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ダンスとか。

ダンスがみたい!6/黒沢美香&ダンサーズ 『ダンス☆ショー』

2004-07-19 | ダンスとか
麻布die pratze。
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指輪ホテル 『リア』

2004-07-19 | ダンスとか
原宿・EX'REALM。
細い通路を通ってまず狭い小部屋に入ると、紙芝居とマイムによって『リア』の筋が一通り語られる。しかる後メインの客席に移動するとそこは、土が敷き詰められ、どぎつい色の遊具が据えられた児童公園の廃墟のような空間。ストーリーは観客の頭にインストール済みであり、また設定上はすでに父殺しも完了しているので、ここから先もう物語らしきものは展開しない。いやその展開しない時間そのものが提示されるというべきか。リアの娘たち7人は、ウェディングドレスを着たり、女子高生になったり、主婦になってみたりするのだが、基本的にやっていることは変わらず常に子供のまま。玩具を奪い合い、ふざけ合って、じゃれているうちに本気のケンカが始まったりする。友達と敵の境目も曖昧だし、自分と相手の体の区別も大してリアルじゃないので、ただエネルギーの続く限り、行き当たりばったりに泥塗れになり血塗れになってひたすら遊びまくる。「子供から大人へ」という成長の物語が機能停止した後は、相手の拳をどうかわし、倒れる体をどう支えるか、右か左か前か後か、そんなレヴェルの短い「物語」しか残されていないから、この舞台はもはや「お芝居」=フィクションではなく本物のフィジカルな即興セッションにならざるをえない。衝動と感覚、反射的な感情の交錯。大まかな段取りこそあれ、動きの形を作り込むことはしていない。おそらく体と体の相性を時間をかけて擦り合わせていく中でお互いの間合いや呼吸を把握し、高い緊張関係の中にありながら調和と不調和の中間状態に戯れることを可能にしているのだと思う。人の体の最もナマな部分が限りなくナマのまま舞台に乗っていて、しかもそれが、見ている自分の現在に跳ね返ってくる。自分だって先の見通しもなく、理想も描けず、大体こんな感じで日々生きているんじゃないか。そう思い当たるや否や、7人の集団セッションの熱に煽られるこの興奮の経験自体が、興奮する自分の体への批評性をはらんでしまうという甚だアクロバティックな事態が生じる。見かけの自由とは裏腹に、まさにどん詰まりの21世紀。
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