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ダンスとか。

Bill T. Jones / Arnie Zane Dance Company

2006-02-23 | ダンスとか
Bill T. Jones / Arnie Zane Dance Company, Another Evening: I Bow Down

NY, Jack H. Skirball Center for the Performing Arts, New York University.
ビル・T・ジョーンズは確か90年代の半ばくらいにカンパニー作品(たぶん Still/Here)を見て、2000年に世田谷パブリックシアターの「振付の現在」という企画でソロを見ている(大野一雄とちょっとだけ共演していた)。しかし正直なところあまり強い印象はなく、特にグループ作品で覚えていることといえばせいぜい、すごく太った女のダンサーが一人いて(これがたぶん先日ソロを見たアレクサンドラ・ベラー)、彼女が他の皆と同じ振付をしっかり踊っていたことぐらいだ。今回の作品は過去のレパートリーからの抜粋を中心にしてリミックスする Another Evening というシリーズの新ヴァージョンで、純粋な新作ではない。しかしむしろ、おそらくその「リミックス」ということに関連して、とにかく「編集」の見事さ、この舞台の印象はそこに尽きるといっていいだろう。舞台左右にある巨大な金色の柱(劇場設備の一部?)の下にそれぞれヴァイオリン奏者と、シタール奏者がいて、下手奥にはピアノ奏者がいる。ジョーンズが現れ、重々しい演説調でこれから始まる「物語」(ないし「物語」を語ることについて)の前口上をすると、舞台の裏の方から騒々しいバンドの音響が聞こえてくる。ジョーンズは舞台奥の大きな黒い扉をゆっくりとスライドさせ、向う側から光が漏れるとともに、パンクバンドが獣のように暴れまくっているのが見えてくる。静寂・厳格さ・重さ・闇に対して、騒音・荒々しさ・運動・光が劇的に導入されるこの導入部を、しかしすぐに一度閉じ、あくまでも導入部としての効果、すなわち観客の予感と期待を最大限に煽る辺りには、余裕のある演出家の外連味さえ感じられた。ナレーションと、各楽器による音楽に歌も加わり、10人のダンサーが舞台中央で踊るのが基本構成だが、古典古代の時間をBC1000年、1500年、2000年と遡りながら神話的な物語の断片が示されたり、坊主頭の男が英語による経文の朗唱のようなものを I Bow Down と繰り返すと、それにパンクバンドのヴォーカルが I Bow Down と応じたり、ヴァグナーの『パルジファル』が聞こえて来たり、とにかく多様な素材を集め、層状に重ねた上で斜めに切り裂いて異質な断層と断層をコラージュ的に結合するその手付きは、少なからず強引でありながら、あくまでスケール大きく成立している。これだけ多くの要素を投入していながら混沌とせず、抽象的な「紛争と平和」のテーマをはっきり浮かび上がらせる力技はちょっと驚異的といえるだろう。ただ、スペクタクル的なインパクトに比べてダンスの存在感はいささか稀薄で、常に舞台中央を占めていながらどこか添え物のようにすら思えてしまったのは残念だった。コンポジションないし動きの組み立てには、あたかも舞台上で展開されるコラージュの大胆さ、力強さに似たものがあったし、ダンサーも動きに狂いのないパワフルな人が多かったが、振付の語彙には取り立てて特徴的なところが見当たらず、むしろ教科書的な動きを律儀に繋いでいる感じで、意識的に集中して見てみてもあまり惹かれるものはないように思った。ともあれ、様々な意味と形式が渦巻いて平和への祈念が語られた後、先にBC2003、2004、2005辺りでちょうど中断されたカウントダウンがおもむろに2006から再開され、しかもそこにBCではなくADが付されることにより、観客ともどもが生きる現在、そして未来に生々しく思いが馳せられる、というのが締め括りになる。柔術のような黒い稽古着を着たジョーンズの、厳めしくかつ寛容そうな、達観した初老の紳士然としたキャラクターが何ともいえず胡散臭い雰囲気を醸し出しながら、抑揚豊かに2007、2008、2009、2010、2011、2012と延々カウントして行くさまが、良くも悪くもアメリカ的なスペクタクルの印象を強烈なものにした。60分。
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