神楽坂die pratze。
初めて見た。演劇から天使館へ入り、現在は舞踏石研究所を名乗っている。壁に黒いラシャ紙が貼られ、桟敷席がなく、床に照明機材が置かれていないおかげで、何だかこのハコらしからぬスッキリした空間。黒いレオタードにワンピースと被り物、背中に黒い羽根をつけたカラスのような格好の杉田が、片手に丸い大きな鏡を持って、キャスター付きのイスで滑って現われる。移動のスムースさが空間の質感によく調和して、まずは周到な作品構成を予感させた。上から吊るされたワイヤーに鏡を取り付けると、床のすぐ上の高さでそれがゆっくり回転し続ける。杉田はイスで滑りながら、あるいは上手奥のオレンジのスポットライトに照らされながら、何をするということもなく時間を費やし、このシチュエーション自体を観客に噛み締めさせる。不定形なリズムを刻むノイズ音楽が神経を逆撫で。こういう「何をするということもなく」という時に、ダンサーが実際何をしているのかはなかなか好奇心をそそられるところだ。見ている自分が退屈し、イライラし、眠くなったりしている間に、当のダンサーにおいては一体どんな動機が身振りを支配しているのか。これは観客にとっては結局、不可知の領域となってしまわざるをえない部分である。このシーンが終わると、被り物を外して顔を出し、羽も取って黒いワンピースで踊る。短く小さなストロークが散発的に打ち出されて、それが驚くほど正確に、彫り深くクリアにキメられていく。左の膝を曲げて全身を平行四辺形に崩しつつ、右の肘を折って肩をクルッと回すとか。さらに姿勢の変化が速く、曖昧なところがないので緊張度が異様に高い。瞬きしている間に一つの動きが始まって終わってしまっていたりするのだ。さらに奥で着替えて自衛隊みたいな格好になる。踊るというより、這いつくばったり、単に動き回り、両足のポケットから二本のハサミを取り出して両手で構えたりする。そのハサミを自分の首筋や舌に押し付け、金属と絡み合おうとする部分が何ともエロティックだったが、この人は何事につけ淡白すぎるというか、ここぞという部分に執着することをあえて放棄する傾向が感じられる。作品全体は、暗転し奥で着替えることによって独立したシーンをいくつかつなげた構成。音楽はバロック中心のクラシックと、ドイツのキャバレー・ソングがほぼ交互に流れる。作業着姿になって脚立を立て、大きな壁面に緑と白でアクション・ペインティング。次は白のシャツと紺のパンツに灰色のベレー帽に着替えて少し踊る。着替えている間に色々なことを喋るのだが、それが意識的に支離滅裂を装っていたり、内輪受けを狙ったりしているので、次第に興が醒めてしまった。「ブルトンが…」「ブレヒトが…」とか言ってみたりする辺りにも何かを感じてしまう。冒頭の活人画的シーンや、アクション・ペインティングなども考え合わせると、要するに「自分自身」ではなく「自分の好きなもの」を(懐古趣味的に?)人に見せたいといういささか子供じみた欲求が強すぎるように思われるのだ。最後はなぜかラクダのシャツとモモヒキになって、やや激しい手踊りなども出る。笠井叡のようにヒラヒラ、バサバサしているのだが、フォルムが強く、全てが骨太で正確である。無駄を削ぎ落として冗長に流れないのはクールなのだが、抑制があまりに過剰で、物足りない後味を残した。唐突に終わって腹三分目。もっと見たかった。
初めて見た。演劇から天使館へ入り、現在は舞踏石研究所を名乗っている。壁に黒いラシャ紙が貼られ、桟敷席がなく、床に照明機材が置かれていないおかげで、何だかこのハコらしからぬスッキリした空間。黒いレオタードにワンピースと被り物、背中に黒い羽根をつけたカラスのような格好の杉田が、片手に丸い大きな鏡を持って、キャスター付きのイスで滑って現われる。移動のスムースさが空間の質感によく調和して、まずは周到な作品構成を予感させた。上から吊るされたワイヤーに鏡を取り付けると、床のすぐ上の高さでそれがゆっくり回転し続ける。杉田はイスで滑りながら、あるいは上手奥のオレンジのスポットライトに照らされながら、何をするということもなく時間を費やし、このシチュエーション自体を観客に噛み締めさせる。不定形なリズムを刻むノイズ音楽が神経を逆撫で。こういう「何をするということもなく」という時に、ダンサーが実際何をしているのかはなかなか好奇心をそそられるところだ。見ている自分が退屈し、イライラし、眠くなったりしている間に、当のダンサーにおいては一体どんな動機が身振りを支配しているのか。これは観客にとっては結局、不可知の領域となってしまわざるをえない部分である。このシーンが終わると、被り物を外して顔を出し、羽も取って黒いワンピースで踊る。短く小さなストロークが散発的に打ち出されて、それが驚くほど正確に、彫り深くクリアにキメられていく。左の膝を曲げて全身を平行四辺形に崩しつつ、右の肘を折って肩をクルッと回すとか。さらに姿勢の変化が速く、曖昧なところがないので緊張度が異様に高い。瞬きしている間に一つの動きが始まって終わってしまっていたりするのだ。さらに奥で着替えて自衛隊みたいな格好になる。踊るというより、這いつくばったり、単に動き回り、両足のポケットから二本のハサミを取り出して両手で構えたりする。そのハサミを自分の首筋や舌に押し付け、金属と絡み合おうとする部分が何ともエロティックだったが、この人は何事につけ淡白すぎるというか、ここぞという部分に執着することをあえて放棄する傾向が感じられる。作品全体は、暗転し奥で着替えることによって独立したシーンをいくつかつなげた構成。音楽はバロック中心のクラシックと、ドイツのキャバレー・ソングがほぼ交互に流れる。作業着姿になって脚立を立て、大きな壁面に緑と白でアクション・ペインティング。次は白のシャツと紺のパンツに灰色のベレー帽に着替えて少し踊る。着替えている間に色々なことを喋るのだが、それが意識的に支離滅裂を装っていたり、内輪受けを狙ったりしているので、次第に興が醒めてしまった。「ブルトンが…」「ブレヒトが…」とか言ってみたりする辺りにも何かを感じてしまう。冒頭の活人画的シーンや、アクション・ペインティングなども考え合わせると、要するに「自分自身」ではなく「自分の好きなもの」を(懐古趣味的に?)人に見せたいといういささか子供じみた欲求が強すぎるように思われるのだ。最後はなぜかラクダのシャツとモモヒキになって、やや激しい手踊りなども出る。笠井叡のようにヒラヒラ、バサバサしているのだが、フォルムが強く、全てが骨太で正確である。無駄を削ぎ落として冗長に流れないのはクールなのだが、抑制があまりに過剰で、物足りない後味を残した。唐突に終わって腹三分目。もっと見たかった。