小泉八雲ネタが続いておりますが、今しばらくご辛抱を。
『怪談・奇談』に寄せられたコメントの中に、
続きを考えてみましょうという課題があったというものがありました。
ウムウム。
面白そうではありませんか。
というわけで、<『茶碗の中』の続きを書いてみよう!>企画を考えてみました。
『茶碗の中』は、いろいろな八雲の本の中で取り上げられていますので、
わりと簡単に見つけられると思います。
ぜひ、読んでみて、続きを考えてください。
その記事を、TBしていただければ幸いです。
では、ワタクシが考えましたものをお披露目したいと思います。
創作は、あまり得意ではないので、寛大な気持ちでお読みくださいネ。
そして、怪しげな三人の男たちが予告していった16日がやってきた。
その夜も関内は屋敷に詰めて当直にあたっていた。
すると、あの式部平内という若侍が、音もなく姿を現し、またもや関内の正面に座ると
「先日は、ずいぶんななさりよう。
貴殿には、一度ならず二度まで手ひどい危害を加えられ、
さらに、わが家来にまでも痛手を与えられた。
このようなふるまい、許すまじ。」
と、これまたにじり寄りながら言う。
関内、また出たかと脇差を抜こうとするが、出来ない。
いつぞやの三人の家来が、関内の身体にまとわりつき、いっかな動くことがかなわない。
平内、さらに関内に近づき、
「貴殿は、茶碗の中の顔を見たであろう?
なにか言葉を発していたろう?
しかし、貴殿はあっさりとその茶を捨て、
さらに次の茶に浮かんだ顔を飲み込んでしまった。
貴殿を訪ねれば、貴殿は短刀で切りつけるばかり。
よもや、言葉はいりますまい。」
と勝ち誇った笑みを浮かべた。
次の朝、首を短刀で一突きされ、息絶えた関内が見つかった。
その首に刺さっていた短刀は、むろん関内本人のものである。
続きを現代に持ってくるとか、いろいろ考えてみたんですが、
もう一度きちんと『茶碗の中』を読み直してみますと
「非常に端正なーまるで少女のような顔」
という、無駄に美しさが強調されています。
気になって、原拠にあたってみますと、
「思いよりてまいりしものを」
という表現がみつかり、ははあ、これは衆道の話であったかと得心したわけです。
で、つれない相手を力ずくで奪ってゆくお話しと相成ったわけで。
私の物語は、こんな感じですが、皆さんならどのように続けられますか?
ぜひぜひ、読ませてください。
TB、楽しみに待ってます。

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『怪談・奇談』に寄せられたコメントの中に、
続きを考えてみましょうという課題があったというものがありました。
ウムウム。
面白そうではありませんか。
というわけで、<『茶碗の中』の続きを書いてみよう!>企画を考えてみました。
『茶碗の中』は、いろいろな八雲の本の中で取り上げられていますので、
わりと簡単に見つけられると思います。
ぜひ、読んでみて、続きを考えてください。
その記事を、TBしていただければ幸いです。
では、ワタクシが考えましたものをお披露目したいと思います。
創作は、あまり得意ではないので、寛大な気持ちでお読みくださいネ。
そして、怪しげな三人の男たちが予告していった16日がやってきた。
その夜も関内は屋敷に詰めて当直にあたっていた。
すると、あの式部平内という若侍が、音もなく姿を現し、またもや関内の正面に座ると
「先日は、ずいぶんななさりよう。
貴殿には、一度ならず二度まで手ひどい危害を加えられ、
さらに、わが家来にまでも痛手を与えられた。
このようなふるまい、許すまじ。」
と、これまたにじり寄りながら言う。
関内、また出たかと脇差を抜こうとするが、出来ない。
いつぞやの三人の家来が、関内の身体にまとわりつき、いっかな動くことがかなわない。
平内、さらに関内に近づき、
「貴殿は、茶碗の中の顔を見たであろう?
なにか言葉を発していたろう?
しかし、貴殿はあっさりとその茶を捨て、
さらに次の茶に浮かんだ顔を飲み込んでしまった。
貴殿を訪ねれば、貴殿は短刀で切りつけるばかり。
よもや、言葉はいりますまい。」
と勝ち誇った笑みを浮かべた。
次の朝、首を短刀で一突きされ、息絶えた関内が見つかった。
その首に刺さっていた短刀は、むろん関内本人のものである。
続きを現代に持ってくるとか、いろいろ考えてみたんですが、
もう一度きちんと『茶碗の中』を読み直してみますと
「非常に端正なーまるで少女のような顔」
という、無駄に美しさが強調されています。
気になって、原拠にあたってみますと、
「思いよりてまいりしものを」
という表現がみつかり、ははあ、これは衆道の話であったかと得心したわけです。
で、つれない相手を力ずくで奪ってゆくお話しと相成ったわけで。
私の物語は、こんな感じですが、皆さんならどのように続けられますか?
ぜひぜひ、読ませてください。
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【問】飲もうとした茶碗のお茶に顔が浮かんだ場合、あなたはどうしますか。
①お茶を捨ててもう一度淹れる。
②気にしないでそのまま飲む。
③冷蔵庫に入れて凍らせる。
④茶碗の中に顔があってもいいじゃないかとつぶやく(若い人は分からない?)。
関内の対応はどう考えてもまっとうとしかいいようがないのです。
関内自身は、物の怪を怖がらない豪胆な心の持ち主であると思います。
だから、何度も捨てずに2杯目の茶を飲んでしまう。
私なら、一杯目に浮かんだ顔をしばらく眺めるでしょう。
もって帰れるなら、もって帰りたいなぁ。
口や目が動いていたという記述があったので、もしかしたらしゃべれるかもしれない。
だから、凍らせて保存はできないね。
それだと腐っちゃう?
それはマズイ。
解決法を見出さなければ(笑)
う~む。これは途切れているからこそ、この不気味さなのかも。続きは普通に考えるとやっぱ、関内、物の怪にとり憑かれ狂死、というところなのでしょうが、わざわざ続きを書くのならもっとひねった怖い展開がないと、などと思ってしまいます。
私が「茶碗の中」を読んだ第一印象では、その後の関内は、物の怪に会おうとも、難なくやり過ごすんじゃないかと思いました。
その理由は、関内の心のありようです。
物の怪に対峙しようとも、恐怖心はおろか、動揺もなく、冷静に対処しています。
このような心持の相手に対して、物の怪は何も手出しが出せないでしょう。
と考えるのが日本人じゃないかと思ったのです。
原拠を見れば一目瞭然で、「後又も来らず。」となっています。
ですから、「茶碗の中」は、八雲の創作的な部分が大きく、西洋的な価値観のもと、再構成されたものであると思います。
茶碗の中の霊を飲み込んだのに、なぜ関内は無事なのか、八雲は納得がいかなかったのじゃないかと想像するばかりです。
この、心の持ちようは、同書のなかの「鏡と鐘と」にも現れています。
昔話「はなさかじいさん」「舌きりすずめ」などと根っこは同じですね。
心の持ちよう、心のありようによって、同じ行為をしたとしても、その心を反映した結果しか得られない。
まあ、この企画はお遊びですから、気楽に自由な発想のもと楽しんでやっていただければと思います。
私の場合は、どうにも衆道というものに気がついてしまっただけに、耽美的な方向に向いてしまいましたが(笑)
僕がもし続きを書くとしたら、またさらに別の謎を出して、不可解なままに終わらせますね。『女か虎か』の真相を要求された作者が、続編『三日月刀の促進士』で使ったような手法です。まあ個人的に、こういうわけのわからない話が好きだ、というのもありますが。
日本人的な感性で解釈すると、くろにゃんこさんの意見のように、やはり何事にも動じない関内の精神性を称揚する方向に行くんでしょうね。
私は紀田順一郎「謎の物語」で読んでいるんですが、実はその中に「茶碗の中」も所収されていたんです。
読んだはずなのに、さっぱり思い出せないということもあって、「怪談・奇談」を最近になって読んだんです。
「女か、虎か」は、読んだあとにあれこれ結末を考えたりしましたが、納得のいく結末は考えられず、めでたく棚上げとなりました。
読者に結末を考えさせるのがリドル・ストーリィなら、まさしく「女か、虎か」「茶碗の中」はそのとおりであると思います。
結末は、個人の価値観や発想によってずいぶんと違うものになるでしょう。
謎に対して、謎で答える、それもいいですね。
もし、自分の湯呑みに見知らぬ顔が浮かんだら最初は驚くでしょうが、慣れてきたらゼラチンで固めたいなあ。湯飲みの顔に向かって日頃の愚痴をこぼしてみたりとか。
腐らない方法、なんかないかなぁ。
「茶碗の中」、読んでいただいてうれしいです。
ぜひとも参加してくださいませ。
お待ちしてま~す。
イーゲル様の作品、読みたいよ~~!
でも、PCが調子悪くて(>_<)
読んだらちゃんと感想書くからね~。
待ってて下さいネ。