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ダンスとか。

グラインダーマン 『Binary Rider 2005 [HAYABUSA VS MUSTANG]』

2005-07-24 | ダンスとか
横浜・BankART Studio NYK(NYKホール)。
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チェルフィッチュ 『目的地』 ワークインプログレス

2005-07-24 | ダンスとか
横浜・BankART Studio NYK(NYKギャラリーA)。
来月びわ湖ホールで初演される新作からの抜粋。30分ほど。部屋の角の部分を使って客席は二面。ソファが一つ。松村翔子が出てきて「私は今日はセリフないんですけど」というようなことを言って始まる。松村はずっと虚空を見つめるようにしてゆっくり身をよじったりどこかに手をやったりして立っていてとにかくその居方が異様。脇で岩本まりが喋り始める。例によって間接話法ないし伝聞の語りで、右手(ないし両手)が始終、横にいる松村の方へ伸びる。今にも「この人が…」という風にして松村の身体を物語の中に引きずり込みそうだ。そうすれば自ずと松村の身体は虚構の役柄を演じ始めざるを得ないだろう。さらに岩本の身体もその虚構の水準あるいはそれに対するメタレヴェルに安定した位置を得て、ともかくもフィクションの構造が成立するだろう。しかしそうはならない。岩本の手は曖昧に伸びたり引っ込められたりして、松村にタッチするか、やっぱりしないか、という不安定な「行きつ戻りつ」がずっとずっと持続する。この不安定感は実に耐え難いもので、それがなぜこうも耐え難いと感じるのかと自分で不思議に思えてくるほど持続するところに、つまり例えば現実/虚構のような分割を完了したがる気持ちを反省させるに至らしめるところに得難いスリルがあり、そんなわけでチェルフィッチュの舞台を見る時、心拍数は微かだが明らかに上昇する。後半は今の話題に出てきた人物らしき山縣太一と下西啓正の会話らしきもの。山縣のパフォーマンスのもつ説得力はやはり圧倒的で、この人と演出家=岡田利規との間にはどういうコミュニケーションが行われているのだろうということが気にならないでもない。全くの抜粋なので、話の内容はそれほど展開しない。男と女が出てきて妊娠の疑いが持ち上がって、というような流れ。今回の新しい試みとしては、壁にテクストが映されるという要素がある。短い文章で、「港北ニュータウン」の描写や、猫のことなどが書かれていたと思うが、スライドのテンポがあまりにも遅くて逆についていけなかった。しかし情報の速度のことより、「港北ニュータウン」という地名の具体性が、セリフ中に出てくる固有名詞「イスくん」(?)との間に激しい摩擦を起こす。山縣のことを指しているらしいのだが、そんな名字あるんだろうか、あだ名にしてもヘンすぎる、と思ってよく聞こうとするがやっぱり「イスくん」としか聞こえない。「イス」ってここにあるこの「椅子」ですか、と愚にもつかない間抜けな連想をしてしまうのは避け難く、しかも事実ただ山縣だけがその椅子に腰かけるのだからたまらない。記憶する限り、今までもチェルフィッチュにおける人物の名はこんな風に具体性をボカされていたと思う。『三月の5日間』における「ミノベくん」とかも「ミ」の音がはっきりしないので曖昧なままになるし、「ミッフィーちゃん」のシーンでは「他人の名前を便宜的に(テキトーに)付ける」という件が出てくる。「名付ける」ことによって身体がどこかの空間内に定位されてしまうのを徹底して回避しているように思える。そこに「港北ニュータウン」が、あくまでも文字の上での存在として導入されてくる……ぼくはこの辺りのことを気にしながら来月の初演を見ることになると思う。
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