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ダンスとか。

Body Blend

2006-02-28 | ダンスとか
NY, Dixon Place.
Curated by Isabel Lewis.
この会場はダウンタウンのビルの二階にある、普通に人が住んでもおかしくないような一室で(前は別の場所にあり、今また次の引越しを準備しているらしい)、文芸、演劇、ダンスなどの小さな企画をやっている。舞台の三方を囲む客席がソファとかストゥールだったり、飲み物も売っていて、非常にインティメイトなムードが新鮮だった。ヴィデオ・プロジェクターは、レンズ前に吊るされたボール紙をPA卓の辺りから誰かがツッと引っ張ってオン/オフするというローテクぶり。プログラムは用意されていなくてキュレーターが演目毎に前に出てきて紹介をする。お金をかけないでやって行こうとするこういう場所もあるんだということがわかって良かった。
▼Melanie Maar
地下鉄や街の人々を映したヴィデオの短い断片を時折り挿入しつつ踊るソロ。移動しないでグッと痙攣し続けたり、指で小さい動きをチマチマと繰り広げたり、床を使ったり、日本でよく見るようなテイストだが、徐々にバレエ的な動きも入ってくる。終始リズム感が稀薄で、空間も曖昧なのだが、ダンサーと観客の距離が近いため身体の存在感でとりあえず成立しているように思えた。
▼Angie Fowler
冬服を着込んだ女の子二人が現れ、後ろ向きに立って、リズミカルに「This is me, real me, not really, but a sort of...」と宣言する。この「私」の出し方もやはりDTWや St.Marks Church で見るようなものとはだいぶ趣きが違う気がする。スペクタクル(視覚に供されるもの)として洗練されているのではなく、何かもっと粘度の高い、「甘え」というか、もたれかかりのようなもの。抽象的なマスとしての観客の前に立つのではなく、一人一人の顔まで見ることができる空間では、こういう体の立ち方も可能になるのだろう。そして観客の側もマスに溶け込んでしまわずにダンサーと接触できるのかも知れない。二人はそれぞれ上着やマフラーを取ってから(体中にペインティング)踊り始めるのだが、片方が後ろ向きにフリーフォールするのを相手が滑り込んで抱き止めるとか、遊戯的な内容が目立つ。セッションハウスとかSTスポットとかを思い出させるテイスト。
▼Jason Somma
先日 St.Marks Church で見た Curt Haworth に出ていた人の、映像作品二点。Waltzing Jessica はコマ撮りによって男女が空中でワルツを踊っているかのように見えるというもの。要するにデヴィッド・パーソンズの『コート』と同じ要領だと思うが、撮影のために一定の高さで姿勢を崩さずジャンプし続けるのはダンサーならではの技巧といえる。撮影時に実際に行われた運動と、画面上の運動との著しいギャップ。Broken は寝室のベッドの上に男がダイヴしたりトランポリンのように跳ねたりする様子を速度変化や逆行などで見せるもの。
▼Ashley Wallace
女三人が白い衣装を付けて、男性を喜ばせる存在としての女性を皮肉っぽく演じる。いくら何でもこんな古典的なジェンダー観が作品の素材になるということにはちょっと驚いてしまった。ところでダンサーのうち二人は大柄で、空間の狭さに比してかなり窮屈に見える。つまり大きな体の人には大きな空間が必要だということで、必然的に観客との距離も大きくなる。大柄な体は半ばアプリオリに、スペクタクル的だということ。
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