夢中人

sura@cosmic_a

年神

2009年12月31日 | Weblog
今日は大晦日。大晦日の夜のことを除夜というみたいですね。除夜と言えば、除夜の鐘。
除夜の鐘は12月31日の深夜0時を挟む時間帯に寺院の梵鐘を撞くことを言うんですね。
うん。確かに、12月31日の年越し時間には近くのお寺から除夜の鐘が響いています。
除夜の鐘は108。この数の由来は何個かあるみたいなのですが、その中の一つが、人間の煩悩の数を表わすとか。
そうですか。煩悩の数ですか。。。深そうですね。。。てなことで、ちょっと今回は煩悩から離れたいと思います。

今回、ネットで「大晦日」を検索していたら「煩悩」にあたって、そして「煩悩」を通りすぎ、
「年神」というのにあたりました。
かつては、除夜は年神を迎えるために一晩中起きている慣わしがありなんてありました。
今でも大晦日は年越しで(なんとなく)起きていると思うんだけど、昔は起きている意味があったんですね。
「年神」とは、毎年正月に各家にやってくる来方神。「年」は稲の実りのことで、穀物神みたいです。
その根底にあるのは、穀物の死と再生。
古代日本で農耕が発達するにつれて、年の始めにその年の豊作が祈願されるようになり、
それが年神を祀る行事となって正月の中心行事となっていったみたいです。
現在でも残る正月の飾り物である門松は年神が来訪するため依代であり、鏡餅は年神への供え物だとか。
。。。とすると、門松みたいな新年の飾り付けや鏡餅などは、古代からあったってこと?
それが現代に残っているんだ。まぁ、生きていく糧というんですか、食べ物にしろ経済状況にしろ時代を問わず必要ですもんね。

この年神のことを読んでいて思い出されたのが「保食神(ウケモチノカミ)」。
以前から気になっていた神で、市内の神社にも祀られてあるんですよ。
その存在は年神と同じような感じもするなぁ。
保食神は、アマテラスがツクヨミにウケモチという神様の様子を見に行ってくれとお願いをするんですよ。
そして、その様子を見に行ったツクヨミはウケモチの口から吐き出されたご馳走でもてなされるんです。
その行為に激怒したツクヨミはウケモチの神を殺してしまうんです。
そして、そのウケモチの死体からは数々の食物が発生したそうです。
このお話って、いろんな意味が含まれているのかなぁと思うんですけど、解釈からするとウケモチの神は「大地」みたいなんですね。
母なる大地。保食神はどうやら女神みたいです。



画像はコットン。
保食神の身体から出たものの一つに「蚕」があるんですよ。それを養蚕して絹糸をつくったみたいですね。
。。。とすると木綿より絹のほうが古いのかなぁ。
まぁ、どっちにしろ画像のコットンにしても大地から生まれてくるものなんですよね。
このコットンを見ていたら「衣食住」というのは大地によって支えられたいるんだなぁとシミジミ思ったんですよ。
また、それだけではなく、大気によっても支えられている。
大晦日はそれらに感謝し、そして新しい年の五穀豊穣を祈願をする日なんですね。
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