私が人形劇のシナリオを書いているのは、おなじみさんにはよくご存知のこと。
今年の新作は「おおかみのおうさま」という絵本を原作にしたもので、数年前に製作した「おおかみのひみつ」と同じきむらゆういち氏(有名な「あらしのよるに」のひと)の作品。
表紙から察するとおり、ちょっと個性的なおおかみくんの外見は、両作品ともにそんなに変わらない。
つまり、以前作ったおおかみくんが舞台に再び登場できるとい . . . 本文を読む
レヴィストロース氏の訃報を数日前の夕刊で知った。
「構造主義の偉い人」という認識でしかなかったけれど、多くの人類学文献に名を挙げられるその人は、享年100歳であったという。
ご存命であったのか、ということにほんとうは驚いたのだけれど。
ご冥福をお祈りします。
さて、なぜ人類学の偉人の話題から入ったのかと言えば、「猫の大虐殺」が歴史人類学という分野に位置するものだからです。
序文によれば、著者とギ . . . 本文を読む
ノラネコの社会や生態を研究する分野をノラネコロジー、その研究者をノラネコロジストという造語で呼んでいるのはこの本の著者ですが、なんだかとっても語呂がよくありませんか?
著者は正真正銘の研究者で、この本の趣旨は小中学生を対象としたノラネコ研究のフィールドワークの実践的な手ほどきと、著者のノラネコ研究を簡単にまとめたものです。
実際問題、私の生活圏(自宅中心に徒歩30分圏内)を探索してみても、ノラネコ . . . 本文を読む
8の字クッキーが静岡だけのものだったとは。
なんだかちょっとショック。
なのはいいとして、HP作りも一段落ついたところで、最近読んでいるものを紹介しましょう。
じつは、ここ1ヶ月くらい文化人類学にハマっています。
あの「サイボーグ宣言」をず~っと引きずっているんですねぇ。
「サイボーグ宣言」は、とにかくわかりにくいのです。
文体もさることながら、専門用語がいっぱい出てきます。
文脈からある程度推 . . . 本文を読む
「三毛猫の遺伝学」を読んだことで、俄然、ネコの毛並みに興味がわいた私。
さっそく関連本を図書館に予約しました。
が、予約した2冊とも貸し出し中でなかなか手元に届きません。
私以外にも、猫の毛並みについて調べている人がいるらしい。
相当なネコ好きだな(自分はどうなんだ)。
今回、図書館から借りたのは「ネコと遺伝学」と「ネコの毛並み」で、「三毛猫の遺伝学」を加えると、「三毛猫の遺伝学」→「ネコと遺伝学 . . . 本文を読む
わが家にモナがやってきてからはや10ヶ月。
ピンポーンと訪問客があれば、敵が来たとばかりに玄関に向かい、ウ~ッと唸って、まるで番犬のよう。
同じ長毛猫でも、おっとりとしたココとは大違いのやんちゃぶりを見せるモナは、8月で一歳になろうというのに、いつまでたっても子猫サイズ。
一足先に一歳になったティーは、オスということもあって、あれよあれよという間にすっかり凛々しい青年猫になったけれど、モナがメスだ . . . 本文を読む
「ねえ、そこにある本取って」
「はい、ムーミン」
とこの本を渡してくれたのは我が息子。
受験を控える中学3年生であります。
まあね、字面は似てるよねと思ったのもつかの間、私を除く家族全員がシチュエーションは違えど同じ反応みせました。
ボケを見つけたらかまさなければならないというのが我が家の掟らしいということはさておき、どうやら「ムーミン」は我が家ではミームとして成功を収めているというのがわかります . . . 本文を読む
もう12月、あっという間に年末です。
おりしもイエス・キリストの誕生日であるクリスマスの季節に「神は妄想である」を取り上げることになってしまいました。
別に狙ったわけではありません。
偶然です。
私が成長してきた過程、現在の環境において、数多くの宗教的な儀礼、風習がありますが、それを深く考えることなく、習慣として受け入れているのが私であり、そこには特別な信仰心はありません.
それが宗教的なもので . . . 本文を読む
日曜の新聞の新刊紹介蘭で目に留まった一冊。
何となく気になって、図書館で検索してみると貸し出し中で、別にそんなに読みたいわけでもなかったけれど、やはり何となく予約して、私の手元にやってきました。
特に矯正教育に興味があるわけでもなんでもなかったけれど、ついつい借りてしまったのは「甦る」という文字にあったのかもしれません。
「甦る」って、何が?
最近の報道では、犯罪の若年化が叫ばれていますが、その . . . 本文を読む
ユダという名前を聞くとき、貴方は何を思い浮かべますか?
それは「裏切り者」ではありませんか?
キリスト教徒でなくとも、一般知識としてユダがイエスを裏切り、
いくばくかの金額を代償に官警に売り渡したことはご存知のはず。
この悪名高いイエスの側近は、ダンテ「神曲」のなかで地獄の最下層で最も残酷な罰を受けているくらいキリスト教徒からは罵られ蔑まれている。
ペトロの否認などユダの裏切りには到底及ばない。 . . . 本文を読む
その1は、五島キリシタン史の第一段階が幕を閉じたところで終わりました。
今回は、その約200年後、現在の五島在住のカトリック信者及びカクレキリシタンの直接の祖先といわれている、開拓農民として大村藩から移ってきた人々についてみていくことによって、厳しい迫害のなかでキリシタンの教えを守りぬくことが何故可能だったのかという疑問に迫ってみたいと思います。 . . . 本文を読む
前記事「沈黙」に付随する日記などのコメントにも書きましたが、これらの小説や文献を読みながら、あることが気になって仕方がない状態に陥りました。
何故、彼らはキリスト教をそこまで信じ続けることが出来たのか、そもそも、異国の宗教であるキリスト教を何故自分の宗教として受け入れるにいたったのか、その過程と心理状況とはいかなるものであったのか。
自分が、宗教のごちゃ混ぜを全然変に思わないことが、彼らのことに興味を引かれる原因の一つではないかと思います。 . . . 本文を読む
哲学とは何か?
私の考える哲学とは、「問い」を持つこと。
「問い」とは?
答えが簡単に見つかるような演算などとは異なる、回答がすぐに見つからない抽象的な問題を指す。
たとえば「私とは?」「生きているとは?」「愛とは?」「美とは?」「世界とは?」等々。
往々にして、「問い」そのものが漠然とし、それ自体があやふやであることが多い。
これは、「問い」を持って生きている、<私>というものが感じていることだ。
だから、「答え」もはっきりとしたものではなく、「答え」の一部分に近づいたかと思えば、さらにその先が広がっている。
この過程、考える、思考するということが哲学なのではないかと思う。 . . . 本文を読む
魂の重さは30グラム。
これを重いと見るか、軽いと見るか。
は、どうでもいい。
1901年、アメリカの市営病院の医師マクドゥーガル博士は、魂が存在するかどうかには確信が持てなかったが、もし、それが存在するならば物質的な物体でなければならない(なんと西洋的な!)という論理のもと、瀕死の病人の体重を測定し、昇天の際の体重の差についての実験を行った。
この実験は、大変有名なものなので、結果を知っている人は多いと思う。
さて、博士は、本当に魂の重さを測定したのだろうか? . . . 本文を読む
ちょっと前にやったIQテストのTV番組で、自分がメチャメチャ左脳人間だということがわかり、かなりショック。。。
そんな私なら、この↓の本と格闘することも可能か?
時空の歩き方 時間論・宇宙論の最前線 セクシーな数学-ゲーデルから芸術・科学まで-
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