店員の態度はひどかった、と帰宅後も落ち着かないので店長に電話した。留守だったので伝言をした。しばらくしたら店長から電話があって、これからお詫びに伺いますという。忙しいからとお断りしたら、今度お店にいらしたらぜひ声を掛けてください、お電話代をお返ししないといけないのでという。
 何日かしてお店に行ったら、店長という人が出てきて、「この度はご迷惑をおかけしました。これ電話代です。」と言って茶封筒を渡された。後で中にを見ると10円玉が一枚入っていた。怒りを通り越して、唖然としてしまった。私が求めていたのは誠心誠意のお詫びの言葉だったのに。
 それにしても、あの店長は10円玉一枚入った茶封筒を持って、私の家にお詫びに来るつもりだったんだろうか?