還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

八百長とスポーツマンシップ

2011-02-20 11:41:31 | 日記
問題になっている大相撲のシステム化されたような八百長は真剣勝負と信じていたファンを根底から裏切る行為であるのは間違いない。

かつての横綱クラスの力士にも八百長の噂があったし、告発しようとした元力士とそのタニマチが同じ日に同じ病院で同じ病名で亡くなったという恐ろしい事実が示すように、闇の世界の介在も疑われている。
新聞記事によると八百長を断固として断った学生相撲あがりの力士に対して、そのタニマチの知り合いがドスをちらつかせて脅したようなこともあったようだ。

いつ頃から今回発覚したようなシステム化がなされていったのだろう。
多分最初のきっかけは、この一番で負けると十両陥落といった力士に対する相手方の善意の思いやりから出発したのではないだろうか。
「武士は相身互い」「惻隠の心」といった武士道精神から発したものであるのかも知れない。
そのこと自体は真剣勝負から外れるとは言っても、決して目くじら立てて責めるべきものでもないだろうと思う。


道徳という教科があった小学校時代、その中味はほとんど忘れてしまったが一つだけ今でもはっきり覚えている話がある。
それは戦前のデビスカップの決勝戦で日本の清水選手とアメリカのチルデン選手が戦った時の事。
チルデン選手が転倒したとき清水選手はわざとゆっくりとしたボールを返して試合を続けたという話である。

相手の弱みにつけ込むのではなく、こういう行為こそがスポーツマンシップであるということを教えられたように思う。
まだ戦後まもない頃であり、子供心にも連綿と続いてきた日本の武士道精神のほんのかけらが残っていたからだろうか、それとも戦争に負けた相手のアメリカ人に対して思いやりをほどこしたちょっとした優越感みたいなものがあったからか、妙に感激した思い出がある。


大相撲の八百長のきっかけもこういう精神から発したものであると信じたい。
相撲に対して子供時代のような興味はなくなってしまったが、やはり伝統ある国技といわれるスポーツだ。
今となっては、下手に隠しだてするのではなく一切合財をすべて明らかにして、一旦解散するくらいの心構えで大相撲の再起を期待したい。




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