幸運だったのかもしれない

2005-10-29 23:43:53 | Weblog
偶然皇居の御所の壁に沿って歩く機会があった。

そこは道だけは広いのだけれど、まるでどこかの山奥の道を歩いているような雰囲気で、途中で見かけた朽ち果てた?ようにさえ見える古い(由緒あるともいうのかなあ)日本建築の平屋の建物は、遺跡にでもなりそうなほど古く、今その中で紀宮様が婚礼の準備中なのだと言う。その建物だけ明かりがともっている。御所を囲む苔むした長く続く白い壁はわざとなのか予算がないのか(汗)、私には到底計り知れないけれど、少なくとも豪華とはほど遠い趣だ。その見えない奥の奥が天皇一家のご住まいだ。

ひなびた田舎のような道端の桑畑もキュウイ畑もなんら普通の農家の畑と変わらない。
でもそこは東京駅のまん前で、高いビルが四方に見えるはずの場所なのだ。

その空間の贅沢さと、建物の概観の質素さとが妙に調和している別世界。
その別世界にいると、皇室に余り関心のない方の私にも、それほどいい意味ではない問題意識みたいなものがふと生まれたのも本当だ。

皇室典範の改正について話し合われる中、女系も認めるかどうかのさまざまなブログでの意見を読んでいて、ことは後継者問題にとどまらずに、もっと本質的な日本の問題を考える必要に迫られているのではと感じ始めている。

一般人が騒ぎ出す前にさっさと決めてしまいたいかのような委員の発言も漏れ聞くけれど、早計にことを進めるべきことではないのでは?

戦後60年、ネットでは「不敬罪」に問われかねない発言も自由にできる時代になった。それはたぶん、それほど悪いことじゃないような気もする。

そんな時代の中で、天皇家が天皇家として存在できる正統性を改めてはっきりさせないと、実は後継問題も解決しないんではと思う。たぶん、どんなに話し合ったところで意見がひとつにまとまることはなさそうではある。ただ今の状況は、もし愛子様が男の子だったらきっとうやむやのままに続けられたであろうあらゆる流れを、一端とめる機会を幸運にも得たということなのかもしれない。